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ブログ再開しました。 以前ほど頻繁に更新できないかもしれませんが、ぼちぼちやっていきます。

タグ:12月23日









タモリさんたちは再び吉祥寺駅前に戻ってきました。

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ある出来事がきっかけとなり、吉祥寺に人が住み始める。
そのきっかけとは?

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タモリさんは何でもご存知。

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明暦の大火:明暦3(1657)年1月に起きた大火事
城・大名屋敷・市街地など江戸の大半を焼いた

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この大火で水道橋あたりにあった「吉祥寺」というお寺も焼け、この門前町の60軒ほどが井の頭池の周辺に引っ越してきました。

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吉祥寺村誕生。
吉祥寺に吉祥寺がないのは、名前だけが残ったから。

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ここからは吉祥寺の街がどのように開発されたのかを見ていきます。

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タモリさんが最初から気になっていた駅に対して斜めの道

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有名なハモニカ横丁。
バラエティー番組のロケでもよく登場します。

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やっぱりここも斜め。

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吉祥寺の町割りができたのは江戸時代。
五日市街道を基準にして町割りができました。

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近代になり、東西にまっすぐ鉄道が通ったので線路に対して道が斜めになっているのです。

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五日市街道を歩くタモリさんたち。

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五日市街道沿いの脇道は街道に対して直角にまっすぐ伸びています。

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五日市街道の両側にまっすぐ伸びる長い道は、実は江戸時代の住まいの痕跡でもあります。

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江戸時代の敷地。
間口が狭くて奥に長い。

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幕府は移住した人々に短冊状の土地を与えて開墾させた。

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玄関がメインロードに面するよう街道沿いに敷地が並ぶ。

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短冊状の敷地の長さを歩いて確かめてみる。

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歩き始めて10分。
まだ道は続く。

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江戸時代、500坪は激狭物件w

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20分歩いてようやく敷地の端に着く。

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敷地の間口は20間(約36m)、長さは634間(約1140m)。

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玄関から1キロ以上ある敷地!

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敷地の端には分水が流れている。

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玉川上水から分けられた千川上水という分水です。

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千川上水沿いにある野菜の直売所

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300年代々農家。

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直売所の裏手は畑。

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江戸時代、吉祥寺は江戸市中への野菜の供給地の限界だった。

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明治以降、吉祥寺は急速に発展します。
そのきっかけは鉄道開通でした。

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甲武鉄道(現在のJR中央線):
新宿ー八王子を結んだ
吉祥寺駅の開業は明治32年

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しかし、鉄道開通には大きな問題がありました。
本日3度目の駅前。

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象の鼻を持っている怪しい人は、吉祥寺サンロード商店街振興組合の安藤孝さん。

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吉祥寺駅はもともとここにできる予定ではなかった。

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五日市街道と交差する場所にできる予定だった。

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ところが周辺住民の反対で駅ができなかった。

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ではなぜ今駅がある場所はOKだったのか?

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その理由は商店街を歩くとわかります。

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商店街の中に忽然と姿を現したお寺

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門をくぐると広くて立派な月窓寺。

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地図を見ると、五日市街道沿いに4つのお寺が隣り合っている。
この寺々も明暦の大火の後にここに移ってきた。

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お寺にはこのように短冊状の広い土地が与えられていた。

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駅の場所が問題になった時、お寺が土地の提供を申し出て今の場所に吉祥寺駅ができたのです。

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駅が開業して17年後に井の頭恩賜公園が開園。
街は観光客で賑わうようになります。

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関東大震災後、被害の少なかった吉祥寺に注目が集まります。

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短冊状の土地は分譲しやすかったので、次々と家が建ち並びました。

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こうして門前町でもある駅前の商店街は今に至る繁栄を遂げました。

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商店街の特売のチラシ。

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お寺の縁日に合わせて、商店街もバーゲンをやった。

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井の頭公園を歩いていたら、ここに住みたくなる気持ちもわかってきた。

