日本一長い信濃川をバックにスタート。

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重要文化財、萬代橋は全長306.9m、昭和3年完成の6連アーチ橋。

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今回のブラタモリは新潟。
タモリさんも言っていましたが、長岡(へぎそば、花火大会)や佐渡(佐渡おけさ、金山)はイメージありますが、新潟市はあまり思い浮かぶものがない。
米どころ、新潟の女性は働き者ぐらい?w

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案内人は路地連新潟(まち歩き愛好家)の野内隆裕さん。
今回のテーマは「新潟は”砂”の町!?」。

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野内さんによれば、新潟は信濃川と阿賀野川から運ばれた砂の上にできている街なのだそうです。

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まずタモリさん一行がやってきたのは日本海に近い住宅街
タモリさんが好きな高低差がありました。

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坂の上は小高い丘。
実はここは砂丘でした。

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日本海に沿って、日本最大級の新潟砂丘がありました。

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高所(展望台)に上ることになり、ご機嫌斜めのタモリさんw

江戸時代の信濃川は現在よりも大きく、現在の町の中心部はかつての信濃川の中州あたり。
江戸時代の町は砂丘のすそ野にあったそうです。

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江戸時代は、砂丘の上に寺が並んでいました。
現在は、かつての中州のキワに30近い寺が並んで建っています。

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これは砂が堆積して川底が浅くなり、港としての機能を果たせなくなったため、町が配置を変えずに丸ごと中州に移動してきたため。

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大胆な町づくりはこれだけではありません。
町中に縦横に堀を作り、町全体を港として機能させたのです。

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堀があれば、船で荷物を運ぶことができます。

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堀は戦後すべて埋められました。
人情横丁は堀を埋め立てた上に建てられた商店街です。

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人情横丁で一休み。
ギンダラを食べていると急に雨が。

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新潟は雨がよく降るというイメージあります。

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続いてタモリさんたちがやって来たのは新潟の繁華街。
古町はかつて日本有数の花街でした。

鍋茶屋は弘化3年(1846)創業の料亭。

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お水でご接待をうける。

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お座敷遊びも体験。

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小唄にロシア語(ハラショー)があるのも、新潟が貿易港として栄えた証 。

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続いてタモリさんたちがやって来たのは市街地から少し離れた亀田郷
市内有数の水田地帯ですが、かつてこのあたりは水はけが悪く、終戦直後まで収穫量は現在の半分ほどでした。

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江戸時代の絵図を見ると、海から内陸にかけて砂丘が何列もあることがわかります。
2本の川からの砂の堆積と波と風で砂丘ができ、砂の堆積で海岸線はしだいに沖に伸びてゆきます。
この繰り返しで10列もの砂丘が並ぶ砂の大地ができたのです。

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砂丘と砂丘にはさまれた低地(砂丘間低地)の亀田郷は水はけの悪い土地になってしまいました。

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タモリさんたちは、特に水がたまりやすい鳥屋野潟という場所に行ってみます。

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消防署の屋上から鳥屋野潟を望む。

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鳥屋野潟は亀田郷の中でも一番低い場所(海抜マイナス2.5m)。
そのため亀田郷全体の水がここに集まってしまいます。

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昭和初期、戦争による食糧不足のため米の増産が迫られ、亀田郷の土地を改良することになりました。
一番低い鳥屋野潟の水を抜けば、亀田郷全体の水はけがよくなり土地を改良できます。

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信濃川よりも低い鳥屋野潟の水をどうやって排水したのでしょうか。

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タモリさん一行はこの謎を解くために、信濃川のほとりにある排水機場にやってきました。

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このポンプ4台で毎秒60トンの水を排水しているそうです。
24時間体制でポンプを稼働しています。

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栗の木排水機場は昭和23年に完成しました。

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最後にタモリさんたちがやって来たのは、信濃川の河口

新潟港は信濃川の河口にある港です。
河口にある港の問題は、川から運ばれる土砂。
土砂が溜まると、港が浅くなってしまいます。

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この問題を解決するのが、大型浚渫船。
川に堆積した砂をポンプで吸い上げ、海に排出します。
この船も24時間稼働しています。

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最後はダジャレでしめるw

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24時間体制で砂と闘い続ける新潟。

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小千谷名物へぎそば。

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おまけ。
新潟弁は”い”と”え”が反対になる。

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