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ブログ再開しました。 以前ほど頻繁に更新できないかもしれませんが、ぼちぼちやっていきます。

タグ:100m







名古屋城を後にしてタモリさんたちがやってきたのは、城から1kmほど南の街の中心部

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案内をしてくれるのは、名古屋市教育委員会の木村有作さん。

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まず注目するのは名古屋の町割り。
城の南に正方形の区画が並ぶ。

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江戸時代の絵図と見事に一致。
家康が作った城下町の町割り(碁盤割)がそのまま残っています。

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歩数を数えて、区画の長さを確かめる。

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昭和のオジサンたちと平成生まれのコンパスの差w

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区画の一辺は約100m。

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家康は一辺約100mの正方形を並べて碁盤割の町割りを作ったのです。

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碁盤割があるのは、台地の上の城の南側。

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名古屋駅は台地から外れている。

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実は名古屋は台地の上がまず栄えた街。

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家康は城の前の碁盤割の区画に町人を住まわせていた。
町人を優遇することが、家康の狙いでした。

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碁盤割の区画の魚ノ棚通りにやってきました。

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地元では魚ノ棚をウォンタナという。
カルロス・ウォンタナ、ジョー・ウォンタナw

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狭い間口の町屋が建ち並んでいたことがわかる。

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秀吉が作った大阪の街も間口が狭かった。
そして町屋の入口が面しているのは東西の通り。

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名古屋は東西南北全部の通りに町屋の入り口が面している。

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大阪は南北の通りが寂しい。

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名古屋は全方向の通りがにぎやか。
家康の狙いは、名古屋の城下町の経済的な繁栄だった。

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しかし、区画の真ん中のスペースはどうなるのか?

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現代の街を歩いて見ると、真ん中のスペースと思われる場所にはタワーパーキングが建っていました。

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江戸時代には真ん中のスペースには寺社が置かれたり、町屋の共有地として使われたりしました。

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今回の新3大は女子陸上100mのマリーン・オッティ選手。
陸上をあまり知らない人でも40代以上なら彼女の名前は聞いたことがあるのではないでしょうか。 

オリンピックに7回出場し、メダルを9個獲得している偉大なスプリンター。
しかし彼女にはどうしても果たすことがなかった夢がありました。

① 1996年アトランタオリンピック女子100m

オッティ選手のオリンピックデビューは1980年モスクワ五輪 。
初出場ながら女子200mで銅メダル獲得!

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1984年ロサンゼルス五輪では優勝候補と目されながらも、100m、200mで銅メダル。

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さらに1987年の世界陸上でも100m、200mで銅メダル。

実力がありながら、銅メダルに終わってしまうオッティにつけられたあだ名が”ブロンズ・コレクター” 。
 
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1988年のソウル五輪では100mをケガで棄権。
200mでは4位と不本意な結果に。

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 先頭はジョイナー選手
 
引退も十分考えられる年齢(28)だったのですが、このままでは納得ができないオッティは新しいコーチの下でメキメキとタイムを伸ばし、素晴らしい戦績を残します。

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そして、32歳となったオッテイは優勝候補として1992年のバルセロナ五輪を迎えます。
しかし、200メールで銅メダル、またコレクションを増やしてしまいました。

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彼女はレース後「欲しいのはこの色じゃない」というコメントを残し、その後もさらに鍛え直して36歳で100m自己ベスト10秒74をたたき出します。

1996年アトランタ五輪。 
36歳にして悲願の金メダルを狙うオッティ。

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女子100m決勝。

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アメリカのディバース選手とほぼ同時ゴールイン。

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写真判定の結果、惜しくも2位に。 

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しかし、表彰式では銀メダルを取ったブロンズコレクターに観客席から万雷の拍手が送られました。 

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