明治になって起こった大事件。
それは、御師制度廃止です。
御師がいなくなった明治以降、どのようにして人に伊勢を目指してもらったのでしょうか。

タモリさん一行は内宮前に戻ってきました。
ここから明治以降の伊勢を案内してくれるのは、三重大学の浅野先生(建築学)。

ここは国道23号線の終点。
別名御幸道路(御幸:天皇が外出すること)。
明治天皇が伊勢神宮を参拝するために明治43年(1910)につくられた道路です。

元は国道1号線。
大正9年、東京から伊勢神宮に至る道は国道1号線と定められました。

次にタモリさん一行が向かったのは、昭和6年に開業した駅舎(宇治山田駅)。
昭和6年という時代を考えると、立派すぎる洋風の建物。

莫大な資金を投じて社運をかけて建てた駅舎。
この駅を見るためにここに来た人もたくさんいたそうです。

この駅ができたことにより、大阪ー伊勢の日帰り参拝が可能になりました。

ホームに行く前に、いったん外に。
電車のようなバスがいます。
神都バス:昭和36年まで外宮と内宮の間を走った路面電車をモチーフにして作られたバス

内装も路面電車風です。

バスは駅の高架下をくぐり、駅のホームに出ました。

バスを降りてスロープを登ると…

転車台がありました。

電車で来た人がすぐにバスに乗って観光地に行けるように作られた転車台。
平成5年まで使われていたそうです。

たまたま通過したビスタカー。
タモリさん、全然席が取れないとクレームw

鉄柱のジョイントを見ると赤丸のジョイントの形が他と違うのがわかります。

八角形のジョイントは両側に鉄柱がでて、ケーブルを支えることができます。

話についてゆけなくて笑い出す近江アナw

左端の鉄柱のジョイントが八角形ということは、さらに鉄柱を伸ばして線路を増設できるということです。

地図を見ると大きな鉄道会社がすべて外宮に集中していることがわかります。

分岐線を敷いて、内宮にも駅を作ろうとしていたのではないか?

八角形のジョイントは幻の線路の痕跡!?

それは、御師制度廃止です。
御師がいなくなった明治以降、どのようにして人に伊勢を目指してもらったのでしょうか。

タモリさん一行は内宮前に戻ってきました。
ここから明治以降の伊勢を案内してくれるのは、三重大学の浅野先生(建築学)。

ここは国道23号線の終点。
別名御幸道路(御幸:天皇が外出すること)。
明治天皇が伊勢神宮を参拝するために明治43年(1910)につくられた道路です。

元は国道1号線。
大正9年、東京から伊勢神宮に至る道は国道1号線と定められました。

次にタモリさん一行が向かったのは、昭和6年に開業した駅舎(宇治山田駅)。
昭和6年という時代を考えると、立派すぎる洋風の建物。

莫大な資金を投じて社運をかけて建てた駅舎。
この駅を見るためにここに来た人もたくさんいたそうです。

この駅ができたことにより、大阪ー伊勢の日帰り参拝が可能になりました。

ホームに行く前に、いったん外に。
電車のようなバスがいます。
神都バス:昭和36年まで外宮と内宮の間を走った路面電車をモチーフにして作られたバス

内装も路面電車風です。

バスは駅の高架下をくぐり、駅のホームに出ました。

バスを降りてスロープを登ると…

転車台がありました。

電車で来た人がすぐにバスに乗って観光地に行けるように作られた転車台。
平成5年まで使われていたそうです。

たまたま通過したビスタカー。
タモリさん、全然席が取れないとクレームw

鉄柱のジョイントを見ると赤丸のジョイントの形が他と違うのがわかります。

八角形のジョイントは両側に鉄柱がでて、ケーブルを支えることができます。

話についてゆけなくて笑い出す近江アナw

左端の鉄柱のジョイントが八角形ということは、さらに鉄柱を伸ばして線路を増設できるということです。

地図を見ると大きな鉄道会社がすべて外宮に集中していることがわかります。

分岐線を敷いて、内宮にも駅を作ろうとしていたのではないか?

八角形のジョイントは幻の線路の痕跡!?

