タモリさんスカジャンで登場。

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背後は米軍と自衛隊の基地。

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本日のお題「なぜ横須賀は要港っスカ?」。

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案内人は、横須賀市自然・人文博物館の学芸員、菊地勝広さん。

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着替えて、イエローサブマリン音頭を口ずさむご機嫌のタモリさん。

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まず一行が向かったのは港の目の前にある横須賀駅。

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この駅の特徴は段差がないこと。
明治22(1889)に横須賀線が開通しましたが、物資輸送目的のために段差がないといわれています。

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駅の裏にある壁も痕跡の一つ。

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軍港を覗かれないように壁で遮っていました。
大正14年の横須賀駅の写真にも壁が写っています。

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タモリさん一行は基地がある横須賀本港から浦賀港に移動。

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浦賀といえばペリー。
ペリー来航は歴史の授業で習いました。

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なぜペリーは浦賀に来たのか?

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浦賀港は入り江が深く、波が穏やかな天然の良港。

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しかも東京湾の入り口に位置するため、東京湾に入る船をチェックするにはうってつけの港でした。

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江戸時代、浦賀港は海の関所になっていました。

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ペリーの黒船が停泊したのは浦賀港の入り口。
 
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浦賀港の入り口にある見晴らしの良いビーチにやってきました。

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なぜ多くの船が浦賀の近くを通っているのか?

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実は浦賀側は水深が深く、黒船のような大きな船は必然的にこのコースをとったのです。

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 海底の地形にも精通しているタモリさん。

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2万年前、東京湾が陸地だった時に大きな川が流れていました。

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その川の跡が今も海底に谷として残り、船の通り道になっているのです。

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浦賀の町にあるペリーの痕跡!?

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江戸時代、ご先祖が浦賀で問屋を営んでいた宮井さんのお宅を訪ねました。 

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黒船で実際に使っていた鍋。
水を提供したお礼としてもらったそうです。

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鍋を大事にしてくれているお礼に、ペリーの孫から水牛の角ももらいました。

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開国すると外国船が次々とやってくる。
求められたのは船を修理する場所。

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幕府は東京湾に造船所を造ることを決意しました。

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造船所の場所はフランス人が横須賀に決めたそうです。

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横須賀本港とフランスの軍港、トゥーロン港はよく似ている。
どちらも半島に囲まれた内海で波風が穏やかな絶好の港。
 
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アメリカは南北戦争で忙しくなってしまったので、フランスに造船所の件をお願いしたのだそうです。

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造船所の痕跡を求め、タモリさん一行は横須賀本港に戻ります。

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江戸時代末期に起工されて明治4年に竣工したドライドッグ。
現役です。

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ドライドック:海水に浸からない状態で船を修理する場所。
現在アメリカ海軍基地の中にあります。

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ドライドックの秘密を解き明かすため、ジャンプ!

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米海軍基地にワープ