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特にテーマは決まっていません。 興味のある記事があれば、ぜひぜひお立ち寄りを。

タグ:流紋岩

熊野の串本からスタート。

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串本の橋杭岩。

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案内人は前回に引き続き、国際熊野学会の山本殖生さん。

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熊野は東京から電車で6時間。
遠いなぁ…。

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熊野には岩が作り出した景観がたくさんある。
この岩々はどうやって生まれたのでしょうか?

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地質の案内人も前回に引き続き、南紀高等学校の田原先生。

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約1400万年前、熊野では火山活動が活発に起きていました。
泥や砂が固まった泥岩に、マグマが入りこみ冷えて固まりました(流紋岩の岩脈)。

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やがて地面が隆起し、波などの浸食をうけましたが、浸食されにくい岩脈が残り現在のような姿になりました。

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熊野の巨岩・奇岩は巨大なカルデラ噴火の名残。

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続いてタモリさんたちがやってきたのは、橋杭岩から北に40キロの川沿い。
火山活動が作り出したさらなる観光資源を探ります、

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一見普通の川ですが…

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水が熱い。

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川底から温泉が湧いている。

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熊野名物川湯温泉。

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足湯にトライ。

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かなり熱めの70℃。

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川の水を混ぜて温度を調整します。

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対岸に温泉の案内人。
弘前大学の村岡洋文先生。

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プレートはどうしてできるか?

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固まる林田アナw

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比較的若くて熱のあるフィリピン海プレートが熊野の温泉の熱源。

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流紋岩の割れ目が熱と温泉の通り道になる。

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続いてタモリさんたちは川湯温泉から車10分ほどの温泉地にやってきました。

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湯の峰温泉。

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川べりに人が集まっている。

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湯筒といい、野菜や卵をゆがくことができる。

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温度は90℃。

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卵を茹でてみます。

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湯がいたサツマイモをいただく。

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茹で卵はうっすら塩味がついている。
温泉にプレートの海水が混ざっているそうです。

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9分ぐらいでいい感じの半熟卵ができる。

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続いてタモリさんたちがやってきたのは有田の市街地

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世界の有田焼を生んだ町を歩いてみます。

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有田焼の店が建ち並ぶ。

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若い女性にも人気の豆皿。

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古い町並みは保存地区になっている。

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煙突は焼き物の町の象徴。

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使われていないので草が生えている。

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冬になるとサンタクロースが…。

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サンタかわいいw

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焼き物の町らしい風情がある有田。

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有田の町は山に囲まれている。
この地形が有田焼を作るのに役立っている?

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タモリさんたちは地形と有田焼の関係を探ります。

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ここに磁器づくりのある工程の痕跡がある。

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ここでまた専門家にバトンタッチ。
有田町教育委員会文化財課の村上伸之さん。

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川辺に穿たれた穴は小屋の柱の跡

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この川べりでどんな作業をしていたのでしょうか?

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ここで行われていたのは陶石を砕く作業。
それには唐臼という装置が使われていました。

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唐臼のミニチュアモデル。
鹿威し(ししおどし)の要領で、一方に水がたまるともう一方が上がり、水がこぼれて無くなると一方が下がって石を砕きます。

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陶石は細かく砕かれ、最終的には片栗粉のようになる。

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唐臼は有田に270ぐらいあった。

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有田の川の川底は岩盤がむき出しになっているので、唐臼小屋の柱を建てやすかった。

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有田はいくつもの火山が密集している地域。
川となっているのは山と山がとなり合っている山すそ。

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火山から溶岩が流れ出て、川底は流紋岩の岩盤になっている。

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タモリさんたちは再び有田の市街地に戻ってきました。
地形を生かした工夫をさらに見ていきます。

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トンバイ塀
窯のレンガ(トンバイ)などを再利用して作った塀
表面についた灰が溶けてガラス状になっている

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この階段も有田焼と関係がある?

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有田ポーセリンパークからスタート。

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有田の位置確認。

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旅のお題は「なぜ”世界の有田焼”になった?」

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案内人は佐賀県立九州陶磁文化館館長の鈴田由紀夫さん。

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後ろにあるお城は何なのか?

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ドイツにあるツヴィンガー宮殿のコピーだそうです。
城主のアウグスト2世は有田焼の大ファンだった。

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そして、有田焼を真似してできたのが有名なマイセン。

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有田ポーセリングパーク:
1993年にオープンした観光施設
園内には焼きものづくりの体験コーナーも

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ここはコスプレの撮影スポットになっている。

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妙な格好をした人たちw

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第116回 有田焼

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初期の有田焼。
1640~1650年代。

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焼き物には磁器と陶器があり、弾くと音が違う。

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江戸時代の初めごろまで、磁器は日本では作られていなかった。

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日本で最初に磁器が作られたのが有田。

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VOCのロゴ入りの有田焼。

VOC:オランダ東インド会社
アジアとの貿易を目的とした世界初の株式会社
長崎に支店を持ち、鎖国中の日本と取引をした

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長崎を出発した船は8~10か月かけてヨーロッパへ。

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ドイツの宮殿にある有田焼のコレクション。
当時は”白き黄金”と呼ばれた。

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好きな焼き物でその人の性格がわかるらしい。

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タモリさんが好きな有田焼。

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林田アナが好きな有田焼。

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焼き物占いではタモリさんは繊細、林田アナは格式が高い。

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林田アナが選んだのは将軍の献上品。

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巨大な花瓶。

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染付蒔絵富士山御所車文大花瓶:
1873年のウィーン万国博覧会に出品
日本館の入り口に設置された

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小さな町から世界の有田焼が生まれたワケをこれから見ていきましょう。

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撮影終了後も館内の有田焼を鑑賞するタモリさん。

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本間家11代目当主、本間万紀子さん。

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水戸藩主、徳川斉昭公直筆の掛け軸。

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加藤清正公が朝鮮から持ち帰ったと言われる青磁。

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本間家は商いで得た利益を4つに分けた。
① 寺社への寄進
② 公共事業への寄付
③ 藩の支援
④ 本間家の家計

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当主のお話をカラスが邪魔するw

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カラスを叱るw

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石クイズを出されて当惑する林田アナ。

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庭には全国から集められた石がある。

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なぜ全国から石を運んできたのか?

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空荷になると船が不安定になる。

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北前船は帰りは船底に石を積んで船を安定させていた。

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必然的に全国の石が酒田に運ばれる。

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北前船で繁栄を極めた酒田はまさに日本の中心でした。

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タモリさんたちは港が一望できる日和山公園にやってきました。

酒田港の弱点とは?

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強風。

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酒田では風速10m以上の日が年間100日を超えることもあります。

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風が強いのに海岸線はフラットで、船が避難する場所がない。
なぜこのような港が西廻り航路の起点として繁栄できたのか?

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その理由がわかる場所に行く前に、まさかの山村先生退場w

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タモリさんたちは酒田港にやってきました。

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飛島行きのフェリー乗り場

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鳥海山は2236m。
「夫婦で見ろ」で覚えてください。

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この飛島があったから、酒田港は西廻り航路の起点になれた。

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地図を見た時の二人の温度差が著しいw

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フェリーに乗って沖合39kmの飛島に向かいます。

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酒田港ー飛島はフェリーで1時間15分。

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