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タグ:東京

今回の新3大は大衆グルメの王様焼き鳥、その中でも”つくね”にスポットを当ててみました。

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有識者の焼き鳥ジャーナリストはんつ遠藤さんが、えりすぐりの3つをご紹介。

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① 岡山県・岡山市「一休庵

昭和29年創業。
岡山一古い焼き鳥屋「一休庵」。

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有識者の遠藤さんによれば、「他店とは焼き方が違う。外はこんがり香ばしく、中がしっとりした感じ」。

店主おススメの一本は親鳥の胸肉。
肉に旨味と歯ごたえがあり、間に挟んだ玉ねぎの甘みにマッチしています。

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一休庵のつくね、”みんち 2串350円”。
開店8時間前から仕込んだつくねの団子を店主が最高の状態に焼き上げます。
 
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 試食した番組AD「柔らかい、ふわふわ。外は香ばしいのに、中はジューシ-ですね」。
 
 ② 大阪府・東三国「とりや、圓

有識者の遠藤さんによると、「鶏肉自体のレベルが高い。肉の鮮度の良さがつくねで味わえる」。

焼き鳥屋激戦区の中で、不動の人気を誇る「とりや、圓」。

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備長炭で焼き上げた肉厚ジューシーな”せせり”。

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旨味が凝縮した貴重なモモ肉”ソリレス”。

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”つくね”はこれですが、有識者のおススメはこれではない。
 
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近隣の農家で朝引きした新鮮な鶏肉を使う生のつくね。
お客さんのほぼ10割が注文するそうです。

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本わさびと白醤油でいただきます。

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番組AD「口の中でほどけて舌触りがすごくいい。鳥刺しの旨味がしっかりあって、ほんのり甘くて白醤油とめちゃくちゃ合います」。

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○ アメ横(アメヤ横丁)

そう言えば、「あまちゃん」で出てきたアメ横女学園とGMTの本拠地がアメ横に設定されていましたね。

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子どもの頃、父親に連れられてモデルガンを買いに行きました。
なぜか上野のアメ横はモデルガン、ミニタリーショップが多く集まっています。 
おそらく戦後進駐軍の放出品を売りさばいていた経緯からだと思われます。

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アメ横はいろんなもの売ってますが、最近はアジア食材の商店が増えているようですね。
なぜか、上野と池袋はアジア・中東系の外国人が集う街です。
雑然としていてちょっと怪しげなところが、彼らにはしっくりくるのかもしれません。

○ 東京都庁展望室

都庁に展望室があるのはなんとなく知っていましたが、無料で11時まで解放しているとは知りませんでした。
今度行ってみたいと思います。

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 ○ 東京で家賃が一番安い街

足立区竹ノ塚エリア。
竹ノ塚といえば、竹の塚歌劇団発祥の地ですw

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足立区はこの番組でもしばしば取り上げられていますが、今月14日から上野東京ラインが開業して利便性もアップ。
区をあげてのキャンペーンも実り、足立区は現在人気上昇中のようです。

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○ 東京で一番混む電車

たぶん上京した人が一番驚くのは、盛り場の人の多さと通勤ラッシュではないでしょうか。
山手線に限らず、東西線、埼京線などもひどいようです。
慣れないと通学・通勤だけでクタクタになります。
よく混んでいる状態を”寿司詰め”といいますが、東京の満員電車に比べれば寿司の方がはるかに優雅に詰められています。
上京したら満員電車に乗って、赤の他人の”骨”を感じてくださいw

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○ もんじゃ焼きを食べてほしい

番組でも紹介していたように、もんじゃ焼きは最近(1980年代末)になって知られるようになったB級グルメです。
特に東京の西側の人間はほとんど知らなかったと思います。
私も今まで一度しか食べたことありません。
みんなでワイワイやりながら食べるのにふさわしい食べ物ですが、そんなに期待するほどのものではないような…。

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○ 芸能人に会える街

確実に会いたいのなら、テレビ局の周辺をうろちょろしたらいいのではないでしょうか。
素の芸能人は、テレビの画面を通してみるのとちょっと印象が違うことが多いようです。
芸人さんは画面の中のテンションが高いので、街で見かけると暗く見えてしまいがちです。
私はなぜかイマイチ売れていない芸人との遭遇率が高いですw
 
 

 
 

● 「困っている人がいたら…」 東京vs大阪

よく「東京の人は冷たい」とか「大阪には人情がある」と言いますが、本当のところはどうなのでしょう?

