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ブログ再開しました。 以前ほど頻繁に更新できないかもしれませんが、ぼちぼちやっていきます。

タグ:森田けいこ

続いてタモリさんたちが向かったのは、セーヌ川を越えて北に5km、モンマルトルの丘。
モンマルトルといえば、世界に名をはせた芸術家たちが集った場所として有名です。

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タモリさん何かを発見。

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大人のオモチャ?

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いかがわしいお店が集中している。

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モンマルトルは歌舞伎町みたいなところ?

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ブラタモリからタモリ倶楽部へw

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齢70を超えてなお得意分野w

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有名なムーラン・ルージュ。

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ムーラン・ルージュ:
1889年に誕生したキャバレー
ダンスや寸劇などのショーが上演されている

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名物フレンチカンカン。

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このあたりは夜の華の都。

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モンマルトルは19世紀のパリ市の外側にあった。
そのためパリ市の税金がかからず、安くお酒が飲める一大歓楽街ができた。

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芸術家の卵たちが安酒をあおっていた。

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パリ市の外側は家賃も安く、多くの芸術家が暮らしていた。

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モンマルトルの丘の上にやってきました。

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標高130m パリの街が一望できる。

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パリらしい景色。

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少し移動するとまた雰囲気が違う。

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絵を売っている店が建ち並び、日本人が抱くモンマルトルのイメージに近い。

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ロートレック作
ムーラン・ルージュ、ラ・グーリュ

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ユトリロ作
モンマルトルのアブルヴォワール通り

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ゴッホ作
ムーラン・ド・ラ・ギャレット

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モンマルトルを見て、昔の新宿を思い出す。

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デビュー前に新宿ゴールデン街で密室芸を披露していた若き日のタモリ氏。

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コンコルド広場からスタート。
コンコルド広場:
18世紀のフランス革命のときに
ルイ16世など1300人以上が処刑された

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オベリスク:
19世紀にフランスとの友好の証として
エジプトから贈られた記念碑 高さ23m

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旅のお題は先週に引き続き、「なぜパリは”華の都”になった?」。

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まずはオープンバスに乗ってパリの街をまわってみます。

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セーヌ川沿いを走るバス。

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オルセー美術館:
駅を改装した美術館
ルノワールやモネなど自然の光を表現した印象派の殿堂

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モナリザやミロのヴィーナスで有名なルーブル美術館。

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タモリさんの中学の美術の先生はモナリザが嫌いだった。

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微笑ではなく、嘲笑?w

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ドラクロアの「民衆を導く自由の女神」もルーブル美術館所蔵。
絶対美術の教科書に載っているやつ。

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第127回 パリの美

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オペラ座(ガルニエ宮):
オペラとバレエを専門とした国立歌劇場
豪華絢爛なネオバロック様式で知られる

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パリの建物は様々な規制(高さ、ベランダの位置、色、建築資材)によって統一感を生み出している。

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オペラ座の石材は何の石?

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珍しく苦戦。

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凝灰岩?

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未だに番組の趣旨を理解していない林田アナw

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セーヌ川から南に3.5kmの病院にやってきました。
このオジサンが見せたいものがあると言う。

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ヘルメット装着。
これから病院の地下に行きます。

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地下20mの深さまで降りる。

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地下の壁の石に貝の化石が…。

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パリは海の底だった?

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ここは石灰岩の石切り場だった。

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キャプサン元採掘場:
17世紀以前に利用され
ノートルダム大聖堂などの石材が採掘された

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パリは歩道も広いのでオープンカフェがさまになる。
東京はパリのマネをしても歩道が狭いからダメ。

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カフェに向かうタモリさんたち。

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ウキウキの林田アナw

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気分はパリジェンヌ。

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ビール飲みたいw

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コンシェルジュリー:
もともと王宮として建てられたが
14世紀から牢屋として使われ「死の牢獄」と呼ばれた

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コンシェルジュリーに囚われていたマリー・アントワネットは荷馬車にのせられシャンジュ橋を渡り、処刑場に向かった。

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歴史研究家のニコラ・ショーダンさん。
オスマンの”人を呼べる街づくり”について解説してもらいます。

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日本は街の中心に駅があるが、パリは街の中心の周囲に駅がある。

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街の中心がすでに出来上がっていたから、駅が中に入れない。

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それゆえ、中心部に物資を運搬したり人が容易に移動できる道が大事だった。
駅から降りた人々が街の中心の十字路で行き交い、街はたくさんの人で賑わった。

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タモリ氏、終着駅を語る。

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終着駅愛をフランス人にも理解される。

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裁判所のドームが右にずれているのはなぜか?

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駅に着いた人がパリの中心に向かう目印となるよう、ドームをずらして見えるようにした。

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続いてタモリさんたちが向かったのは、パサージュ(屋根付き商店街)。

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ホテルからパサージュの地下を見せもらう。

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支配人のフィリップ・ビダルさん。

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パサージュの地下で日本人女性と遭遇。

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突然の日本人に二人もびっくり。

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彼女はパサージュのお菓子屋さんで働いている。

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一瞬番組が変わってしまったw

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鶴瓶師匠のマネw

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よく見ると、地下通路の中央に溝がある。

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パリでブラタモリ。

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モンマルトル3中出身でしたっけw

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エッフェル塔は東京タワーに似ている。

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タワーは踏ん張っていてほしい。

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案内人は文筆家の森田けいこさん。

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タモリさんたちは、セーヌ川の河岸段丘の上にいる。

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ファッションやスイーツ、まったく興味なし。

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旅のお題は「なぜパリは”華の都”になった?」

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タモリさんたちがまず向かったのは、セーヌ川の中州、シテ島。

シテ島:
紀元前3世紀から人が暮らし始めたパリ発祥の地
水運・河川商業の拠点となる 長さ1㎞ 幅300m

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シテ島にあるノートルダム大聖堂。

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ノートルダム大聖堂:
14世紀ごろに完成したローマ・カトリックの教会
ゴシック建築を代表する建造物 塔の高さ69m

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パリの中心の証、道路元標。

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ポアンゼロの上でクルリw

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ポイントゼロ:
18世紀に定められたフランス中の道路の基点
踏むと再びパリに来られるといわれている

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発展し続けたパリは19世紀になると困った事が起こります。
困った事とは何でしょうか?
タモリさんたちは、シテ島の南、川の対岸にやってきました。

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”困った事”に詳しいフランス政府公認ガイド、アニー・ノットさん。

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昔のパリ。
中央の溝に水(?)が流れている。

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溝は今もある。

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トイレがなかったので、糞尿は下に捨てていた。

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林田「そんなパリ嫌ですぅ」w

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王様にも汚物が…。

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タモリ「これは聖水ですか?」w

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昔のパリの道は糞尿まみれだった。

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