Halohalo online

特にテーマは決まっていません。 興味のある記事があれば、ぜひぜひお立ち寄りを。

タグ:石切り場

タモリさんたちは城下町から7キロほどの半島にやってきました。

a1

対岸が萩の町。
三角州なので平ら。

a2

ここでの案内人は萩市ジオパークの白井孝明さん。

a3

海岸の岩場に移動。

a4

ここが江戸時代の石切り場

a5

こここそが萩の城下町を支えた安山岩の産地だった。

a6

金属のくさびを打ち込んだ跡がある。

a8

切り出した石は船で運んだ。
陸路だと萩の町まで約7キロ。
海路なら約2.5キロ。

a9

いいところに石があったw

a10

安山岩は溶岩が冷えて固まったもの。
では、火山はどこに?

a13

タモリさんはあれ(赤い線)が火山だという。

a11

そしてこの半島も火山だった。

a12

平らな島が火山?

a15

近くの展望台から見た島々。
タモリさんによると、これらは火山。

a14

普通の人が見ると、平らな島にしか見えない。

a16

柔らかい溶岩がデラ~ァと流れると、台地状のものができる。

a17

噴き出した溶岩はとても柔らかく、盛り上がることなく水平に流れてしまった。

a18

なぜこのような火山がこのあたりにたくさんあるのでしょう?

a19

何かに気づいたタモリさん。
訳が分からない林田アナ。

a20

溶岩の台地は島だけでなく、陸地にもあった。
これらは一つの火山群(阿武火山群)だった。

a21

そして、火山がもたらした恵みは、石だけではありませんでした。

a22

海中の溶岩は魚や貝にとって絶好の住みかとなります。

a29

特にウニやアワビは萩の名産品。
江戸時代には長州藩の貴重な収入源となりました。

a29

獲れたての海の幸登場。

a25

ウニをダイレクトにいただきます。

a26

ちょうど良い塩かげん。

a27

平らな火山は宝の山だった。

a30

続きを読む




続いてタモリさんたちがやってきたのは、水戸駅近くのとある場所

mito57
 
番組恒例、ヘルメット装着。

mito58
 
線路沿いに石切り場が…。

mito59

ひたち通過。

mito60
 
石切り場の洞窟に入ると、江戸時代に採掘したノミの跡がありました。

mito61

凝灰質泥岩:火山灰を含む海底の泥が長い年月をかけて固まったもの
持ってみると軽い。

mito62

水道にこの石を使った理由
・均質である
・板状に割れやすい
・重くないので運びやすい
・重くないので湿地帯でも沈まない
・濡れていれば耐久性もある

mito63

城のお膝元にあった石を使った水道管。
”あるものを最大限に活用する”水戸精神の面目躍如です。

mito64
 
 当時の水道管敷設工事をイラストで再現。

 mito65

タモリさんたちは再び水戸城の跡にやってきました。
 
mito66

弘道館:天保12年(1841年)に創設された日本最大規模の藩校

mito67

本来は偕楽園の梅祭りの4日間しか開かない弘道館の正門ですが、特別に開けてもらいました。

mito68

あの尊王攘夷?

mito69

目的はこちら、「大日本史」。

mito70

大日本史:徳川光圀が編纂した歴史書
初代から100代目までの天皇の治世を記した
全402巻

mito71

光圀が「大日本史」を編纂したのは学問の大切さを感じていたから。
学問は人材を作る。
人材という、あるものを最大限に活用する水戸精神です。

mito72

編纂事業は明暦3(1657年)に始まり、明治39年(1906年)に完了。
実に250年も続けられました。

mito73

この編纂事業のため、光圀は全国に人を派遣して資料の収集や研究にあたらせた。

mito74

水戸黄門の諸国漫遊伝説は、この大日本史のために水戸藩士が諸国を渡り歩いたことがもとになっている。

mito75

水戸黄門のドラマができたわけをタモリさん納得。

mito76

この「大日本史」は幕末に全国50か所以上の藩校で教科書として使われました。
こうして光圀が亡くなった後も、その名は広まり人気が高まっていきました。

mito77

続きを読む

このページのトップヘ