瀬戸内海に浮かぶ船の上からスタート。

タモカメは、もみじ饅頭をつけたバージョン。

今回の テーマは「宮島は”神の島”!?」。
宮島は観音様が横たわっているように見える神々しい島なのです。

宮島を案内をしてくれるのは、広島県立大学宮島学センターの大知徳子さん。

厳島神社といえば海の中にある神社というイメージ。
満潮時の厳島神社。

干潮時の厳島神社。

先祖代々厳島神社の神職という福田道憲さんに厳島神社を案内してもらいます。

厳島神社の社殿は平安貴族の建築様式「寝殿造り」。
12世紀、平清盛が今の形に整えました。

海水に浸かるので柱が腐食しやすいのは避けられません。
「根継ぎ」という方法で、傷んだ部分を新しいものに替えて社殿を維持しています。

台風などで海が荒れるときには、石を置いて床板が流されないようにします(今は土のうを使います)。

参拝するタモリさんと近江アナ。

平舞台という海に突き出た屋根のない板敷の場所。

ここは、柱に石を使っています。

また、平舞台の板敷には隙間があり、その隙間が波の力を吸収して本殿を守っています。

神々しい山の形はどうやって生まれたのか?
その秘密を探りにタモリさん一行は弥山(みせん)を目指します。

山に向かうロープウェイ。
高所恐怖症のタモリさんと高所は全然平気な女性たちw

ここからは地質が専門の広島大学名誉教授、於保幸正先生に案内してもらいます。

中国地方は宮島を含め、ほとんど全部花崗岩でできています。
花崗岩:マグマが地下深くで冷え固まった岩石。石材として使われ御影石ともいう。

花崗岩には節理と呼ばれる細かい割れ目が走っています。

この節理に水が入り込むことで、花崗岩は風化してゆきます。

タモリさんが見ている複数の花崗岩も、

もともとは一枚の岩だったのです。

弥山霊火堂
弘法大師が修行を行った際の霊火が「消えずの火」となって残っていると言われています。

天狗の顔に見える岩。


タモカメは、もみじ饅頭をつけたバージョン。

今回の テーマは「宮島は”神の島”!?」。
宮島は観音様が横たわっているように見える神々しい島なのです。

宮島を案内をしてくれるのは、広島県立大学宮島学センターの大知徳子さん。

厳島神社といえば海の中にある神社というイメージ。
満潮時の厳島神社。

干潮時の厳島神社。

先祖代々厳島神社の神職という福田道憲さんに厳島神社を案内してもらいます。

厳島神社の社殿は平安貴族の建築様式「寝殿造り」。
12世紀、平清盛が今の形に整えました。

海水に浸かるので柱が腐食しやすいのは避けられません。
「根継ぎ」という方法で、傷んだ部分を新しいものに替えて社殿を維持しています。

台風などで海が荒れるときには、石を置いて床板が流されないようにします(今は土のうを使います)。

参拝するタモリさんと近江アナ。

平舞台という海に突き出た屋根のない板敷の場所。

ここは、柱に石を使っています。

また、平舞台の板敷には隙間があり、その隙間が波の力を吸収して本殿を守っています。

神々しい山の形はどうやって生まれたのか?
その秘密を探りにタモリさん一行は弥山(みせん)を目指します。

山に向かうロープウェイ。
高所恐怖症のタモリさんと高所は全然平気な女性たちw

ここからは地質が専門の広島大学名誉教授、於保幸正先生に案内してもらいます。

中国地方は宮島を含め、ほとんど全部花崗岩でできています。
花崗岩:マグマが地下深くで冷え固まった岩石。石材として使われ御影石ともいう。

花崗岩には節理と呼ばれる細かい割れ目が走っています。

この節理に水が入り込むことで、花崗岩は風化してゆきます。

タモリさんが見ている複数の花崗岩も、

もともとは一枚の岩だったのです。

弥山霊火堂
弘法大師が修行を行った際の霊火が「消えずの火」となって残っていると言われています。

天狗の顔に見える岩。

奇石くぐり岩。

~くぐり岩ができるまで~
もともと大きな一枚岩だった。

およそ百万年かけて節理に沿って風化。