もし、知らない人が困っていたら、周りの人は助けるのか否か、3つのスチュエーションで実験されました。
で、結果は…

喫茶店で財布を忘れて困っている人がいたら…
助けた人 東京3人 大阪 8人

お婆ちゃんが重い荷物をが運べなくて困っていたら…
助けた人 東京3人 大阪 11人

英語が通じない外国人女性が道端で泣いていたら…
助けた人 東京4人 大阪13人

文句なしに大阪の圧勝。
大阪には人情があり、東京の人間はいささか冷たいという事が証明されてしまいました。
東京の人間としてちょっと言い訳をさせてもらえば、東京では知らない人に話しかけるという行為はとてもハードルが高いのです。
東京の人間は警戒心が強いのかもしれません。
いずれにせよ、東京の人間は冷たいです、ハイ。
地方から来た人は、東京砂漠をご堪能ください。

● 「もしも自分だけにしか見えない人がいたら…」

喫茶店に自分にしか見えない白い服の女性が座っていたら、人はどういう反応をするか。
前にやっていた幽霊タクシーの喫茶店バージョンです。

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印象的だったのは、女性幽霊の絶妙な灰皿バックパス。
転がってきた灰皿をいったん足で受けとめる女性客。
澤ー川澄ばりの見事な連係プレイでしたww

それにしても人が恐怖におののいている様子は悪いけど面白いですw
この番組を知らなければ、割と引っかかってしまうような気がします。

● 「もしも芸能人がヘンな副業を勧められたら…」

仕掛け人の川合俊一さんのトークが秀逸でした。
「ホーチミンから車で北に3時間」は名セリフでしたww
ほんとうにインチキ投資コンサルタント会社の重役におさまれそうな人です。
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ノンスタイル井上さんの号泣にはなぜかガッカリしました。
良いイメージの人の裏の顔を見てしまうとガッカリするのと逆のパターンです。
せっかくきもいナルシストのイメージが定着しているのに、ほんとは家族思いと言われても…。
ヒールはヒール役に徹してほしかった…。
泣くツボが人とズレているところは面白かったですけどw

中の島ブルース/東京砂漠
前川清
テイチクエンタテインメント
2006-04-26





















 


 

2年になり、今まで実質的にチームを引っ張ってきたM君がキャプテンになりました。
3年生は受験のために早々に引退しチームは新体制になりました。
とはいえ、新入部員は4人という寂しさで、あいかわらず試合ができるぎりぎりの人数です。

2年の春夏の合宿は特に記憶に残る厳しいものでした。

朝食前から山の斜面をダッシュで往復し、午前中は基礎練習。
体当たり専門のラインマンたちは監督が描いた土俵の上で、ぶつかり稽古。
彼らは倒れるまでぶつかり合い、せっかく食べた朝ごはんを戻していました。
私たちバックス陣はグランドの端から端まで短いダッシュを延々と繰り返します。
お昼は宿の人が持ってきたサンドイッチと牛乳を立ったまま食べました。
午後は実戦的な練習をボールが見えなくなるまで続けます。
夕食のごはんはドンブリ三杯がノルマでした。
食の細い後輩は、泣きながらご飯にお湯をかけて流し込んでいました。
まるで相撲部屋のような合宿でした。

監督が技術面で教えたことはたった一つでした。
低く速いスタート。
ポジションに関係なく、これだけを全員に徹底させました。
素直な私たちはこの教えを忠実に守り、基礎練習の反復でこれを身につけました。

今思うと、これはアメフト選手にしては小柄だった監督が身につけた貴重な技術だったのだと思います。
相撲で小兵の力士が大きい相手に勝つには低く速いスタートで相手の懐に潜りこむのが必勝パターンです。
私たちも決して大きくないチームだったので、この低く速いスタートは後々私たちの大切な基盤となりました。

低く速いスタートを切ることができれば、少々大きな相手でも一瞬押し込むことができました。
こうして、速いプレイで相手を押し込んで短い距離を確実に稼ぐのが、私たちの基本スタイルになりました。
地味ですが、これは大きな強みになりました。

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マイアミ・ドルフィンズ ラリー・ゾンカ
地を這うような走りで”人間芝刈り機”の異名を持つ

しかし、アメフトを始めて2年もたつと、絶対的存在だった監督のアメフト観が現役時代の頃からアップデートされていない古いものだということに気づくようになってきました。

採用していたフォーメーションは、フットボール史の初期に登場した古いもので、アメリカのプロやカレッジのチームではそんなフォーメーションはもう使っていません。

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 攻守のフォーメーション(隊形)

キャプテンのМ君や司令塔のQB、K君が最新のフォーメーションや戦術を勉強して、私たちのチームに取り入れました。
彼らが持ち込んだ戦術は選手個々の個性に合わせたものなので、試合では大きな成果を見せることができました。

例えば、QBのK君は実は肩が弱くロングパスが苦手でした。
その代わり、パスレシーブは得意です。
そこで、肩が強いRBのО君がボールを持って走ると見せかけ、敵陣の奥に走りこんだQBのK君にロングパスを投げるというプレイを作りました。
QBがレシーバーになる作戦は大当たりし、このプレイは面白いように決まりました。

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 こんな風に図を描いてプレイを作る

積み重ねた練習と経験、そして新しい戦術によってチームの勝率は着実に上向いていきました。
堅い守備と地道な攻撃、そして時折見せるトリッキーなプレイ。
少人数の小粒ながら、相手にとっては油断がならない好チームに成長しました。

