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ブログ再開しました。 以前ほど頻繁に更新できないかもしれませんが、ぼちぼちやっていきます。

タグ:9月29日

本間家11代目当主、本間万紀子さん。

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水戸藩主、徳川斉昭公直筆の掛け軸。

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加藤清正公が朝鮮から持ち帰ったと言われる青磁。

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本間家は商いで得た利益を4つに分けた。
① 寺社への寄進
② 公共事業への寄付
③ 藩の支援
④ 本間家の家計

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当主のお話をカラスが邪魔するw

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カラスを叱るw

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石クイズを出されて当惑する林田アナ。

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庭には全国から集められた石がある。

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なぜ全国から石を運んできたのか?

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空荷になると船が不安定になる。

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北前船は帰りは船底に石を積んで船を安定させていた。

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必然的に全国の石が酒田に運ばれる。

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北前船で繁栄を極めた酒田はまさに日本の中心でした。

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タモリさんたちは港が一望できる日和山公園にやってきました。

酒田港の弱点とは?

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強風。

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酒田では風速10m以上の日が年間100日を超えることもあります。

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風が強いのに海岸線はフラットで、船が避難する場所がない。
なぜこのような港が西廻り航路の起点として繁栄できたのか?

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その理由がわかる場所に行く前に、まさかの山村先生退場w

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タモリさんたちは酒田港にやってきました。

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飛島行きのフェリー乗り場

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鳥海山は2236m。
「夫婦で見ろ」で覚えてください。

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この飛島があったから、酒田港は西廻り航路の起点になれた。

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地図を見た時の二人の温度差が著しいw

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フェリーに乗って沖合39kmの飛島に向かいます。

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酒田港ー飛島はフェリーで1時間15分。

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最上川からスタート。

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山形県酒田市。
二人とも初めての訪問。

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晴れていたらこんな感じ。

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旅のお題は「山形・酒田はなぜ日本の中心!?」

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案内人は酒田市役所の小林和也さん。

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旅のお題が腑に落ちないタモリさん。

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東京から酒田まで約350km。

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今回の核となる”北前船”を早々に指摘してしまう。

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北前船:
江戸時代に日本海側の物資を大坂に運んだ船
新潟・福井・広島といった主要な港に立ち寄り
米、塩、衣類などを中心に売買した

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なぜ酒田が(北前船の)西廻り航路の起点になったのか?

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第113回 山形・酒田

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最初にやってきたのは最上川のすぐ近くを流れる新井田川。

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屋形船で待っていたのは京都大学の山村亜希先生。
名古屋・熱田の回にも登場した港町の歴史の専門家です。

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出航。

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船内はこんな感じ。

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天気が良ければ鳥海山が見えるそうです。

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最上川は全長229km。
全国7位の大河川です。

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舟からの荷揚げのためのスロープ。

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上陸して、かつての最上川舟運の主力商品を見に行きます。
これがあったから、酒田は西廻り航路の起点になり得た。

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全長160mの巨大倉庫。

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山居倉庫

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ヘルメットを被って倉庫の中を見学。

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最上川舟運の主力商品は米だった。

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江戸時代の酒田では多いときには年間65万5000俵の取り扱いがあった。

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ロケ地:川崎・根本造船所
本日の気温約35℃。

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前回放送で紹介した暑さ対策のファン付き作業服とファン付きヘルメットで快適。

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ゲストはバイきんぐの小峠英二さんと西村瑞樹さん。

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小型船舶1級を取得しているアウトドア派の西村。

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今回のテーマは船底塗料。

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船の歴史は船底塗料と海生生物の戦いの歴史でもあります。


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船の底はなぜ赤いのか?
船底塗料にまつわる様々な謎をひも解いてゆきます。

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1990年代、環境汚染につながる有機スズ化合物を含む船底塗料が禁止になる。
その後は改良された船底塗料が出てきているのではないか。

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船底塗料の最新情報を教えてくれるのは、千葉工業大学の柴田清先生。

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先生もファン付き作業着で快適。
バイきんぐと待遇が違うw

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船底塗料はなぜ必要なのか?

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フジツボや海藻が船底につくと、船のスピードが落ち燃費が悪くなる。
フジツボや海藻がつかないように、船底塗料が塗られている。

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紀元前の古代ギリシャでは、船底にタールやワックスを塗っていた。

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大航海時代の15~16世紀、コロンブスは船底に樹脂や牛脂を塗っていた。
そして、1625年、イギリスで船底塗料の特許第1号が生まれる。
しかし初期の特許の多くにはヒ素や水銀などが含まれていた。

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19世紀頃になると木造船から鉄船になり、多くの船底塗料が開発される。

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ところで、船底塗料に赤が多いのはなぜ?

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フジツボなどが付かないように毒物を塗っている。
銅系が多く、現代の主流は亜酸化銅。
船底の赤は亜酸化銅の色。

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ここからは船底塗料についてのあれやこれやを学びます。

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小峠がしっかり拾うので、タモリが安心してボケたおすw

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① 我が国で初めての特許は船底塗料

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明治18年、漆工芸家の堀田瑞松が船底塗料で特許第1号を取得。

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漆が主成分。
生姜や酒も入っている。

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② 日本海海戦の勝因は船底塗料

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日本海海戦(1905年)
日露戦争末期、日本の連合艦隊が対馬沖でロシアのバルチック艦隊を破った戦い

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地球を半周してやってきたバルチック艦隊の船底に大量の海生生物が付着し、スピードが出なかった。

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バルチック艦隊の航路。

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