今回のテーマは「”杜の都”仙台の秘密とは?」。

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確かに仙台といえば、”杜の都”というフレーズがくっついてきます。
私は2度仙台に行ったことがありますが、言うほど緑が多いようには思えませんでした。
仙台の街は他の地方都市とさほど変わりません。 
”杜の都”の秘密…ちょっと興味を引かれるお題です。 

案内人は前回に引き続き、仙台市教育委員会の木村浩二さん。

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木村さんによれば、明治42年の観光案内にすでに”森の都”という記述がみられ、”森(杜)の都”とは江戸時代に作られた仙台の町並みを指すのだそうです。

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最初に案内されたのは、定禅通りから南に1キロの場所。
江戸時代の石垣を発見します。

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 ところが、石垣は途中から新しい石垣(明治以降)に代わり、その後また古い石垣になっています。
これは何を意味するのでしょうか。
 
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 実は新しい石垣があるところは元々は石垣はなく、武家屋敷の門があったのだそうです。
江戸時代、仙台の城下町の7~8割は武家屋敷の敷地だったそうです。
 
伊達政宗は関ヶ原の合戦以前は、最大120万石の領地を持っていましたが、徳川の時代になってからはほぼ半分の62万石に減らされました。 
しかし、政宗は家来をリストラすることなくそのまま召し抱えていたそうです。
十分な碌(給料)は与えられなかったので、政宗は武士たちに庭に実のなる木や燃料になる木を植えさせ、家計の足しにさせたのだそうです(防風・防雪林としての役目もあったようです)。
こうして、仙台の城下町は武家屋敷の実用的な木々に覆われ、杜の都と呼ばれるようになりました。

一行は元武家屋敷(現在の仙台高等裁判所)の樹齢200~300年の江戸時代の木々を見た後、さらにとある豪邸を訪ねます。

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眼下に広瀬川と街を一望できる本物の豪邸。
(ググったところ七十七銀行の氏家頭取のお宅らしい) 
昔は広瀬川に面して藩の重臣の御屋敷がずらりと並んでいたそうです。

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庭もちょっとした公園ぐらいあります。
タモリさんは由緒ある木にたどり着く前に珍しい石に引っかかりました。
川底の岩が石と川の流れで削られてできる穴 、甌穴(おうけつ)というそうです。

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この御宅の庭にあるのは政宗が城下町を開く前からあった樹齢1000年の杉と樹齢350年のエノキ。

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木の根元には戦時中に作られた防空壕もありました。 
防空壕の中は相当広く、明かり取りの小窓もついています。
戦時中は一時60人ほどがここに避難したそうです。

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昭和20年7月10日の仙台空襲で市内の中心部は焼け野原になり、古くからあった杜のほとんどはこれによって焼失したのだそうです。

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現在ある市内の街路樹は、仙台市民が政宗の遺志を継いで新たに植えたものだそうです。 
 
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