高3の時、最後に受けた大学も不合格だったという結果は、合否の電話を受けた母から知らされました。
その時私はテレビを見ていました。
画面には当時アイドルだった片平なぎさが映っていました。
キリンレモンのCМです。 

nagisa
 見ていた番組は再放送のドラマ「傷だらけの天使」でした

大学受験で受けたすべての大学を落ち、私は自動的に浪人生になりました。
それから駿台予備校の試験を受けてそれも落ち、結局試験のない代々木ゼミナールに行くことになりました。

当時文系志望の校舎は原宿にありました。
原宿駅竹下口を出て通りを横切り左に折れて坂を上りきったところに代ゼミ原宿校はありました。

浪人した級友はほとんど駿台に行ったので、教室に知った顔はいません。
100人ぐらいは入る大教室に座っていると、次々と講師が表れて授業をしてゆきました。

講師の先生方はおおむね話が面白く、長い授業も退屈せずに聞くことができました。
年次契約だから人気がないとすぐに首を切られる、だから講師も必死なのだと訳知り顔の誰かが言いました。

先生方の話は今でもよく覚えています。
例えば、英作文の先生は「英語と日本語では文化が違うから、日本語で考えても英語にはならない。だから、フレーズを丸ごと覚えていくしかないんだ」とおっしゃっていました。
英作文が苦手だった私は目からウロコが落ちたような気がしました。

教室には「日々是決戦」の書があちこちに張られていました。
「日々是決戦じゃなくて、日々是決算だろう」というジョークは代ゼミ生に代々伝えられているものでしょう。
さしもの代ゼミも今度ばかりは決算に失敗したようですが…。

昼になると皆1階に下り、そこにある梅本スタンドのウドンで腹を満たしました。
すぐにウドンに飽き、私は昼休みになると原宿の町をぶらつきました。

当時の竹下通りは今のように栄えておらず、人影もまばらでした。
通り沿いに並ぶ喫茶店に日替わりで一軒ずつ入り、モーニングセットの食べ比べをしていました。

代々木公園の入り口あたりで、同じ年ぐらいの少年に声をかけられたことがあります。
赤っぽい縮れ毛の人の良さそうなヤツでしたが、歯が欠けていて目の焦点が合っていませんでした。
おそらくシンナーの常習者でしょう。

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原宿駅 右手奥に代ゼミ原宿校があった

代ゼミの授業が終わった後、私はよく高田馬場に寄り道をしました。
早稲田松竹かパール座、この二つの名画座のどちらかで映画の2本立てを見ました。
当時は邦画だとATGの映画が全盛で、芸術性の高い映画とは暗くてドロドロしたものだと思いこんでいました。
でも、ATGの映画は今でもまた見たいような気がします。

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早稲田松竹は現役、パール座は平成元年閉館   松田優作主演の「家族ゲーム」はATGでもメジャーな作品

中学高校時代の友人たちと、山水というビリヤード場で玉突きもしました。
このころにはもう一人前にタバコを吸っていたような気がします。
浪人生の吸うタバコはハイライト、その心はHI light、(大学に)ハイリテー。
実際はセブンスターを愛好していましたが…。

sansui
 山水もまだ現役みたいです

お酒の味もこのころには覚えていました。
高校時代の友人たちと数か月にいっぺん集まって中野の居酒屋で飲むのが最大の楽しみでした。
よく行っていた居酒屋”赤ひょうたん”は今も健在です。

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 趣は昔とはだいぶ違う

こんな感じで浪人時代をやり過ごし、次の年の春には何とか大学にもぐりこむことができました。

何をしていても薄い灰色の膜がかかっているような暗い浪人生の生活でしたが、代ゼミ生時代は確実に青春の1ページでした。