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ブログ再開しました。 以前ほど頻繁に更新できないかもしれませんが、ぼちぼちやっていきます。

タグ:近江

成田山新勝寺。
放送は1月2日、収録は12月初め。

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今日のブラタモリは、鶴瓶さんの「家族に乾杯」とコラボです。
 
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スタジオでオープニングトーク。

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鶴瓶さんは近江アナとは初対面。

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前半はブラタモリ。

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旅のお題「なぜ成田山新勝寺は初詣客日本一の寺?」。

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案内人は学芸員の矢嶋毅之さん。

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2016年初詣人出ランキング。
成田山新勝寺はお寺では1位です。

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本堂が1000年前に建てられたと発言して、案内人に鼻で笑われる鶴瓶さん。

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現在の本堂は昭和43年に建てられたもの。

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幕末に建てられた前の本堂(左)も江戸時代中期に建てられた前の前の本堂(右上)も残されています。

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前の前の本堂には東京の魚河岸が奉納した額があります。

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これは東京の落語家たちが奉納。
成田山は江戸っ子に信仰されていました。

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このお堂が建てられたから、成田山新勝寺は有名になった?

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本堂建立の借金を返済するため、ある戦略がとられた。

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成田山のご本尊(不動明王像)を江戸まで運んで公開した(出開帳)。
こうして成田山は江戸っ子の信仰を集めた。

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ご本尊にお願いをする近江アナw

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また、ある有名人が参拝したことで、成田山は有名になった。

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タモリさん一行は、ある有名人が参拝した前の前の前の本堂に移動します。

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現在の本堂はこの本堂の面積の20倍。

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初代市川團十郎が参拝したことで成田山は有名になった。
成田山に後継ぎ(子宝)を祈願。

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願いがかなった團十郎は恩返しに成田山を支援。
成田山の出開帳(ご本尊の江戸公開)に合わせて、成田山のご利益を描いた歌舞伎を披露。

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市川團十郎と出開帳。
この二つの戦略で、成田山新勝寺は躍進を遂げる。

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先週の続き。
青木ヶ原樹海を歩くタモリさんたち。

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お題の復習。
「日本を支えた!?樹海の正体とは?」
今週も樹海の正体を探っていきます。

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青木ヶ原樹海を作った貞観噴火の火口。

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この火口は火口列の一つ。
*詳しくは先週の「富士の樹海」をご覧ください。

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火口の奥を探索。

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案内人の千葉さんは、さらに奥に入り、火口の証拠を採取します。

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火口の証拠とは赤く焼けた土。
マグマの熱で平安時代の地層がレンガ色になっているのだそうです。

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せっかく照明さんがいるので火口で記念写真。
右奥が赤くなっているのがわかります。

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続いてタモリさん一行が訪れたのは、山梨県鳴沢村
青木ヶ原樹海の東の端、溶岩流の末端になります。

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樹海を生んだ火口から直線距離で約6㎞の地点。

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目の前の国道は登り坂。

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溶岩の末端の崖をならして、傾斜の緩やかな道路にしてあります。

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国道沿いの民家の裏庭で溶岩の末端を見ることができました。

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溶岩の末端の崖は”末端崖”という。

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溶岩でご機嫌のタモリさん。

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溶岩の断面がむき出しになっている場所

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ここは昭和50年代まで溶岩の採石場でした。
溶岩の下の土(平安時代の地層)をかき出して、溶岩の自重で溶岩を崩したそうです。

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高度経済成長期、溶岩は土木工事の資材に使われていました。
昭和39年に開通した富士スバルライン(山梨側の麓と富士山5合目を結ぶ有料道路)の建設資材として青木ヶ原樹海の溶岩が使われたのです。

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採石場の人たちは、気泡が少なく高値で取引される溶岩を”ロース”、気泡が多い溶岩を”アワ”と言ってたそうです。

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溶岩といえば、溶岩焼き。

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嵐山・渡月橋前からスタート。
 
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初登場の近江アナ。
高知生まれ東京育ち、1988年生。
職歴:NHK熊本→NHK福岡→東京アナウンス室


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ぼやくタモリさんw

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今回のお題は、「嵐山はナゼ美しい!?」。

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 案内人は、京都大学で造園学を研究している深町先生。

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 嵐山といえば、今タモリさんたちがいる渡月橋の景色が有名ですが、実は平安時代の人々が美しいと思ったのは別の場所だったそうです。

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 一行は渡月橋から西へ700mほどの小高い丘に移動。
ここから眺められる渓谷美が、平安時代の人々にとっての嵐山だったのです。

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さらに室町時代になると、人々はより積極的に自然に手を加えた新しい美を生み出しました。
一行は、一歩進んだ嵐山の新しい美を見に、街中にある天龍寺に移動します。

ここで、ブラタモリ3回目の出演となる京都高低差崖会の梅林さんと合流。

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天龍寺の庭、曹源池庭園。
ほぼ作られた当時のままの貴重な庭園です。

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池を中心に石や植物が配置されています。

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このアカマツは、嵐山にもたくさんある木。
嵐山の自然を庭園に取り入れて、連続性をもたせています。

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この庭園の中景になる斜面が、実は地形上のポイントになります。
 
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前景、中景、後景をエグザイルで説明するw

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さて、この庭園の斜面ですが…。

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この斜面は”断層崖”でした。

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庭園を設計した夢想疎石(1275~1351)は自然美(断層崖)を巧みに取り入れてこの庭を造ったようです。 

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夢想疎石が定めた嵐山の美景、天龍寺十境。
この十境の共通点は、いずれも平地と斜面が出会う”へり”にあるという事です。

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一行は嵐山の美のポイントとなる斜面をさらに詳しく探るために嵐山国有林に移動します。

嵐山は40度の急斜面。

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急斜面なのでそこに生える木の一本一本がしっかりと見え、嵐山の遠景を美しくしていたのです。

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嵐山周辺の人々はしっかりと根を張って土砂崩れを防ぐ桜やモミジを嵐山の急斜面に植え、嵐山の景観を守ってきました。

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タモリさんも未来の嵐山のために山桜を植樹しました。

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