先週の続き。
青木ヶ原樹海を歩くタモリさんたち。

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お題の復習。
「日本を支えた!?樹海の正体とは?」
今週も樹海の正体を探っていきます。

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青木ヶ原樹海を作った貞観噴火の火口。

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この火口は火口列の一つ。
*詳しくは先週の「富士の樹海」をご覧ください。

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火口の奥を探索。

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案内人の千葉さんは、さらに奥に入り、火口の証拠を採取します。

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火口の証拠とは赤く焼けた土。
マグマの熱で平安時代の地層がレンガ色になっているのだそうです。

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せっかく照明さんがいるので火口で記念写真。
右奥が赤くなっているのがわかります。

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続いてタモリさん一行が訪れたのは、山梨県鳴沢村
青木ヶ原樹海の東の端、溶岩流の末端になります。

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樹海を生んだ火口から直線距離で約6㎞の地点。

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目の前の国道は登り坂。

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溶岩の末端の崖をならして、傾斜の緩やかな道路にしてあります。

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国道沿いの民家の裏庭で溶岩の末端を見ることができました。

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溶岩の末端の崖は”末端崖”という。

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溶岩でご機嫌のタモリさん。

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溶岩の断面がむき出しになっている場所

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ここは昭和50年代まで溶岩の採石場でした。
溶岩の下の土(平安時代の地層)をかき出して、溶岩の自重で溶岩を崩したそうです。

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高度経済成長期、溶岩は土木工事の資材に使われていました。
昭和39年に開通した富士スバルライン(山梨側の麓と富士山5合目を結ぶ有料道路)の建設資材として青木ヶ原樹海の溶岩が使われたのです。

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採石場の人たちは、気泡が少なく高値で取引される溶岩を”ロース”、気泡が多い溶岩を”アワ”と言ってたそうです。

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溶岩といえば、溶岩焼き。

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