明智平のロープウエイから番組スタート。
高所恐怖症なので、笑顔でもこぶしをギュッと握っているタモリさんw

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明智平展望台から望む華厳の滝と中禅寺湖。

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本日のテーマは「日光はなぜNIKKOになったか?」
 NIKKOは、外国人も魅了する観光地 。

突然登場した案内人の小島さん。
生まれも育ちも中禅寺湖畔の郷土史研究家です。

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 小島さんに、外国人に日光が知られるきっかけになった場所を案内してもらいます。
 
 今日は日光でブラタモリ。

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日光の町はずれにある390年ほど前に建てられた武家屋敷。

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刀を振りまわせないように、天井が低くなっています。

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二階には一階に飛び降りる非常口が。

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この武家屋敷は1873年に外国人の宿泊施設として使われたのだそうです。

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ここに泊まったある外国人女性が日光を海外に紹介しました。

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イザベラ・バード(1831~1904)。
イギリス人の女性冒険家。
1878年(明治11年)の6月から9月にかけ日本を旅した。

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彼女が日本の様子を妹宛てに手紙に記し、その手紙をもとにまとめられたのが「UNBEATEN TRACKS IN JAPAN(日本奥地紀行)1880年刊行」。

本にはイザベラさんがスケッチしたこの武家屋敷も載せられています。

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彼女は本の中で、日光の景色の美しさを絶賛していました。

1891年(明治24年)にはイギリスの出版社が日本のガイドブックを刊行。
すでに明治時代には日光はNIKKOになっていました。

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外国人は奥日光(中禅寺湖)を目指し約500メートルの高低差があるいろは坂を登りました。

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大正時代末頃には中禅寺湖畔に多くの外国人の別荘が建ち並んでいます。

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各国大使館の別荘もたくさんありました。

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外国人別荘を見に船で移動します。

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中禅寺湖と男体山はヨーロッパの風景を思い出す?

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旧イタリア大使館別荘。
1928年(昭和3年)から1997年(平成9年)まで使用されていました。

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外壁には杉の皮が使われています。
自然と融和する”和の心”。

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1924年(昭和4年)当時の中禅寺湖畔。
ヨットレースが開催されていました。

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桑子アナ、NYCをニューヨークシティと読むw
NYC=Nantaisan Yacht Club
明治末ごろには外国人のヨットクラブができていたそうです。

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中禅寺湖はお気に召したようです。

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