Halohalo online

特にテーマは決まっていません。 興味のある記事があれば、ぜひぜひお立ち寄りを。

タグ:自転車









自転車業界からの幸せニュース。

b1

1970~80年代に流行したスーパーカー自転車。
私も中学生の時にセミドロップのスポーツ車を買ってもらったが、すぐ盗まれた…。

b2

自転車漫画家の宮尾岳さん。

b3

40年前の自転車が新品の状態で見つかった高知県の高知輪業、花虫商会。

b4

倉庫に昔のスポーツ車を20台ぐらい置きっぱなしにしてあった、と語る店主。

b5

自転車を見つけた息子に褒められ、ネット販売を始めてみた。

b6

倉庫を見せてもらう。

b7

今にも崩れそうな階段の上に自転車はあった。

b8

ゴミ箱は宝箱に変わった。

b9

シャインスター
定価49800円

b12

ネットオークションにて98000円で落札。

b10

ヤングウェイ
定価38800円

b13

188000円の値がつく。
セミドロップだから?

b11

丸石ヤングホリデー
定価55900円

b14

19万円で落札。
当時子供だった4,50代が買うんだろうな…。

b15

そして、倉庫に眠っていた超お宝自転車。

b16

1976年発売 アストロG

b17

このスタイルの変速ギア懐かしい…。

b18

続きを読む

ロケ地:渋谷区神宮前

第3次自転車ブーム到来。
第1次、第2次はいつ頃だったのか…。

bike1

ゲストはビビる大木さん、朝比奈彩さん。
そして少し遅れて、なぎら健壱さん。 

bike2

2012年に開校した東京サイクルデザイン専門学校。
国内はもとよりアジア各地から集まった自転車マニアたちの学び舎。

bike3

今回はアジア初の自転車専門学校に潜入します。

bike4

ナビゲーターは東京サイクルデザイン学校の講師、今野真一先生。

bike5

今野先生はハンドメイド自転車の世界大会でグランプリを受賞。
忌野清志郎さんの自転車も製作していました。

bike6

なぎらさん登場。
 「ブラタモリ?」w

bike7

東京サイクルデザイン専門学校は2年制と3年制の2コース。
生徒数約180名。
ビルディング、メンテナンス、設計・デザインの3つの科目を学びます。

bike8

ビルディングカリキュラムのメインはフレーム製作。
卒業までに一人6台ほどのフレームを製作します。

3年生の吉羽君はサドル一体型のミニベロを製作しました。

bike9

むき出しの激細サドルがポイント。

bike10

今野先生「サドルは座るものではなく、点(座骨)で支えるもの。点で支えられていれば大丈夫という理論も存在する。逆にサドルが柔らかすぎるとお尻が擦れて痛くなる」
ただ、これはちょっとやりすぎだそうですw

