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ブログ再開しました。 以前ほど頻繁に更新できないかもしれませんが、ぼちぼちやっていきます。

タグ:鹿児島










さらに仙厳園の奥に進むと、島津家の資料を多く保管する尚古集成館の館長、松尾千歳さんが待っていました。

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石垣の上にあるもの…。

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反射炉
18~19世紀に使われた
鉄を精錬する金属溶解炉

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鉄を溶かして鋳型に流し込んで大砲をつくっていた。

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木炭を燃やして生まれた熱をアーチ状の天井に反射させて温度を上げ、効率よく鉄を溶かす。

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台場の大砲もここで造られたもの。

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まだ鎖国していたのでオランダの本を見ながら見たことのないものをつくった。

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家来にムチャぶりをした斉彬公。

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反射炉の土台の材料として欠かせなかったのが、たんたど石。

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反射炉の土台に潜入して、石組の技を見学します。

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剃刀の刃1枚も入らないと言われるほどの精巧な石組。

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土台の上には高さ16mのあるものが積まれていた。

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何万個もの耐火レンガを積み重ねて反射炉をつくった。

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そういえば、レンガを持っていた斉彬公(渡辺謙)w

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薩摩焼きの陶工たちに耐火レンガを作らせた。

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伝統の技で反射炉をつくり出した薩摩は一気に近代化が進む。

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薩摩の近代化の痕跡を求め、さらに奥に進む。

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ここは船の部品や工作機械などを作る工場だった。

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工場の外壁にもある工夫が見られる。

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大木先生によると、これは小野石と呼ばれる石。
小野石には断熱効果がある。

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小野石はどこからどうやってできたのか?

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たんたど石は姶良カルデラから生まれた。
すぐ近くで採れる小野石も姶良カルデラではないのか?

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小野石は加久藤カルデラから生まれた。

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鹿児島には複数のカルデラがあり、時代ごとに性質が違う火砕流を噴き出していた。

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続いてタモリさんたちが向かったのは鹿児島市内を走る路面電車の駅。
路面電車に乗って、城下町の秘密を探ります。

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鹿児島駅前電停から出発。

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線路に注目。

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ずっとカーブ?

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地図を見ても乗った区間はずっとカーブしていた。

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カーブの謎を解くヒントは石灯籠

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石灯籠は灯台の役目を果たしていた。

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電車で走ってきたカーブは、かつての海岸線だった。

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島津は江戸時代に海を埋め立て、城下町の範囲を広げた。

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海を埋め立てたことと、薩摩が明治維新の主役になれたことには関係がある?

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埋め立てた地域にはどんな人を住まわせたか?

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琉球の船。

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埋立地に商人たちを住まわせ、貿易を盛んにした。

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支配していた琉球を通じ中国の品を輸入、中継貿易により利益を上げていた。
幕末には藩の年収の3年分以上(約50万両)を蓄えていた。

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幕末の動乱期に金回りが良かった薩摩。
だから、明治維新の主役になれた。

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続いてタモリさんたちが向かったのは、路面電車の一駅隣の天文館

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タモリさんは半世紀ぶりの再訪。

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天文館:
南九州最大の繁華街・歓楽街
天体観測施設通称「天文館」に由来

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このあたりは武士の居住地域だった。

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地形から武士の町づくりの工夫を探ります。

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高まりを発見。

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高まって下がり、また高まる

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この高まりは川が流れていた痕跡?

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平安時代の甲突川。

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江戸時代に川を付け替えて、武士が住む町を新たに作った。

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現在の甲突川。

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薩摩藩は全人口の4人に1人が武士だった。

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5万人以上の武士階級が住むスーパー侍タウンが誕生。

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川を付け替えてまで大勢の武士を抱えたことが、幕末に大きく影響します。

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桜島を望む港からスタート。

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桜島。

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旅のお題は大河がらみ?

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「なぜ鹿児島は明治維新の主役となれた?」
ほぼほぼアタリw

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鹿児島(薩摩)出身の明治維新の立役者たち。

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案内人はかごしま探検の会代表理事、東川隆太郎さん。

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現在位置確認。

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関ケ原の戦いに敗れた島津だが、島津の江戸時代の国づくりが明治維新の原動力になった。

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鹿児島を代表する城、鶴丸城を見るといろいろなことがわかってくるそうです。

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ということで、タモリさんたちは鹿児島市の中心部にある鶴丸城跡にやってきました。

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鶴丸城(鹿児島城):
慶長7年(1602年)に18代島津家久が築城
270年にわたって島津藩主の居城となった

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の幅は13m。
深さは80㎝。

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石垣に残る弾痕はほとんど西南戦争によるもの。
西南戦争:西郷隆盛を盟主にして起こった不平士族による武力反乱

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石垣も低い。

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熊本城に比べると守りが甘い。

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台本があるかの如く熊本城との比較フリップ登場w

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島津を意識した熊本城は鉄壁の守りを備えていた。

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鶴丸城は大大名の居城の割には小ぶり。

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あっという間に本丸跡地に到着。

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堀から本丸まで約60mしかない。

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建物があったころの鶴丸城。
鶴丸城には天守閣がない。

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攻められても大丈夫な秘密とは?

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本丸の裏は切り立った崖。

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実は本丸の裏にある城山が、城が無防備でも良かった理由です。

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