三つに分かれた岩が、絶妙なバランスでもたれあう今の姿になりました。

花崗岩の風化が生み出した頂上の風景。
昔から弥山山頂の巨石は、神様が宿る場所として崇められてきました。

よく見ると花崗岩の節理が一直線に入っていることが分かります。

島全体の地形図を見ると、花崗岩の節理が二つの方向(北北東ー南南西、西北西ー東南東)に走っているのがわかります。

数百万年前、宮島は一つの巨大な花崗岩でした。

節理に沿って、同じ方向に風化が進みました。

こうして平行な深い谷と、切り立った稜線ができたのです。

花崗岩の不思議な性質と気の遠くなるような時間が、神の島、宮島を生み出したのです。

宮島が神の島であり続けるために人々はどんなことをしてきたのか。
その努力がわかる場所を見るために、一行は麓に戻りました。

紅葉谷川を案内するのは、廿日市市役所の末原義秋さんです。

紅葉谷川は江戸時代から風光明媚な観光地として知られていました。

川の水量を調節している堰(せき)。
特別にゲートを開けます。

溢れだした水が滝を作ります。

崩れやすい花崗岩でできた宮島は長年土砂災害に悩まされてきました。

普通、土砂災害を防ぐための砂防施設はコンクリートがむき出しです。

紅葉谷川は景観を損ねないように砂防工事が施されています(庭園砂防)。
このようにして、神の島にふさわしい美しさを人々は守り続けてきました。

最後に厳島神社の大鳥居の近くに移動。
~タモリさんのまとめ
平家が滅んでも、宮島と厳島神社が廃れることはなかった。
時代が移り変わっても、地域の人々はこの神の島を崇め、守り続けてきた。

タモリさんのはアナゴ重?

おまけ。
迫りくる満ち潮。

なぜ厳島神社は海上にあるのか?
宮島は島そのものに神が宿ると考えられたため、「ご神体」を傷つけないように海上に神社が建てられた、とする説が一般的のようです。

~くぐり岩ができるまで~
もともと大きな一枚岩だった。

およそ百万年かけて節理に沿って風化。

三つに分かれた岩が、絶妙なバランスでもたれあう今の姿になりました。

花崗岩の風化が生み出した頂上の風景。
昔から弥山山頂の巨石は、神様が宿る場所として崇められてきました。

よく見ると花崗岩の節理が一直線に入っていることが分かります。

島全体の地形図を見ると、花崗岩の節理が二つの方向(北北東ー南南西、西北西ー東南東)に走っているのがわかります。

数百万年前、宮島は一つの巨大な花崗岩でした。

節理に沿って、同じ方向に風化が進みました。

こうして平行な深い谷と、切り立った稜線ができたのです。

花崗岩の不思議な性質と気の遠くなるような時間が、神の島、宮島を生み出したのです。

宮島が神の島であり続けるために人々はどんなことをしてきたのか。
その努力がわかる場所を見るために、一行は麓に戻りました。

紅葉谷川を案内するのは、廿日市市役所の末原義秋さんです。

紅葉谷川は江戸時代から風光明媚な観光地として知られていました。

川の水量を調節している堰(せき)。
特別にゲートを開けます。

溢れだした水が滝を作ります。

崩れやすい花崗岩でできた宮島は長年土砂災害に悩まされてきました。

普通、土砂災害を防ぐための砂防施設はコンクリートがむき出しです。

紅葉谷川は景観を損ねないように砂防工事が施されています(庭園砂防)。
このようにして、神の島にふさわしい美しさを人々は守り続けてきました。

最後に厳島神社の大鳥居の近くに移動。
~タモリさんのまとめ
平家が滅んでも、宮島と厳島神社が廃れることはなかった。
時代が移り変わっても、地域の人々はこの神の島を崇め、守り続けてきた。

タモリさんのはアナゴ重?

おまけ。
迫りくる満ち潮。

なぜ厳島神社は海上にあるのか?
宮島は島そのものに神が宿ると考えられたため、「ご神体」を傷つけないように海上に神社が建てられた、とする説が一般的のようです。
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