bike11

サドルの高さを調節できないので、製作者の吉羽君が乗ってみる。
痛くないそうです。

bike13

朝比奈さん(身長171㎝)が乗ったら、足がつくw

bike12
 
メンテナンスでは、自転車の組み付け、スポーク張りなど自転車店従業員に必要な技術を取得。

bike14
 
スポーツバイクに欠かせないフィッティングも重要な科目の一つ。

bike15

5㎜、1㎝ずれてくると疲れてしまうので、フィッティングは大事。
競輪選手は1㎜のズレにこだわる。
サドルのネジを締めるのも嫌がるそうです。

bike17

3年生唯一の女子、赤松綾さんが、フィッテングスケールと股下計測器を使ってタモリさんをフィッティング。

bike18

股下計測器は自動で上がる。

bike19

サドルの高さ=股下×0.875
タモリさんは75.5×0.875=66

bike20

正しいペダルの漕ぎ方:ペダルの軸を拇指球で踏む。
サドルの適正な高さ:脚が伸びるとき少し膝が曲がる高さ

bike21

さらにハンドルの位置を調整。
フィッティングのポイント:手・お尻・脚に体重が分散する位置に調整
 
bike22

続きを読む



 マツコ世代が懐かしいもの

いわゆる団塊ジュニア、アラフォーから40代前半。

matu1

 ジャージ

当時私は塾の先生をしていましたが、埼玉の中学生は塾にも8割がたジャージで来てました。

matu4

マツコさんが言っていたアシックスの旧ロゴ。
「アシックスは昔鬼塚タイガーだったんだ」と、訳知り顔の先輩が言うw

matu38


これはこの世代ピンポイントの流行りだと思います。
ぜんぜん知らない。

matu3

この目隠しのメッシュは結構昔から存在していたような気がします。

matu2
 
  お家あるある

ラジカセでテレビの音声を録音。

matu5

 そこへ何も知らないお母さんの乱入。

matu6

やり場のない怒りが…。
 
matu7

という4コマ漫画w 

matu8
 
朝ドラの「あまちゃん」でもこのネタやってました。 

matu9
 
黒電話とカバーと電話帳。
これはもう日本じゅうこうでした。
今でも高齢者世帯はこれだと思います。

matu39

これも日本中こうだった。
1960年代から続いていた流行り。

matu40

 遊び

80年代ゲームの時代に突入。
それ以前はかくれんぼやメンコというのは飛躍しすぎw
時代考証が甘い。

matu10

1980年発売 ゲーム&ウオッチ

matu11
 
1983年発売 ファミリーコンピューター
これは広い世代が知っているゲーム機。

matu41
 
吹いて入れなおす。
ファミコンカセットあるあるw

matu12
 
  自転車

当時の小中学生男子に流行った自転車。

 matu13

セミドロップで、5段変速。
昭和40年代頃は15~30段変速のセミドロップがありました。

matu14
 
ムダに派手なウインカーw
これも昔から流行っていました。

matu15

当時の少年。 
これをやっている子役は辱しめを受けているとしか思えないだろうなぁw

matu16
 
続きを読む

まずは今日のお菓子から…。
というか、触れずには済まされない大きさw
二代目お菓子ちゃんは攻めの人。

bini1

味はほぼカリントウだそうです。

bini2
 
本題に入ります。
 
会社員(31)男性からの投稿、「最寄駅まで自転車を使うが、雨が降る時のために自転車に傘をセットしている。しかし、突然雨が降った日は90%傘が盗まれている。なぜそんなことができるのか?」といった内容です。

bini3

この投稿を聞いた時、大方の人は「9割も盗まれているのだから、傘を自転車にセットするのはやめればいいのに…」と思ったのではないでしょうか。
私もそう思いました。

bini4

ここで正しい正しくないを議論しても意味はない。
現実に起きている問題に対処すること、それが賢いやり方、多くの人はそう思うのではないでしょうか。

ただ、よく考えてみると、正しいことを貫こうとする人というのは社会にとって必要な人です。 
悪い事なのに、大勢がやっているから自分もやる、という風潮になったら世の中めちゃめちゃになります。
巨悪を暴くことは、自分に降りかかるリスクも大きい。
だから、見て見ぬ振りをするのが賢い。
これでは悪人が得をするばかりです。
危険を顧みず正義を貫こうとする人がいるから、世の中なんとかバランスが取れているわけです。
 
 bini5

ビニール傘から、話が大げさになってしまいましたが、小賢しく立ち回ろうとする人間が多い昨今、こういう愚直なまでの頑固さは貴重です。

それはさておき、傘は他のものと比べると確かに盗まれやすい。
そもそも忘れてしまう人がとても多いモノだし、公共の場の傘立ても無防備な物が多い。
だから、つい困った時に持っていく、盗んだという意識はほとんどないのかもしれません。

でも、盗まれた方はとても腹立たしい。
だいたい加害者が困ったときは、被害者も困っている時(雨が降っている)。
 
私も最近体育館で傘を盗まれました。
しかもビニールじゃない、ちゃんとした傘。
日本人はモラルが高いという評判がありますが、残念ながらバレなければ(小さく)悪いことをする民族です


続きを読む


私はながらく自転車を買ってもらえませんでした。

幼稚園の頃から運動会などでかけっこをすると、いつもぶっちぎりのビリでした。
母親はそのドン臭さを危ぶみ、自転車に乗ることを私に許さなかったのです。

当時の子供たちは新たな遊び場を求め、公園から公園へハシゴをしていたのですが、私は走って自転車ガキ軍団のあとを必死に追いかけるしかありませんでした。

友達と遊びたい一心で毎日のように走るうちに、自然に私の足腰は鍛えられました。
そして忘れもしない小3の春、体力測定で50メートル走がありました。
自分でも驚いたのですが、私はクラスで一二を争う俊足になっていました。

晴れて自転車を買い与えられ、私は友達とあちこちに行きました。
ある時、近所のK君のお兄さんが私たちをタコの滑り台のある公園まで連れ行ってくれました。
初めて目にしたタコの形の滑り台…。
実はその公園は実家から歩いても10分弱の距離なのですが、当時の私たちにしてみればタコの滑り台は世界遺産マチュピチュを発見したぐらいの感動と驚きでした。

tako
これが現物だ 今も健在!