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公園のそばだから吉祥寺駅ができたわけでない。

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エンディング♪

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新春(1月2日)は鶴瓶師匠とのコラボ番組です。

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JR吉祥寺駅前からスタート。

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吉祥寺に来たのは、2回目の近江アナと3回目のタモリさん。

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吉祥寺はJR中央線で新宿に行け、京王井の頭線で渋谷に行ける。

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今回のお題は「なぜ人は吉祥寺に住みたくなるのか?」。

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吉祥寺は住みたい街ランキング第1位。

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実はタモリさんは住みたくはないw
東京に住んでいて吉祥寺2,3回しか来てないから、そもそも二人とも吉祥寺には興味ないw

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案内人は明星学園で地理を教えている高橋珠州彦先生。

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井の頭公園の存在が街の格を上げている。
吉祥寺で遊ぶといえば、だいたい井の頭公園散歩して、商店街で食事やショッピングですね。

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道路が鉄道に対して斜めなのが気になるタモリさん。

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いきなりポイントを突かれて焦る案内人w

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高円寺に高円寺はあるけど、吉祥寺には吉祥寺はない。

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駅から300mほど歩いて、井の頭公園の入り口に。
右手は有名な焼き鳥屋さん。

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井の頭公園は低い場所にある。

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井の頭公園の正式名称は「井の頭恩賜公園」。
皇室から賜った土地です。

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大正6年(1917年)、日本初の郊外公園として開園。

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江戸時代中頃の井の頭池。

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江戸時代はこのお堂が人々の目的地だった。

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お堂は今でもあります。

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お金持ちは小銭は持たないw

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神様は井の頭弁財天。
弁財天は水の神様なので水の湧くところで祀られていることが多い。

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ここから水を引いて江戸の人々の生活用水を賄っていた。

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神田上水:井の頭池を水源として江戸に初めて整備され上水道

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神田上水の絵図。

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日本橋。

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タモリさんたちが今いるところ。

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なぜここで水が湧くのか?、と思ったところで怪しい人発見。

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多摩武蔵野スリバチ学会の真貝康之さんがここに水が湧く理由を説明します。

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今回の新3大は大衆グルメの王様焼き鳥、その中でも”つくね”にスポットを当ててみました。

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有識者の焼き鳥ジャーナリストはんつ遠藤さんが、えりすぐりの3つをご紹介。

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① 岡山県・岡山市「一休庵

昭和29年創業。
岡山一古い焼き鳥屋「一休庵」。

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有識者の遠藤さんによれば、「他店とは焼き方が違う。外はこんがり香ばしく、中がしっとりした感じ」。

店主おススメの一本は親鳥の胸肉。
肉に旨味と歯ごたえがあり、間に挟んだ玉ねぎの甘みにマッチしています。

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一休庵のつくね、”みんち 2串350円”。
開店8時間前から仕込んだつくねの団子を店主が最高の状態に焼き上げます。
 
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 試食した番組AD「柔らかい、ふわふわ。外は香ばしいのに、中はジューシ-ですね」。
 
 ② 大阪府・東三国「とりや、圓

有識者の遠藤さんによると、「鶏肉自体のレベルが高い。肉の鮮度の良さがつくねで味わえる」。

焼き鳥屋激戦区の中で、不動の人気を誇る「とりや、圓」。

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備長炭で焼き上げた肉厚ジューシーな”せせり”。

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旨味が凝縮した貴重なモモ肉”ソリレス”。

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”つくね”はこれですが、有識者のおススメはこれではない。
 
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近隣の農家で朝引きした新鮮な鶏肉を使う生のつくね。
お客さんのほぼ10割が注文するそうです。

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本わさびと白醤油でいただきます。

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番組AD「口の中でほどけて舌触りがすごくいい。鳥刺しの旨味がしっかりあって、ほんのり甘くて白醤油とめちゃくちゃ合います」。

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