私がこの小説を読んで一番感じたのは、日本をこの悲惨な戦争に導いてしまった”狂気の渦”は一体何だったのだろうか、ということです。
おそらく当時も戦争に反対する人々は皆無ではなかったはずです。
特に海外の事情にも精通していた知識階級はこの戦争が無謀で、いずれ敗戦に終わることは予感していたのではないでしょうか。
客観的に見れば、連合国と日独伊、特に日本とアメリカの総合力の差は歴然としていたはずです。
しかし、当時の時代の”空気”は少数派の意見を完全に封じこめてしまいました。
日本人は今でも”空気”には弱い国民です。
長い歴史と文化の中で協調性を重んじるあまり(聖徳太子の憲法でも”和をもって尊しとなす”と謳っています)、この国では一度空気ができてしまうと、それに逆らうことは極めて困難です。
では、この狂気ともいえる空気を作り出したのは誰なのか。
軍部関係者が主犯だとは思いますが、政治経済界のリーダーたち、世論を戦争に導いたメディアも主犯に近い共犯者なような気がします。
もちろん、国民にも責任はあります。
もっとさかのぼって考えれば、日本が日清・日露戦争に勝利してしまったことが、災いの始まりだったのかもしれません。
例えるなら、とうに盛りを過ぎた老ボクサーたちに連勝し、調子に乗って現役チャンピオンに挑戦した向こう見ずな新人ボクサーのようなものです。
帝国主義的イデオロギーが色濃い時代背景にあって、自国を神国と過信した日本人には太平洋戦争は避けられない運命にあったのかもしれません。
それにしても、軍という組織は実に愚かでした。
実際の戦場では日本の精神主義はアメリカの合理主義によって、完膚なきまでに打ちのめされました。
時代錯誤の武士道精神を狂信する軍の上層部は命の使い捨てという最悪の作戦方針を作り出してしまい、戦争の悲劇をさらに拡大させたのです。
ゼロ戦はたしかに当時の最高水準の戦闘機だったのかもしれません。
日本人はその技術力にプライドを持つべきでしょうが、ゼロ戦賛美がそのまま戦争賛美につながることはとても危険です。
ネットなどで若い世代の書き込みを読むと、戦争に対する抵抗感が少ないことに驚きを感じます。
愛国心が悪いことだとは言いませんが、時間のつながりの中で現在があることをきちんと認識してほしいと思います。
終戦から70年の月日が流れ、人と人が殺しあう戦争の悲惨さはもう風化されてしまったのかもしれません。
チャリー・チャップリンがかつて言っていたように、平時では極刑にも値する殺人という行為が戦争という異常事態では褒章の対象になるのです。
いかなる理由があろうとも、戦争は正当化される行為だとは思えません。
しかしながら現状を見ると、この国で再び”狂気の渦”が生まれないとは言い切れません。
「永遠の0」はそういう意味で若い世代の方に読んでいただきたい作品です。
私の友人曰く、戦争ごっこは好きだけど戦争は嫌
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