紅葉が始まった日光。
ツイッターの目撃情報によると、撮影日は11月3日だったようです。

今回のテーマは、「日光東照宮は江戸のテーマパーク?」。
案内をしてくれるのはちょっとみのもんたに似ている春日さん。

春日「桑子さん、このお社には誰が祀られているかご存知ですか?」
桑子「徳川家康です」

春日「ファイナルアンサー?」

桑子「ファイナルアンサー」
春日「正解です」

やけにノリが良い春日みのw
テーマパークの仕掛け① 東照宮の入口の石段は奥に向かうにつれ幅が狭くなっている
これによって奥行きが深まり、荘厳な雰囲気を醸し出しているそうです。

テーマパークの仕掛け② 江戸時代最大級の石鳥居
福岡藩の初代藩主黒田長政が玄海灘から船で運んできたと言われる石の鳥居。
この巨大な石の鳥居を見て、江戸の庶民たちは「おおっ!」となるわけです。

境内の石畳にも仕掛けが…。

テーマパークの仕掛け③ ひし形の石畳の角が参拝ルートを導く→の役目を果たしている

テーマパークの仕掛け④ 当時はまだ誰も見たことがない象の彫り物

テーマパークの仕掛け⑤ 有名な三猿

テーマパークの仕掛け⑥ 質素と豪華の対比

テーマパークの仕掛け⑦ 伊達政宗が奉納したポルトガルから輸入した鉄で作った灯篭

テーマパークの仕掛け⑧ 豪華絢爛な陽明門(現在修復中、平成29年3月まで修復予定)

陽明門の500以上の彫刻は、狩野派による当時最先端のデザイン。

陽明門の奥にある本殿の門(唐門)。
白いのには意味がある?

白は尊い色、そして目立たせる効果もある。
中国の神話時代の名帝、舜帝の彫刻。
徳のある人物が国を治めれば、平和が続くことを意味しているそうです。
瞬帝=徳川家康

テーマパークの仕掛け⑧ 唐門には”徳のある人間が位を受け継ぎ国を治めれば平和な時代が続く”という、徳川からのメッセージがある

ツイッターの目撃情報によると、撮影日は11月3日だったようです。

今回のテーマは、「日光東照宮は江戸のテーマパーク?」。
案内をしてくれるのはちょっとみのもんたに似ている春日さん。

春日「桑子さん、このお社には誰が祀られているかご存知ですか?」
桑子「徳川家康です」

春日「ファイナルアンサー?」

桑子「ファイナルアンサー」
春日「正解です」

やけにノリが良い春日みのw
テーマパークの仕掛け① 東照宮の入口の石段は奥に向かうにつれ幅が狭くなっている
これによって奥行きが深まり、荘厳な雰囲気を醸し出しているそうです。

テーマパークの仕掛け② 江戸時代最大級の石鳥居
福岡藩の初代藩主黒田長政が玄海灘から船で運んできたと言われる石の鳥居。
この巨大な石の鳥居を見て、江戸の庶民たちは「おおっ!」となるわけです。

境内の石畳にも仕掛けが…。

テーマパークの仕掛け③ ひし形の石畳の角が参拝ルートを導く→の役目を果たしている

テーマパークの仕掛け④ 当時はまだ誰も見たことがない象の彫り物

テーマパークの仕掛け⑤ 有名な三猿

テーマパークの仕掛け⑥ 質素と豪華の対比

テーマパークの仕掛け⑦ 伊達政宗が奉納したポルトガルから輸入した鉄で作った灯篭

テーマパークの仕掛け⑧ 豪華絢爛な陽明門(現在修復中、平成29年3月まで修復予定)

陽明門の500以上の彫刻は、狩野派による当時最先端のデザイン。

陽明門の奥にある本殿の門(唐門)。
白いのには意味がある?

