扇状地を流れる荒川は熊谷へ。

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ここからは歴史が専門の学芸員、羽田さんに解説してもらいます。

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熊谷の久下橋あたりまでが自然の荒川。
そこから先は治水と利水のために人間が流れを変えてしまった荒川なのだそうです(瀬替え)。

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本流ではなくなってしまった自然の荒川は元荒川という名で残っています。

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 これが元荒川。

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ムサシトミヨ(埼玉県指定天然記念物)保護センターで使っている地下水を流しているので水がきれいです。

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羽田「元荒川は越谷あたりで中川に合流してます」
ライセンス藤原「中川って、葛飾の方に行ってるやつですか?」
羽田「そうです」
ライセンス藤原「ウチの嫁はんの実家のそばですわ」
タモリ「結婚してんの?」
ライセンス藤原「結婚できましたよ」
タモリ「へえ~ゼイタクだね」
ライセンス藤原「この流れやと、ご祝儀頂けそうですけど…」

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鴻巣市と吉見町を流れる荒川に特に変化はありませんが、

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実はこのあたりは川幅日本一。
川幅は(両岸の)堤防と堤防の間の長さなのだそうです。

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川幅全体が溢れた水を逃す遊水池になっています。

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川の流れに対して直角に横提が築かれています。
これによって増水の際に流れのスピードを緩めるそうです。

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 横堤の上は県道になっているので日本一の川幅を体感できます。

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鴻巣名物”川幅うどん”もあります。

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荒川はさらに下流の川越へ。

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 荒川橋梁を渡る川越線。

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荒川は埼玉を抜け、いよいよ東京へ。
岩淵水門は、荒川を語るうえで重要なポイントです。

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岩淵水門は現在の荒川(荒川放水路)と隅田川を仕切る水門です。 

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明治43年の洪水をきっかけに蛇行して流れていた荒川の水をまっすぐ東京湾に流すために作られたのが荒川放水路。
昭和40年、荒川放水路は正式に荒川の本流になりました。
同時にかつての荒川だった隅田川は岩淵水門から下流の名称になりました。

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飛鳥山を抜けて隅田川に合流する石神井川。

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人工的に掘られた荒川(荒川放水路)はさらに東京を流れ下ります。

荒川のそばにある京成線八広駅。

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能町「八広駅は荒川駅だったんですが、墨田区なんでややこしいから名前を変えたんです」
瀬替えのせいで、このあたりかなりややこしくなっているようです。

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能町「そもそも荒川区は嘘だと思うんですよね。たまたま荒川通っているけど、(荒川は)埼玉のもんだから、荒川区って名乗るなと思うんです」 

荒川区のせいかはわかりませんが、確かに荒川は東京の川というイメージが強い。
源流から滔々と埼玉を流れてきているなんて知りませんでした。

荒川の旅もいよいよゴールを迎えます。

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 河口付近を俯瞰で見るとこんな感じ。

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昔の荒川終点。
ここだと起点から169㎞。

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今は埋め立てが進み、新しい終点ができました。

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特報:”かわはく”は2015年12月1日~2016年3月31日 改修工事のため休館です。 

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