広島平和記念公園からスタート。

今年はアメリカ大統領が初めて広島を訪れました。

そして、25年ぶりにカープ優勝。
タモテバコも広島カープ仕様です。

本日のお題は「広島はステキなシティ!」
「ステキ…ス」
すぐに何かを察するタモリさん。

案内人は広島郷土資料館の本田美和子さん。
「今日は幸楽お休みですか?」w

タモリさんが察したとおり、広島は三角州が多い街。
全部で5つもあります。

三角州は川から運ばれた土砂が海の浅瀬に堆積してできた土地。
形が三角形に近いので、三角州と呼ばれます。

広島は北から流れる太田川が作った三角州の街です。

広島といえば、原爆ドーム、牡蠣、お好み焼き、カープ等々いろいろありますが、今回は三角州をポイントに街をブラブラします。
タモリさん一行は広島記念公園のある三角州から市役所や繁華街のある三角州に移動。
この三角州には約430年前の広島の姿がわかる痕跡があるのだそうです。

白神社(しらかみしゃ)にやってきました。

本殿の土台になっている岩は、かつては海の中の岩礁でした。

船がぶつからないように岩の上に白い紙を立てて目印にした。
それで、白神(紙)社。

約430年前の広島。
白神社の岩礁は海岸線の岩場でした。

現在(緑+灰緑色)と約430年前(緑)の比較。

約430年前に毛利氏が広島城を築城。
そこから、城下町の整備と土地の拡大が始まりました。

江戸時代にどうやって土地を拡げたのか。
それがよくわかる場所を見に、一番東側の三角州に移動します。

かつては海だった住宅街。

平坦なはずの三角州に高低差が…。

この道が周りより高くなっています。
いったいなぜなんでしょう?


今年はアメリカ大統領が初めて広島を訪れました。

そして、25年ぶりにカープ優勝。
タモテバコも広島カープ仕様です。

本日のお題は「広島はステキなシティ!」
「ステキ…ス」
すぐに何かを察するタモリさん。

案内人は広島郷土資料館の本田美和子さん。
「今日は幸楽お休みですか?」w

タモリさんが察したとおり、広島は三角州が多い街。
全部で5つもあります。

三角州は川から運ばれた土砂が海の浅瀬に堆積してできた土地。
形が三角形に近いので、三角州と呼ばれます。

広島は北から流れる太田川が作った三角州の街です。

広島といえば、原爆ドーム、牡蠣、お好み焼き、カープ等々いろいろありますが、今回は三角州をポイントに街をブラブラします。
タモリさん一行は広島記念公園のある三角州から市役所や繁華街のある三角州に移動。
この三角州には約430年前の広島の姿がわかる痕跡があるのだそうです。

白神社(しらかみしゃ)にやってきました。

本殿の土台になっている岩は、かつては海の中の岩礁でした。

船がぶつからないように岩の上に白い紙を立てて目印にした。
それで、白神(紙)社。

約430年前の広島。
白神社の岩礁は海岸線の岩場でした。

現在(緑+灰緑色)と約430年前(緑)の比較。

約430年前に毛利氏が広島城を築城。
そこから、城下町の整備と土地の拡大が始まりました。

江戸時代にどうやって土地を拡げたのか。
それがよくわかる場所を見に、一番東側の三角州に移動します。

かつては海だった住宅街。

平坦なはずの三角州に高低差が…。

この道が周りより高くなっています。
いったいなぜなんでしょう?

実はこの高い部分は干拓するための堤防でした。
まず堤防を作り、

水を抜いたり、埋め立てたりして、陸地を作ります。

小高い道の部分は干拓堤防だったのです。

青い部分が江戸時代に干拓された土地です。

江戸中期に作られた「広島町新開絵図」。
ピンクの線が干拓堤防です。
土地開発により、現代ではほとんどが姿を消してしまいました。

この干拓堤防の名残がある小高い道は、タモリさんによって”江戸堤”と命名されました。

干拓地のはずなのに山があるのはなぜ?

実は山のところは元は島(仁保島)でした。

仁保島は干拓により、黄金山という山になりました。

島(黄金山)に向かって江戸堤を歩いていくと、江戸堤は直接島に向かわず曲がっています。
なぜなんでしょう?

このあたりの漁村のために入り江を作り港を残したのです。

入り江があったころの写真。

昭和55年に入り江は完全に埋め立てられましたが、入り江から陸に上がるための足場が残っていました。

広島は干拓によって土地が拡げられたことが良く分かりました。

続いて一行がやってきたのは広島城がある三角州。
ここからは三角州を作った川に注目します。

縮景園という庭園から川岸に出ます。

川岸の此処彼処に階段があります。
雁木と呼ばれる船着き場です。

三角州の川は潮の満ち引きとともに水位が最大4メートルも変わります。

雁木は三角州の街、広島ならではの工夫なのです。

広島はステキなシティ!②に続く
まず堤防を作り、

水を抜いたり、埋め立てたりして、陸地を作ります。

小高い道の部分は干拓堤防だったのです。

青い部分が江戸時代に干拓された土地です。

江戸中期に作られた「広島町新開絵図」。
ピンクの線が干拓堤防です。
土地開発により、現代ではほとんどが姿を消してしまいました。

この干拓堤防の名残がある小高い道は、タモリさんによって”江戸堤”と命名されました。

干拓地のはずなのに山があるのはなぜ?

実は山のところは元は島(仁保島)でした。

仁保島は干拓により、黄金山という山になりました。

島(黄金山)に向かって江戸堤を歩いていくと、江戸堤は直接島に向かわず曲がっています。
なぜなんでしょう?

このあたりの漁村のために入り江を作り港を残したのです。

入り江があったころの写真。

昭和55年に入り江は完全に埋め立てられましたが、入り江から陸に上がるための足場が残っていました。

広島は干拓によって土地が拡げられたことが良く分かりました。

続いて一行がやってきたのは広島城がある三角州。
ここからは三角州を作った川に注目します。

縮景園という庭園から川岸に出ます。

川岸の此処彼処に階段があります。
雁木と呼ばれる船着き場です。

三角州の川は潮の満ち引きとともに水位が最大4メートルも変わります。

雁木は三角州の街、広島ならではの工夫なのです。

広島はステキなシティ!②に続く
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