白は尊い色、そして目立たせる効果もある。
中国の神話時代の名帝、舜帝の彫刻。
徳のある人物が国を治めれば、平和が続くことを意味しているそうです。
瞬帝=徳川家康

テーマパークの仕掛け⑧ 唐門には”徳のある人間が位を受け継ぎ国を治めれば平和な時代が続く”という、徳川からのメッセージがある

家康公墓所の門にある左甚五郎作の眠り猫。

一見眠っているように見えても、実は戦闘態勢。
平時は眠っていても、何かあれば立ち上がる。
テーマパークの仕掛け⑧ 眠り猫は平和の守り神としての家康の姿をイメージしています

家康の遺言に従って二代目秀忠は日光に控えめなお堂を建てましたが、三代目家光が現在のような豪華な東照宮を建設しました。
これは、徳川の威光を世に知らしめる、そして家康を神に祀り上げ徳川の治世をアピールする目的があったと言われています。

日光東照宮は、当時の最先端の技や一流の芸術を味わいながら平和を感じることができる夢の空間(テーマパーク)だったのです。

タモリさん一行は東照宮から1キロほど離れた門前町に移動します。

まずは茶屋で名物のお団子とお茶で一服。
仲良しのおじいちゃんと孫娘w

二代目秀忠が東照宮を建てた頃、門前町のある場所(右下)にはほとんど何もありませんでした。
東照宮ができてから町はどう変わったのでしょう?

古地図に描かれた集落のあったあたり。

幕末には東照宮参拝者のための宿場町ができていました。
よく見ると、道に横線が並んでいますが、これは段差です。

明治初期の宿場町。
段差があることがわかります。
人力車も大変そう。

今でも町のここかしこに段差の痕跡が。

実は東照宮建設予定地一帯には民家があり、ここを立ち退いた人々が宿場町に移ったのだそうです。

それを示す証拠がこの古文書。
「町を御幸町と呼び、住人は東照宮の奉仕と引き換えに税を免除する」といった内容です。
徳川家は東照宮一帯から人を立ち退かせ、聖域にしたかったようです。

最後に東照宮のメンテナンスをする人々を訪れます。
漆職人の早乙女さんとまな弟子の遠藤さん。

東照宮の建造物の下地には漆が使われています。

漆の下地の上に金箔を貼り、絵具で色づけして完成です。

タモリさんも漆職人を体験することに。

叱られ褒められ何とか完成。

最後に皆で記念撮影。

最初はピンと来なかったタモリさんも、日光東照宮がスケールの大きな江戸のテーマパークだったことを納得していました。

おまけ。
撮影から三週間後、タモリさんが漆を塗った看板(?)がちゃんと神社に納められました。

裏には製作スタッフとして本名が載っています。


一見眠っているように見えても、実は戦闘態勢。
平時は眠っていても、何かあれば立ち上がる。
テーマパークの仕掛け⑧ 眠り猫は平和の守り神としての家康の姿をイメージしています

家康の遺言に従って二代目秀忠は日光に控えめなお堂を建てましたが、三代目家光が現在のような豪華な東照宮を建設しました。
これは、徳川の威光を世に知らしめる、そして家康を神に祀り上げ徳川の治世をアピールする目的があったと言われています。

日光東照宮は、当時の最先端の技や一流の芸術を味わいながら平和を感じることができる夢の空間(テーマパーク)だったのです。

タモリさん一行は東照宮から1キロほど離れた門前町に移動します。

まずは茶屋で名物のお団子とお茶で一服。
仲良しのおじいちゃんと孫娘w

二代目秀忠が東照宮を建てた頃、門前町のある場所(右下)にはほとんど何もありませんでした。
東照宮ができてから町はどう変わったのでしょう?

古地図に描かれた集落のあったあたり。

幕末には東照宮参拝者のための宿場町ができていました。
よく見ると、道に横線が並んでいますが、これは段差です。

明治初期の宿場町。
段差があることがわかります。
人力車も大変そう。

今でも町のここかしこに段差の痕跡が。

実は東照宮建設予定地一帯には民家があり、ここを立ち退いた人々が宿場町に移ったのだそうです。

それを示す証拠がこの古文書。
「町を御幸町と呼び、住人は東照宮の奉仕と引き換えに税を免除する」といった内容です。
徳川家は東照宮一帯から人を立ち退かせ、聖域にしたかったようです。

最後に東照宮のメンテナンスをする人々を訪れます。
漆職人の早乙女さんとまな弟子の遠藤さん。

東照宮の建造物の下地には漆が使われています。

漆の下地の上に金箔を貼り、絵具で色づけして完成です。

タモリさんも漆職人を体験することに。

叱られ褒められ何とか完成。

最後に皆で記念撮影。

最初はピンと来なかったタモリさんも、日光東照宮がスケールの大きな江戸のテーマパークだったことを納得していました。

おまけ。
撮影から三週間後、タモリさんが漆を塗った看板(?)がちゃんと神社に納められました。

裏には製作スタッフとして本名が載っています。

コメント