
修学旅行生がよく来る繁華街”新京極”にやって来ました。

新京極の秘密を案内するのは、学芸員の船越幹央さん。

新京極が作られたのは明治5年。

タモリさんと首藤アナは明治時代に新京極ができた痕跡を探します。

結局二人では見つけられず、学芸員の船越さんが解説。

江戸時代の地図で照らし合わせると、新京極通りはお寺や神社の境内を貫くようにして通されたことがわかります。

ゆえに、本堂と通りが極端に近い。

新京極通りと蛸薬師
かつての参道は路地として残っています。

なぜ境内を貫くようにしてしい新京極は作られたのか。
その理由を錦天満宮の宮司、大和政夫さんに尋ねます。

宮司さんによると、もともと境内には縁日の市が立つスペースがあったそうです。
そのスペースを通りにすることによって、振興の勢いをつけるのが新京極の狙いだったそうです。
つまり、区画整理して通りを作ることによって、繁華街化し同時に人の流れも効率的にしたわけです。
こうして、新京極は明治30年代には日本3大盛り場(他2つは、東京浅草、大阪千日前)の一つとなりました。

鳥居の両端が建物を突き抜けているように見えますが…。

真相追究のためにお店に入ります。
ビジュアル系の雑貨屋さん?

見事に鳥居が突き抜けていましたw

新京極プロジェクトは鳥居の先端を計算しないで 区画整理をしてしまったそうです。
路地の石畳。

実は廃線になった市電の敷石を使っているそうです。

京都はかつて市電の敷石だった御影石を路地や参道でリサイクルしているそうです。
新京極周辺は時代時代の痕跡が混ざり合う迷宮スポット。

路地を進んでゆくと、靴屋さんの中を通ります。

路地裏に小さな神社を発見。

新京極ができた明治時代、この界隈に住んでいた狸を祀った神社だそうです。

元映画館。
学芸員の船越さんが学生時代には、ピンク映画専門館だったそうです。

今は若者向けの古着ショップ。
小さなスクリーンが映画館だった痕跡?

映写室も名残りをとどめています。

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