続いて向かったのは、北におよそ5㎞の入り江。
奄美の人が米作りのためにした工夫をここで見ます。
案内をするのはこのあたりの歴史に詳しい学芸員の川元美咲さん。
米作りをする上での問題点。
それは奄美の地形は山が多く、平地がほとんどないこと。
そこで奄美の人たちは自然を生かした新田開発をしました。
ハブが心配なタモリさん。
ヒャンという小さいかわいい蛇もいるらしい。
ただしコブラ科でハブより猛毒w
浦の橋立。
ここが工夫の痕跡です。
浦の橋立のあるのがここ。
かつてここには川が運ぶ土砂によってできた広い浅瀬がありました。
そこに堤防を作り、海水をせき止めて干拓したのです。
だが、大きな問題がありました。
それは土でできた堤防の強度。
潮が満ちてくると水圧で堤防が壊れてしまう恐れがありました。
そこで、自然を生かした工夫がなされました。
その痕跡は、この岩山にあります。
穴が空いてる。
岩山に通されたこの穴の役割とは?
この通し穴は堤防に押し寄せる潮の逃げ道。
岩山の穴に海水を流し込むことで堤防にかかる水圧を減らしていました。
さらに堤防と水田の間に広い空間を作り、海水が水田に入らないようにしていたのです。
これだけ工夫したのは生活のためだけではありませんでした。
薩摩藩の支配下の奄美は、年貢として米を取り立てられていたのです。
しかし、奄美の土は栄養が少なく米の質が悪かった。
江戸時代の中頃になると、薩摩藩は別の作物を作るよう
要求します。
それが奄美の第二の宝になったのです。
その作物とは、サトウキビ。
タモリさんたちは製糖工場にやってきました。
サトウキビを齧るタモリさんと近江アナ。
とても甘いそうです。
サトウキビは温暖であれば栄養の少ない土でもよく育つ作物。
薩摩藩は米の代わりに奄美にサトウキビを作らせました。
サトウキビからできる奄美の二つ目の宝は、「黒糖」。
黒糖の製造現場。
サトウキビを絞った汁を煮詰める。
固めるために食用石灰を入れます。
昔はサンゴを焼いて砕いたものを使っていたそうです。
黒糖作りを体験するタモリさんと近江アナ。
煮詰まって粘り気が出てきた黒糖。
特別に黒糖の水あめを食べさせてもらう。
パクッ。
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