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ブログ再開しました。 以前ほど頻繁に更新できないかもしれませんが、ぼちぼちやっていきます。

タグ:石切り場

タモリさんたちは城下町から7キロほどの半島にやってきました。

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対岸が萩の町。
三角州なので平ら。

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ここでの案内人は萩市ジオパークの白井孝明さん。

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海岸の岩場に移動。

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ここが江戸時代の石切り場

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こここそが萩の城下町を支えた安山岩の産地だった。

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金属のくさびを打ち込んだ跡がある。

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切り出した石は船で運んだ。
陸路だと萩の町まで約7キロ。
海路なら約2.5キロ。

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いいところに石があったw

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安山岩は溶岩が冷えて固まったもの。
では、火山はどこに?

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タモリさんはあれ(赤い線)が火山だという。

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そしてこの半島も火山だった。

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平らな島が火山?

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近くの展望台から見た島々。
タモリさんによると、これらは火山。

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普通の人が見ると、平らな島にしか見えない。

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柔らかい溶岩がデラ~ァと流れると、台地状のものができる。

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噴き出した溶岩はとても柔らかく、盛り上がることなく水平に流れてしまった。

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なぜこのような火山がこのあたりにたくさんあるのでしょう?

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何かに気づいたタモリさん。
訳が分からない林田アナ。

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溶岩の台地は島だけでなく、陸地にもあった。
これらは一つの火山群(阿武火山群)だった。

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そして、火山がもたらした恵みは、石だけではありませんでした。

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海中の溶岩は魚や貝にとって絶好の住みかとなります。

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特にウニやアワビは萩の名産品。
江戸時代には長州藩の貴重な収入源となりました。

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獲れたての海の幸登場。

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ウニをダイレクトにいただきます。

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ちょうど良い塩かげん。

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平らな火山は宝の山だった。

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続いてタモリさんたちがやってきたのは、水戸駅近くのとある場所

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番組恒例、ヘルメット装着。

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線路沿いに石切り場が…。

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ひたち通過。

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石切り場の洞窟に入ると、江戸時代に採掘したノミの跡がありました。

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凝灰質泥岩:火山灰を含む海底の泥が長い年月をかけて固まったもの
持ってみると軽い。

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水道にこの石を使った理由
・均質である
・板状に割れやすい
・重くないので運びやすい
・重くないので湿地帯でも沈まない
・濡れていれば耐久性もある

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城のお膝元にあった石を使った水道管。
”あるものを最大限に活用する”水戸精神の面目躍如です。

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 当時の水道管敷設工事をイラストで再現。

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タモリさんたちは再び水戸城の跡にやってきました。
 
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弘道館:天保12年(1841年)に創設された日本最大規模の藩校

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本来は偕楽園の梅祭りの4日間しか開かない弘道館の正門ですが、特別に開けてもらいました。

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あの尊王攘夷?

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目的はこちら、「大日本史」。

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大日本史:徳川光圀が編纂した歴史書
初代から100代目までの天皇の治世を記した
全402巻

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光圀が「大日本史」を編纂したのは学問の大切さを感じていたから。
学問は人材を作る。
人材という、あるものを最大限に活用する水戸精神です。

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編纂事業は明暦3(1657年)に始まり、明治39年(1906年)に完了。
実に250年も続けられました。

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この編纂事業のため、光圀は全国に人を派遣して資料の収集や研究にあたらせた。

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水戸黄門の諸国漫遊伝説は、この大日本史のために水戸藩士が諸国を渡り歩いたことがもとになっている。

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水戸黄門のドラマができたわけをタモリさん納得。

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この「大日本史」は幕末に全国50か所以上の藩校で教科書として使われました。
こうして光圀が亡くなった後も、その名は広まり人気が高まっていきました。

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