今回は、古本に残る痕跡から、約60年前の男女の恋愛を紐解いてゆく新3大です。

落書きやメモなど前の所有者が残した痕跡のある古本を痕跡本というそうです。

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例えばこんな感じ。
古本や貸出図書ではこういう書き込みや傍線、しばしば見かけますね。

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今回問題の古本を紹介してくれるのは、古本マニアの古沢和弘さん(35)。
前の持ち主の痕跡を読み、いろいろと妄想を膨らませてしまうそうです。

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古沢さんは古本好きがこうじて、古本屋さんを経営しています。

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そして、問題の古本がこれ。
アンデルセン童話集全10巻のうちの8冊。

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古沢さんが早稲田の古本屋街で手に入れたもので、1巻と6巻はすでに抜けていたそうです。
奥付には昭和26年(1951)発行とあります。 
 
このアンデルセン童話集には、書き込み、手紙、メモなどが残されており、それらを読むと、ある男性が女性に毎月1冊ずつこの童話集を書き込みや手紙付きで送っていたことが推測されます。

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 男性の名前は英雄、女性の名前はF子と書かれています。

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アンデルセン童話の痕跡① 第2巻の手紙

まず、最初は第2巻に挟まれた英雄さんからF子さんあての手紙です。

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「君に会いたくてしょうがないのだが、ウッカリ会いたいと言ってまた君を苦しめても困ると思って、私も困っている」
そう、手紙にはつづられています。

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さらに、”F子に会いたいが(英雄は)引っ越したばかりなので、身動きがとりずらい、できればF子に来てほしい”と、書かれてあります。

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 「もう2,3か月もすれば私の方からでもそちらに行けるようになれると思う」
手紙の日付は5月23日なので、2,3か月後は7月、8月ということになります。

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 明らかに恋愛中の男女の手紙ですが、マツコさんと有吉くんはあて名がF子になっていることが引っ掛かったようです。

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確かに、本人宛の手紙であて名を匿名扱いにする必要はありません。
 
 ただ、英雄さんは恋愛相手に毎月本を送っている。
 文章も書き慣れているし、相手への思いの丈もストレートに打ち明けている。
小説や随筆の登場人物の名前をイニシャルで表記するスタイルは当時から割と一般的。

というところから、英雄さんが文学青年だったのではないかと推測されます。
登場人物がイニシャルで書かれてある小説などの影響を受けて、わざわざ恋人の名前をF子にしたのではないでしょうか。

他にこの手紙から読み取れることは、二人は遠距離恋愛中(距離は不明)。
原文は旧仮名遣いなので、英雄さんはおそらく戦前の教育を受けている。
日付は英語で書いてあるので、おそらく英雄さんは大卒もしくは大学生。

時々言い回しがかなりおっさん臭いのですが、この頃は若い人でもこういう言い回しは使っているような気はします。
(石原裕次郎が出ていた昔の日活映画なんかみるとそう)
当時は普通の言い方だったのが、時を経て今ではオジサン臭く感じる表現になったということだと思います。
加えて、英雄さんは恋人のF子さんに対して自分を精一杯大人っぽく見せようとした気配も感じられます。
後半の手紙も含めて全体から、若者らしい情熱や弱々しい心情も垣間見られるので、英雄さんはおそらく20代だったのではないでしょうか。

本が発行されたのが昭和26年、今から64年前です。
もし英雄さんが大卒の社会人だとすれば、22、3歳以上。
となると、ご存命だとすれば、80代にはなっているはずです。

アンデルセン童話の痕跡② 第5巻のメモ

3巻は手紙無し(消失した可能性もあります)。

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4巻にも手紙はありませんが、扉のページに書き込みが…。
「笑いながら月は言った、あまり心配しなさんな、二人とも」

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英雄さんとF子さんには何か心配事があったのかもしれません。
この書き込みの表現からも、英雄さんが文学青年であることは察せられます。

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そして、続く5巻にはメモ用紙が挟まっていました。

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「確か1~4までは送ったと思うのですが、あるいは1~3かもしれません。一度お知らせください」
これで英雄さんがF子さんにアンデルセン童話集を送っていたことはほぼ間違いありません。
 
「先日倫子さんが”アンデルセンを借りてきた”、笑いながらそう言ったことを楽しく思い出しております」
倫子さんは二人の共通の知人(友人もしくは家族)だと思われます。
いずれにせよアンデルセンのことも知っているので、二人にとってはかなり親しい関係にある女性でしょう。
もしかしたら、失われた1巻を借りパクした人かもしれませんw

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 さらに5巻には書き込みもありました。

「そう怒らないでくれって、伝えてくれないか」

これだけを見ると伝える相手は倫子さんのような気もしますが、古沢さんによると英雄さんはしばしば第3者に託すような回りくどい表現をしているようなので、F子さんにそんなに怒らないで、となだめているのかもしれません。

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アンデルセン童話に残る痕跡③ 第10巻の手紙

6巻は消失。
7巻には書き込みが…
「冬がやってくる。風邪をひかぬように」

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8巻には1枚のクリスマスカード。
書き込みはありません。

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9巻は手紙や書き込みなし。

そして、10巻で手紙復活。
手紙の日付は1月30日。
2巻の手紙(5月23日)から、約8か月が経っています。

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「早いものだ。アンデルセンもこれで10巻になった。西大寺から奈良への田舎道を、うららかなそれでもまだ少し寒い初春の日に包まれて歩いてから、もう10か月近くの月日が流れたのだ。”絵のない絵本”の一節を読んであげたのはその時のことだったと思う。私たちの心は暖かくふくよかな愛情でいっぱいだった。年とともに私たちの青春はだんだんと一つになってゆく。自分は二人の愛を思うとき、これほどにお互いの心に入り込み、手を取り合って生きていくという事に涙ぐましい感動を覚えるのだ。」

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 さらに手紙は続きます。
「ただ寒い夜、一人の部屋に帰って米を洗い飯を食う時、いささか気がめいる。もう少し、もう少しと、私は米を洗う。もう少しだ。そうだね、私たちは一人だけではダメなんだよ。いくら頑張ってもダメなんだ。それよりも少しでも早く一緒になる事だけ考えて、この一年を頑張ろう。」

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ついに英雄さんは、F子さんとの結婚の意志を明らかにしたようです。

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そしてこの10巻には手紙のほかに書き込みもありました。

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「来るとし年も来る年も、私たちはいつも仲良しだ。やがてベッドの中で暖かく、私たちはアンデルセンを読みあうだろう。」

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この恋の結末は私たちにはもう知る由もありませんが、およそ60年前に一つの恋愛があったことは、このアンデルセン童話全集にはっきりと残されていました。 
 
完訳アンデルセン童話集 1 (岩波文庫 赤 740-1)
ハンス・クリスチャン・アンデルセン
岩波書店
1984-05-16