今回はタモリさんの地元、博多でブラタモリ。

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最初のお題は博多と福岡の違いは何?

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桑子「博多は博多というエリア、福岡は福岡県」
私もそう答えると思います。 

でもこれはちょっと違うらしい。
関ケ原の合戦後、この地を与えられた黒田氏が城を築き、出身地である岡山の地名、福岡の名をつけたところから城の周辺が福岡になったそうです。
つまり、博多と福岡はもともとは別のエリア。
那珂川を境にして、西側が武士が住む城下町の福岡、東側が伝統的な町人の町博多だったのだそうです。

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博多と福岡の違いが分かったところで今回のメインテーマです。
「博多誕生のカギは”高低差”にあり」

博多には何度か行ったことがありますが、そんなに高低差はなかったように記憶しています。
どういうことなのでしょう?

まずは博多の町割りについてお勉強。
戦国時代に戦で焼け野原になった博多を天正15(1587)年に石田三成や黒田官兵衛が中心になって区画整理をしました。
これが太閤町割と呼ばれるものです。

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400年以上たった現代でも、太閤町割の多くは道筋として残っているのだそうです。

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タモリさん一行は太閤町割の基準となった大博通りにやってきました。
大博通りは博多湾と博多駅を貫く大通りですが、なぜここが太閤町割りの基準になったのか?

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弥生時代以前、博多一帯は二つの砂丘でした。
時の流れとともに砂丘が成長し、二つの砂丘がつながります。

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砂丘を貫くわずかな高まりが、太閤町割の基準(現在の大博通り)となったのだそうです。

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一行が大博通りを歩きながらわずかな高低差を観察するうちに、タモリさんに突然古い記憶がよみがえります。
タモリさんが4、5歳ごろ、通り沿いに池があったことを思い出したのです。
この謎の記憶は、後のある場所への訪問で見事に解明されます。

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福岡市博物館の本田さんによると、博多は弥生時代から現代にいたるまで積もりに積もって形成された町なのだそうです。
つまり、(博多は)どこでも掘れば何かが出てくる。
という事で、昭和52年(1977)から博多の発掘調査が始まりました。

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たとえば、下の写真のビルのあたりは”博多遺跡第40次調査”

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ちょっと名称が長いので、略してHKT40w
あのアイドルグループより先に使っていたそうです。

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次に一行が訪れたのは、平安時代に貿易港博多が生まれた痕跡が見られる場所。
博多祇園山笠で有名な櫛田神社です。
 
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この神社の裏手にあたる南神門の段差が、その痕跡です。
 
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古代から中世にかけて、この辺りは砂丘のへりで、下は海につながる川だったのだそうです。

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船乗りたちは航海の無事を祈願するため大きな船から小舟に乗り込み、接岸して櫛田宮に入っていったのだそうです。 

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段差の入り口にある焼き餅は名物。
タモリさんは何度も食べたそうです。

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博多は町人の町。

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一行は江戸時代からの伝統を守り続ける家を訪ねます。

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江戸時代、刀鍛冶職人によってひろまったと言われる博多鋏。
タモリさんが子供の頃にはどの家庭にもあったそうです。

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今この博多鋏を作っているのはこの家だけ。
博多の人は”好きやすの飽きやす”で、古いものはあまり大事にしないのかもしれないということでした。

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 続いて一行が訪れたのは博多の中でも最大の高低差がある場所。

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このエリアには寺社が集まっています。

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坂の上にある聖福寺。
僧・栄西が創建した日本最初の禅寺です。

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このお寺には太閤町割以前の古い町割りを知る手掛かりがあります。

坂を上ってきたはずなのに、境内は周りより低くなっています。

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聖福寺は鎌倉時代のままの高さににあるのですが、800年の間に人々が暮らすうちに周りの町が少しずつ高くなっていったのだそうです。

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聖福寺は拝観謝絶。
タモリさんとNHKがタッグを組めば、開かない門はありませんw 

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奥の間には聖福寺のお宝の数々が展示されています。
重要文化財の高麗時代の朝鮮鐘を突かせてもらう。

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太閤町割以前の中世の博多の絵図。
聖福寺を中心として発展した町割が描かれています。

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なんと絵図に蓮池が…。

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タモリさんが池があったと言っていた場所。
バス停の名前の”蓮池”にその名残がありました。 

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そして、古い町割りの痕跡は聖福寺の境内にありました。
石畳のほんの10度のズレ。

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 これが中世の古い町割と太閤町割の痕跡を示したものだったのです。

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太閤町割の基準に従って聖福寺の塀は作り直され(赤い線)、元の町割(青い線)とのズレが生じたのです。

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このズレは町の中にも見ることができます。

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ここは聖福寺の石畳とほぼ同じ角度で曲がっています。

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最後に博多2000年の歴史が一目でわかるという場所を訪れます。
HKT203。

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3メートルの深さに2000年の歴史が積み重なっている複合遺跡です。

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 平安時代の面には、宋から運ばれてきた陶磁器や茶わんがたくさん埋まっています。

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 タモリさんも1000年前の素焼きの土器を発掘しました。

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弥生時代の面は砂。
約2000年前のお墓(甕棺墓)を発掘中でした。

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タモリさん、地元博多の歴史を知り大満足。
 
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ラストは珍しく食事のシーン。

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 博多うどんを熱く語るタモリさんでしたw

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