タモリさん一行が最後に向かったのは、内宮の門前町。
おはらい町:内宮前の参宮街道の終点にある町
年間500万人が訪れる一大観光地

実はこの賑わいが生まれたのはこの20年ほどの間。
30~40年前のおはらい町は閑散としていました。

鉄道や観光バスによる参拝が主流となった昭和40年代、参拝客は年間400万人を突破。

しかし、交通の便が良くなったがため、内宮を参拝したお客はおはらい町を素通りして鳥羽や志摩などに向かってしまいました。

そこで町の人たちは、お客さんを町に呼ぶこむための町づくりに挑戦しました。

この家はとても古そうに見えますが、約40年前に改築されたもの。

この家も20数年の間に改築されたもの。

よく見ると、古く見えるように表面だけ改築しています。

通りに面した建築物の外観を江戸時代の建築様式に統一していたのです。
一時20万人まで落ち込んだ来客数は500万人まで回復しました。

御幸道路、宇治山田駅、おはらい町と、伊勢の町づくりを見てきましたがこれらにはある共通するキーワードがあります。
それは20年に一度の式年遷宮。

伊勢はこの式年遷宮を目標に様々な都市計画が進められるのだそうです。

最後はなぜか「今夜飲もう」という結論w

おまけ。
賛否両論ある伊勢うどん。

おはらい町:内宮前の参宮街道の終点にある町
年間500万人が訪れる一大観光地

実はこの賑わいが生まれたのはこの20年ほどの間。
30~40年前のおはらい町は閑散としていました。

鉄道や観光バスによる参拝が主流となった昭和40年代、参拝客は年間400万人を突破。

しかし、交通の便が良くなったがため、内宮を参拝したお客はおはらい町を素通りして鳥羽や志摩などに向かってしまいました。

そこで町の人たちは、お客さんを町に呼ぶこむための町づくりに挑戦しました。

この家はとても古そうに見えますが、約40年前に改築されたもの。

この家も20数年の間に改築されたもの。

よく見ると、古く見えるように表面だけ改築しています。

通りに面した建築物の外観を江戸時代の建築様式に統一していたのです。
一時20万人まで落ち込んだ来客数は500万人まで回復しました。

御幸道路、宇治山田駅、おはらい町と、伊勢の町づくりを見てきましたがこれらにはある共通するキーワードがあります。
それは20年に一度の式年遷宮。

伊勢はこの式年遷宮を目標に様々な都市計画が進められるのだそうです。

最後はなぜか「今夜飲もう」という結論w

おまけ。
賛否両論ある伊勢うどん。

コメント
コメント一覧 (4)
初代国道1号は1885年に制定され、当初は東京府東京市日本橋区~神奈川県横浜市中区横浜港でした。
現在の国道15号と国道133号の前身。
初代国道2号は東京府東京市日本橋区~山口県豊浦郡馬関町(現在の下関市)であり実質的には横浜~下関を結ぶ長距離国道でした
(現在の国道1号・2号の前身)。
1920年の道路法制定で
1921年4月1日から
国道1号は東京府東京市日本橋区~三重県宇治山田市、
国道2号は東京府東京市日本橋区~山口県下関市、
国道3号は東京府東京市日本橋区~鹿児島県鹿児島市
となりましたが、
国道2号は実質的に四日市市~下関市、
国道3号は実質的に下関市~福岡市~熊本市~鹿児島市
でした。
現在の国道24号(京都市下京区~和歌山市)は当時は国道17号でしたが
(現在の国道17号は東京都中央区~新潟市中央区だが、当時は9号と10号の一部だった)、
当時の17号は滋賀県大津市で国道2号(現1号)から分岐し山科盆地東部を縦断し宇治を経て久世郡新田村(現在の宇治市大久保町)から現在の国道24号ルートで南下していて伏見市(現在の京都市伏見区の大半)を通らなかった
(現在の滋賀県道35号、京都府道36号、京都府道7号に相当するルート)。
国道16号といえば東京環状
あれ、当時の国道2号と同じルートと思いそうですが、2号は大阪・山陽経由に対して16号は京都市下京区烏丸四条(現在の国道1号は少し南の烏丸五条を通る)で2号から分岐し現在の国道9号と同じ山陰経由のルートで下関市へでした。
当時の国道17号は東京市日本橋区~大津市~奈良市~奈良県高市郡畝傍村(現在の橿原市)橿原神宮でしたが、
橿原神宮も伊勢神宮と並ぶ重要な拠点でした。
1940年代半ばまでは伊勢神宮は重要な拠点だったと感じます。
伊勢神宮といえば修学旅行を思い出しますが、毎年1月4日(年により5日や6日もある)には首相が参拝されます。
宇治山田駅は1931年に開業ですが、1969年まで長らく終点でした。
宇治山田市は1958年4月から伊勢市へ改称しましたが、郵便番号がなかった当時は京都府宇治市への誤配が絶えなかったからです
(宇治市は1952年4月に市制)。
宇治市にも宇治山田や伊勢田という地名があります
>伊勢神宮といえば修学旅行を思い出しますが、
関西では伊勢神宮は修学旅行先としてポピュラーなのでしょうか。
関東も伊勢神宮に行く学校もあるとは思いますが、圧倒的に関西ではないでしょうか。
私は中学も高校も京都・奈良でした。
伊勢神宮とのご縁は赤福ぐらいですw
関西の小学校の修学旅行といえば、
兵京滋和は伊勢神宮、
阪奈は広島・宮島
の傾向のようです。
中学校の修学旅行は都道府県単位ではなく学校単位ですが、大分・熊本へでした。
高校の修学旅行は北海道でした。
伊勢神宮といえば赤福は定番です。
安倍首相は恒例の正月参拝や2016年伊勢志摩サミットでは名古屋駅から近鉄特急を宇治山田駅へ利用しています。
1965年の佐藤榮作に始まった首相の正月参拝が毎年必ず伊勢神宮で行われるようになったのは、
1938年の近鉄名古屋線全通
(当時は伊勢中川駅で乗り換えが必要だった)、
1959年12月の名古屋~宇治山田間直通開始
(レール幅の統一化。同年9月の伊勢湾台風に伴う復興事業として3か月弱で完成)、
1964年10月の東海道新幹線開業
があったからです。
国道23号は愛知県豊橋市を起点に伊勢湾を囲む形で三重県伊勢市内宮までですが、
三重県松阪市~伊勢市は国道42号(和歌山県和歌山市~静岡県浜松市西区)と重複しています。