Halohalo online

ブログ再開しました。 以前ほど頻繁に更新できないかもしれませんが、ぼちぼちやっていきます。

タグ:飛鳥


斉明天皇の国造りの痕跡は、水時計の他にもありました。

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ここは字石神。

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明治時代に田んぼから出土されました。

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酒を飲む男と後ろから抱きつく女。

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飛鳥時代は迎賓館の噴水だった。

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本物は別の場所に。

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こっちはハリボテというか書き割り。

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石神から500mほど離れた田園風景。
ここに何がある?

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この列の田んぼだけ周囲よりも低い。

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飛鳥時代、斉明天皇がここに運河を掘らせた。

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石垣の石を運ぶために、ここに運河を作った。

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日本書紀に記載されていた石垣が見つかった。
タモリさんたちは石垣がある山に移動。

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船200艚で運んだ石垣の石。

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想像復元図。

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石垣を巡らせた理由は同じ山の上にありました。

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かの有名な酒船石。

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用途不明とされています。

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手塚治虫氏は「三つ目族がここで薬を作った説」を提唱。

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松本清張氏のゾロアスター教説。

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浅野アナの流しそうめん説w

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ああ、三輪そうめんも奈良だしね、オイッ。

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山の麓で発見された亀型石造物。
この石造物から、山は斉明天皇が政(まつりごと)を行った場所ではないかと考えられています。

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ここの水を汲み、山の上の酒船石で政を占う。

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飛鳥時代は石の時代だったのね。

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タモリ「知ることとわかることはぜんぜん違う」
飛鳥時代を実感したタモリさんでした。

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エンディング♪

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ここは明日香村。

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歴史上は”飛鳥”と書いて「あすか」。

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現在位置確認。

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旅のお題は「なぜ飛鳥は日本の国の礎となったのか?」。

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案内人は、奈良大学の相原嘉之先生。

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確かに歴史で飛鳥時代はあったけど、何を習ったか覚えていない。
大昔だから、わからないことも多いんだろうな。

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日本の都の変遷(主なもの)。

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飛鳥で戸籍、税、貨幣といった国の礎が作られた。

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大化の改新(乙巳の変)ごっこ始まりました。

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中大兄皇子&中臣鎌足に討ち取られた蘇我入鹿。

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蘇我入鹿暗殺事件が乙巳の変。
その後の政治改革が大化の改新。
学校では2つまとめて大化の改新と習ったような気がする。

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第162回 奈良・飛鳥

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当時大きな権勢を誇っていた蘇我入鹿とはどんな人物だったのでしょう?

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石舞台古墳。
思い出した、中学の修学旅行でここに来たわ。

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古墳をCGで再現。
石舞台はいわゆる石室だったのね。

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ここは蘇我氏のお墓だそうです。

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一般人はおいそれとは入れないんだろうな。

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巨大な石室は蘇我氏の強大な権力の証。

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古墳デビューが石舞台。
こんな大きな石室は他にない。

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「石が礎(いしずえ)」
でもまあその通りじゃないかな。

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次にタモリさんたちがやってきたのは、石舞台古墳から1.5キロの場所にある集落。
蘇我氏が作った”あるもの”とは?

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案内をするのは奈良文化財研究所の西田紀子さん。

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お寺の今月の標語。
タモリ倶楽部でもやってたな。

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「のぞみはありませんが、ひかりはあります」
もう大喜利だなw

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庭石が飛鳥時代の礎石なんて渋すぎる。

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礎石アップ。

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昔は地面を掘って柱を埋め込むのが一般的。

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日本で初めて礎石を用いた建物とは?

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日本最古の本格的寺院、飛鳥寺。

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現存する日本最古の仏像。
609年生まれの1412歳w

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蘇我氏は仏教を国造りの根幹にしようとした。

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タモリさんたちは東院伽藍のすぐ近くにやってきました。

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ここで見るべきポイントは高低差。

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住所は法隆寺北。
東院伽藍から西院伽藍に向かって歩いています。

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西院伽藍の五重塔が高い場所にあるように見える。

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法隆寺は地盤がしっかりしている尾根を削って建てられている。

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地盤がしっかりした場所に建てないとピサの斜塔みたいに傾いてしまう。

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法隆寺は当時の都、飛鳥から20kmも離れている。

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なぜ聖徳太子は斑鳩に法隆寺を建てたのか?

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タモリさんたちは斑鳩の立地を探るため、7キロ離れた明神山にやってきました。

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法隆寺の背後に比叡山が見える。

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右手には東大寺と若草山。

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大阪方面を見ると淡路島と明石海峡大橋が見える。

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ところどころ森のように見えるのは百舌鳥古市古墳群。

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あべのハルカスもみえる。

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大阪平野と奈良盆地、両方の名所を一望できる絶好のロケーション。

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ここを流れる大和川は、かつては海の玄関口の難波までつながっていた。
都から船で海を目指すとき、斑鳩は必ず通る場所。

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斑鳩が交通の要衝だったから、聖徳太子は法隆寺を斑鳩に建てた。

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また、随からの使者が大和川を上って斑鳩を通るとき、法隆寺を目にすることになる。

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法隆寺は国際的に認められるためのシンボルとしての役目も果たしました。

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新人さんの感想。

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エンディング♪

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次回(4月18日)は奈良飛鳥です。

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巨石と言われて、有吉くんがまず思い浮かべたのが…。

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有吉「エアーズロックとか…エアーズロックって今言わないのか」
青山「ウルル」
マツコ「そう、ウルル」
有吉「”うるるとさらら”のうるるで覚えてんだ、オレ」
マツコ「そういう覚え方するから間違えるのよ。やめなさい!そういう覚え方」w

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エアーズロックは、いつの間にかウルルになっていました。
エアーズロックはイギリス人の探検家がつけた名前。
ウルルは地元の先住民が呼んでいた名前。
ポリティカル・コレクトネス的な政治的配慮があったのでしょうか。
 
日本の巨石といえば、奈良の石舞台古墳が有名ですが、今回は明らかに人の手が入っているのにもかかわらず、何のために作られたのか起源がいまだに解明されていない古代の巨石の新3大です。
 
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このような起源がわからない巨石は日本中に存在しているそうです。

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30年間で1000か所以上の巨石巡りをしている有識者の大野治夫さん(70)が、選りすぐりの巨石を紹介してくれます。

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岩手県・続石(つづきいし)

やって来たのは、河童伝説で有名な岩手県・遠野市。

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町はずれの山を登る途中、おなかに集めた石の話を語る大野さん。

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胆石が55個あったそうですw

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山道を登ること15分。
ついに続石にご対面。

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7×5×2mの巨石が上にのっています。

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 しかもよく見ると、左の石に巨石はのっていない。

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大野さんはここが”古代人がお祭りをする場所”と推測しています。
*古代人の墓という説もあるが、真偽は不明

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民俗学者、柳田圀男の「遠野物語」には続石は弁慶が持ち上げて作ったという伝説が収録されています。

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この伝説によると、弁慶は続石の近くにある泣石を土台にしようとしたのですが、

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プライドが高い泣石は(巨石に)踏みつけられる暮らしを泣いて嫌がったのだそうです。

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大野「石風情が生意気に」w

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”~風情が生意気に”
今ではなかなか聞けない差別的表現ですがw
逆にこの毒舌に大野さんの石への愛を感じます。

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奈良県・益田岩船(ますだのいわふね)

やって来たのは、奈良県・明日香村。
ここは約1400年前の飛鳥時代の史跡が多く散在している場所。

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これは亀石。

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こちらは酒船石。

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