加藤清正公がやりすぎ防御マニアだったことは、城だけではなく、城下町をみてもわかります。

タモリさん一行がやってきたのは古町と呼ばれる城下町の一画。
島津が熊本を攻める時は目の前にある薩摩街道を北上してくることが想定されます。

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しかし、このあたりの町割りは碁盤の目状で見通しが良い。
敵としては攻めやすい造り?

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 路地から伏兵が現れる。

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路地の奥には兵を潜ませる寺がありました。
このような仕掛けを清正は町のあちこちに作っていました。

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 まだ防御の仕掛けはあります。
一行は、古町と熊本城の間に位置する新町に移動します。

新町を案内するのは、古文書を研究している熊本大学の稲葉先生。
稲葉先生から早速質問。
「熊本と聞いて思いつく動物は?」

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 正解はタヌキ。

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 よく見るとこのあたりはタヌキだらけ。

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そして地名は、船場(せんば、洗馬とも表記)。 

有名な民謡(手毬歌)がありました。
 
あんたがたどこさ 肥後さ 肥後どこさ♪
熊本さ 熊本どこさ せんばさ ♪
せんば山にはタヌキがおってさ♪

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このせんば山が実はやりすぎ防御と関係がある?

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一行はせんば山の痕跡を探しに行きます。

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新町の西の端にある鉄道の高架下。
実はここはお堀の跡。

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堀を作れば、土が出る。

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その土で山を作った?

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古地図を見ると、堀に沿って土塁があるのがわかります。

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せんば山の正体は、堀伝いに築かれた土塁でした。

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 一行が最後にやってきたのは、熊本城の入り口
島津が参勤交代に使う薩摩街道はここから豊前街道となって熊本城内を通ることになります。

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(仮想)敵に城内を見せていた?

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実際に城内の街道を歩いてみると…

空堀があったり、

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クランク(枡形)があったりと、 

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随所に城のすごさを見せつける道になっていました。

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清正はあえて敵に城を見せることによって、抑止力にしたようです。

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熊本城が初めて戦争の舞台になったのは、明治10年の西南戦争。
政府軍が籠る熊本城は、陥落することはありませんでした。

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タモリさんの結論、「熊本城はやりすぎだけど、名城」。

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 桑子アナ、タモリさんと良いコンビでした。

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おまけ。
懐かしの東急5000系(青ガエル)を撮影するタモリさん。

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学生時代の自分を振り返る。 

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次回は4月2日放送「水の国・熊本」。

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