中学生になり、当時はやっていたセミドロップで派手な後部ウインカーのついた自転車を買ってもらいましたが、鍵をかけずに玄関先に置いておいたら盗まれてしまいました。

imagesCAGUNV0E
70年代に爆発的大ブーム

高校時代は自転車通学をしていました。
当時最先端のディスクブレーキが自慢の自転車でしたが、メンテナンスをしなかったせいかブレーキの利きはイマイチでした。

2年生の定期試験開始の当日の朝、学校前の坂道で同じ高校の女の子を跳ね飛ばしたことがあります。
試験前の睡眠不足でお互いぼんやりしていたのだと思います。
ほぼノーブレーキで女の子に突っ込み、彼女は信号待ちしていたタクシーの下に滑り込んでしまいました。
私はすぐに彼女に駆け寄ってタクシーの下から彼女を引っ張り出したのですが、そのコは「大丈夫です」と言い逃げるようにしてその場を去っていきました。

学園物のラブコメだと二人が出合い頭にぶつかってから恋が始まったりするわけですが、リアル世界のファースト・コンタクトはロマンスを始めるにはちょっと激しすぎました。

大人になってからも、自転車は私の良き相棒です。

若い頃は自動車のルーフに自転車を載せて友達と田舎に出かけました。
湖で釣りをして、飽きたら湖岸をサイクリング。
独身の休日はそんな過ごし方でした。

1度だけですが、ショート・トライアスロンに出場したこともあります。
その時は自転車で往復30キロの防潮堤を走ったのですが、青海原と岩に白く砕け散る波を眺めながら走れる素晴らしいコースでした。
静岡県の沼津で開催された大会でしたが、残念ながら今はありません。

つい数年前ですが、伊豆大島に旅行に行きました。

三原山を下るマウンテンバイクのツアーがあったので、それに友人と参加しました。
ちなみにメンバーはガイドの兄ちゃんと私たちの3人だけでした。

三原山は1986年にも噴火した活火山なので山頂近くの景色は別の惑星のような趣があって面白かったのですが、
このコースは想像以上の難所でした。

mihara
「バイクジャーナル 伊豆大島」 より抜粋

あまりにも急斜面の下りにさしかかり、このままでは転倒する恐れがあると思った私は自転車からスッと飛び降りました。

その判断は正しかったと思うのですが、そこまでに体力を消耗していたことと、自分が思っているほどもう若くはないという事実は想定外でした。

急斜面に降り立った私の足腰はその場に踏みとどまることができず、ダダッと斜面を下りだしたのです。
こうなるともう止まりません。
どんどん加速を増しながら、私は意志に反して下り斜面を猛ダッシュし始めました。

富士山ではこうやって死んでしまう人がたまにいるという話が、走る頭の中をかすめました。

制御不能になってゴツゴツした岩が所々にあるこの硬い斜面で転倒したら、ほんとうにたいへんなことになる。
私はほんの数秒の間にソフト・ランディングを決意しました。

少し枯草が生えている道脇を見つけ、そこにめがけて自分で飛び込んだのです。
まさに胴体着陸です。

ドウンッという鈍い音とともに、私の左胸に激痛が走りました。
「ウッ…ウ、ウー」
脇をしたたか打ちつけたので、息ができません。

友人とガイドの兄ちゃんは、なすすべもなく地面で悶絶する私を見下ろすばかりでした。

左の外脛は全面擦り傷、左側胸部打撲。
救急車を呼んでもらいたいところでしたが、山の中ではかなうはずもありません。
足から血を流しながら自転車で山を下り、さらに宿のある地点まで島を半周しました。

ある意味、思い出深い旅行になりました(笑)。





















このページのトップヘ