明治になって起こった大事件。
それは、御師制度廃止です。
御師がいなくなった明治以降、どのようにして人に伊勢を目指してもらったのでしょうか。

isema43

タモリさん一行は内宮前に戻ってきました。
ここから明治以降の伊勢を案内してくれるのは、三重大学の浅野先生(建築学)。

isema42
 
ここは国道23号線の終点。
別名御幸道路(御幸:天皇が外出すること)。
明治天皇が伊勢神宮を参拝するために明治43年(1910)につくられた道路です。

isema44

元は国道1号線。
大正9年、東京から伊勢神宮に至る道は国道1号線と定められました。

isema45

次にタモリさん一行が向かったのは、昭和6年に開業した駅舎(宇治山田駅)
昭和6年という時代を考えると、立派すぎる洋風の建物。

isema46

莫大な資金を投じて社運をかけて建てた駅舎。
この駅を見るためにここに来た人もたくさんいたそうです。

isema47

この駅ができたことにより、大阪ー伊勢の日帰り参拝が可能になりました。

isema48

ホームに行く前に、いったん外に。
電車のようなバスがいます。
神都バス:昭和36年まで外宮と内宮の間を走った路面電車をモチーフにして作られたバス

isema49

内装も路面電車風です。

isema50

バスは駅の高架下をくぐり、駅のホームに出ました。

isema51

 バスを降りてスロープを登ると…

isema52
 
転車台がありました。

isema53
 
電車で来た人がすぐにバスに乗って観光地に行けるように作られた転車台。
平成5年まで使われていたそうです。

isema54

たまたま通過したビスタカー。
タモリさん、全然席が取れないとクレームw

isema55
 
鉄柱のジョイントを見ると赤丸のジョイントの形が他と違うのがわかります。

 isema56

八角形のジョイントは両側に鉄柱がでて、ケーブルを支えることができます。

isema57

話についてゆけなくて笑い出す近江アナw

isema58
 
左端の鉄柱のジョイントが八角形ということは、さらに鉄柱を伸ばして線路を増設できるということです。

isema59
 
地図を見ると大きな鉄道会社がすべて外宮に集中していることがわかります。

isema60

分岐線を敷いて、内宮にも駅を作ろうとしていたのではないか?

isema61

八角形のジョイントは幻の線路の痕跡!?

isema62

タモリさん一行が最後に向かったのは、内宮の門前町

おはらい町:内宮前の参宮街道の終点にある町
年間500万人が訪れる一大観光地

isema65

実はこの賑わいが生まれたのはこの20年ほどの間。
30~40年前のおはらい町は閑散としていました。

isema64

鉄道や観光バスによる参拝が主流となった昭和40年代、参拝客は年間400万人を突破。

isema66

しかし、交通の便が良くなったがため、内宮を参拝したお客はおはらい町を素通りして鳥羽や志摩などに向かってしまいました。

isema67

そこで町の人たちは、お客さんを町に呼ぶこむための町づくりに挑戦しました。

isema68

 この家はとても古そうに見えますが、約40年前に改築されたもの。

isema69
 
 この家も20数年の間に改築されたもの。

isema70

よく見ると、古く見えるように表面だけ改築しています。

isema71
 
 通りに面した建築物の外観を江戸時代の建築様式に統一していたのです。
一時20万人まで落ち込んだ来客数は500万人まで回復しました。

isema72
 
御幸道路、宇治山田駅、おはらい町と、伊勢の町づくりを見てきましたがこれらにはある共通するキーワードがあります。 
それは20年に一度の式年遷宮。

isema73

伊勢はこの式年遷宮を目標に様々な都市計画が進められるのだそうです。

isema74
 
最後はなぜか「今夜飲もう」という結論w

isema76

おまけ。
賛否両論ある伊勢うどん。

isema75