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ブログ再開しました。 以前ほど頻繁に更新できないかもしれませんが、ぼちぼちやっていきます。

タグ:路面電車










続いてタモリさんたちが向かったのは鹿児島市内を走る路面電車の駅。
路面電車に乗って、城下町の秘密を探ります。

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鹿児島駅前電停から出発。

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線路に注目。

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ずっとカーブ?

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地図を見ても乗った区間はずっとカーブしていた。

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カーブの謎を解くヒントは石灯籠

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石灯籠は灯台の役目を果たしていた。

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電車で走ってきたカーブは、かつての海岸線だった。

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島津は江戸時代に海を埋め立て、城下町の範囲を広げた。

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海を埋め立てたことと、薩摩が明治維新の主役になれたことには関係がある?

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埋め立てた地域にはどんな人を住まわせたか?

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琉球の船。

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埋立地に商人たちを住まわせ、貿易を盛んにした。

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支配していた琉球を通じ中国の品を輸入、中継貿易により利益を上げていた。
幕末には藩の年収の3年分以上(約50万両)を蓄えていた。

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幕末の動乱期に金回りが良かった薩摩。
だから、明治維新の主役になれた。

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続いてタモリさんたちが向かったのは、路面電車の一駅隣の天文館

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タモリさんは半世紀ぶりの再訪。

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天文館:
南九州最大の繁華街・歓楽街
天体観測施設通称「天文館」に由来

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このあたりは武士の居住地域だった。

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地形から武士の町づくりの工夫を探ります。

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高まりを発見。

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高まって下がり、また高まる

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この高まりは川が流れていた痕跡?

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平安時代の甲突川。

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江戸時代に川を付け替えて、武士が住む町を新たに作った。

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現在の甲突川。

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薩摩藩は全人口の4人に1人が武士だった。

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5万人以上の武士階級が住むスーパー侍タウンが誕生。

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川を付け替えてまで大勢の武士を抱えたことが、幕末に大きく影響します。

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雁木タクシー登場。

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船に乗って、街と三角州の関係を探ります。

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川岸のあちこちにある雁木。

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川の分岐点にやってきました。
中州の通称サギ島

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その名の通り、サギがたくさんいます。

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船は下流にやってきました。
小舟がシジミ漁をしています。

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大粒の広島のシジミ。

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高低差がない三角州のため、満潮時には海水が内陸にかなり入り込みます。
一帯が汽水域になるため、ヤマトシジミが生息できるわけです。

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船の上でシジミ汁。

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そこに電車が…

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鉄道のニュージャンル、汁鉄w

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シジミの身も大ぶりです。

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続いて船は江戸時代に特別な場所だった平和記念公園の近くへ。

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この辺りはいたるところに雁木(船着き場)があります。

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江戸時代の絵図でみると、このあたり。

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広島城に近く、川に囲まれた今の平和記念公園周辺は物資が行きかう一大商業地だったのです。

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原爆ドームのある場所は、江戸時代には広島藩の重要な施設がありました。

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広島藩の年貢米を収める蔵がありました。

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もちろん、雁木もあります。

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1915年に建てられた広島県産業奨励館。
現在は原爆ドームとして世界遺産に登録されています。

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 広島県産業奨励館は、この辺りが経済の中心地だったからこそ、この場所に建てられたのです。

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今回のブラタモリは西鉄薬院駅前からスタート。
タモリさんは子供の頃この界隈に住んでいたことがあるそうです。

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その当時はまだ高架はなく、私鉄と市内電車(路面電車)が直交していたそうです。

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交差地点を電車が通過するときの音が、タモリさんには深く印象に残っているようです。
この場所が、タモリさんが鉄道ファンになった原点。

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ここで、今日のお題。
”福岡発展のカギは鉄道にあり!?”

1889年(明治22年)当時、九州の都市別人口では、福岡市は鹿児島市(57822人)、長崎市(54502人)に次ぐ第3位(50847人)。
現在福岡市は150万超の人口を抱える九州最大の都市です。
この発展の秘密を鉄道を手掛かりに探っていきます。

一行は薬院駅から隣の駅の西鉄福岡(天神)駅に移動します。
40年ぶりに西鉄に乗るタモリさんはノリノリで指さし確認w

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タモリさん一行がやってきたのは天神地区。
大型商業施設やオフィスビルが集積する九州最大規模の繁華街です。

昭和45年当時の天神地区。
市内電車が走っています。

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天神が発展したのは市内電車が交差して、交通のハブになったからだそうです。

江戸時代は商人の町博多と武士の町である天神は分離した存在でしたが、明治43年、電力王と呼ばれた松永安左エ門が中心となり商人の町と武士の町を繋ぐ路面電車を開業します。

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さらに翌年、博多一の商人、渡邉與八郎が天神で交差する形でもう一つの路線を作りました。

二つの路面電車が交差することになった天神は、交通の要衝となり、 発展してゆきます。

福岡市の路面電車は昭和54年にすべて廃線になりましたが、西鉄バスが用意したブラタモリ号でその痕跡が残る場所を見に行きます。

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ブラタモリ in 福岡   天神⇒鉄路の痕跡

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歩道で待ち受けていたカメラマンがとらえた貴重な2ショット。

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天神から東に3キロ、馬出(まいだし)地区でバスを降ります。
昔の路面電車専用軌道に電停(路面電車の停留所)が残っていました。
今はそのままバス停として使っているそうです。

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勝ち運の神様がいることで有名な筥崎宮(はこざきぐう)の前にも路面電車が走っていました。

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右側の白い鉄塔は、路面電車のレールでした。

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大正13年、福岡の発展を加速させる新たな鉄道が誕生します。
天神を起点にして、のちに大牟田まで繋がる大牟田線です。
(現在は天神大牟田線として1日約25万人が利用しています)

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これによって天神にはデパートなどができはじめ、昭和15年には福岡市の人口は30万6763人にまで増加します。

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大牟田線の旧車両313形(昭和27年製)。
昭和50年まで旧車両が走っていたそうです。

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この車両は間もなく解体されますが、運転席も案内してもらいました。

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運転席を後ろから覗いていた昔を懐かしむタモリさん。

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コンプレッサーの音のモノマネは鉄道ファンの定番(?)。

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タモリさんが大牟田線を利用していた昭和30年代、大牟田線は年間乗客数8000万人、路面電車は1億人を突破していました。

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