そして、私たちもとうとう3年生になりました。
大学受験準備のため、3年生になった時点で運動部は引退するのが私たちの高校のスタンダードでした。

しかし、私たちは春季大会まで続けることにしました。
春季はどこも最上級生が抜けて新チームになるので、ウチのように卒業で抜けた選手がいないチームにとって好成績を残すチャンスだったのです。

1回戦、2回戦と順調に勝ち進み、3回戦でついにあのK学園と対戦することになりました。

K学園は今年の卒業で、あの”グンカン”を始めとする強力なラインメンの主力選手が抜けていました。
それでも、前年、前々年と全国大会で好成績を残していたので、部員は100名以上に膨れ上がっていました。

試合当日、深紫の部旗を先頭に掛け声をあげながらグランドを走るK学園100人の集団はちょっとしたお祭りでした。
唖然として彼らを見る私たちに、監督は柄にも合わずカッコイイセリフを吐きました。
「フィールドの上では11対11だ…」

考えてみれば、私たちはこの日のために厳しい練習に耐えてきたようなものです。
1年生の夏、駒澤のグランドで受けたあの屈辱の借りを返すために…。

柔道のオリンピック選手が対戦相手と組んだ瞬間に相手の力量がわかるとインタビューで答えていましたが、私たちも最初のプレイで勝負の行く末がある程度占えるようになっていました。

その日のK学園との最初のプレイで、私はQBからボールをもらってそのまま真っ直ぐ突っ込みました。
得意の速攻です。
1年生の時には黒い鉄の壁のように立ちはだかっていたK学園の守備陣最前線は、その日はわずかに白い隙間を見せました。
味方の攻撃ラインがこじ開けたヒビのような隙間です。
その隙間めがけて体ごと飛び込むと、壁はグニャリと動いてズルッと動きました。
あの鉄のように硬く感じた壁は、柔らかな人間の壁になっていました。

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 最前線(ライン)の攻防

次のハドル(円陣)の中で、私はチームメイトに「いけるぞ!」と叫んでいました。
普段はおとなしい私もこの時ばかりは興奮していました。

あとはもう無我夢中でした。

試合終了を告げるホイッスルが鳴った後、私はスコアボードを確認しました。
32-8。
私たちはついに宿敵K学園を倒しました。

ほんとうに青春ドラマを地でいくような展開でしたが、こんな高校生活を送ることができた私たちは幸せでした。
フットボールは、私たちにとって最高に素敵な恋人でした。
そして、フットボールの基本を叩き込んでくれた監督と、強くなることをあきらめずに引っ張り続けてくれたチームメイトたちに深く感謝しています。

AFB―アメリカンフットボールの基礎技術
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ブラインド・サイド アメフトがもたらした奇蹟 (RHブックス・プラス)
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武田ランダムハウスジャパン
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2011-07


はるか昔の話ですが、高校時代はアメリカン・フットボール部に在籍していました。
大人になってからこの話をすると「(アメフトとは)珍しいですね」と言われますが、確かに全国的に数はそう多くありません。
野球やサッカーに比べれば、日本では超マイナースポーツです。
現在関東高等学校アメリカン・フットボール連盟に所属する東京都の高等学校は33校です。
私が高校生だった1970年代半ば頃も30校弱ぐらいだったので、数はそう変わっていません。
マイナーながらも高校フットボールはけなげに生き続けています。

私は高校生になったらラグビーでもやろうかと考えていたのですが、同じ中学出身の友達に誘われてアメフト部に体験入部をしました。

3年生たちが作った新しい部だったので、人数も少なくまだまだ同好会的な雰囲気が色濃い部活動でした。
先輩たちは優しいし、楕円形のボールを投げるのはオシャレな感じで面白く、私と友達はすぐに入部することにしました。
新入部員は私たちを入れて8人いました。

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伝説のQB NYジェッツ ジョー・ネイマス
 
何とか試合ができる人数にもなって、部としての体裁も整いつつあったアメフト部ですが、指導する人がいませんでした。
そこで部の顧問である50過ぎの地理の先生は、高校の近くの中学から経験者の体育の先生を監督として連れてきました。

N体育大アメリカンフットボール部出身の監督は34歳独身。
小柄な肥満体形で、ダルマのような顔をしていました。
アメフトをやっていたにしてはまるでパッとしない見てくれでしたが、私たちにとっては唯一無二の指導者です。

監督も最初は私たちの様子を見ていたのでしょう。
そう厳しいことも言わず、私たちの練習に時々を顔を出す程度でした。

ところが夏休みになって、監督は練習試合を決めてきたと私たちに言いました。
練習試合とはいえ、私たちにとって、いやJ高アメフト部にとっても記念すべき初めての試合です。

新入部員の私たちはようやく防具を着ることにも慣れ、最低限のルールを覚えたという程度ですが、人数が少ないので全員レギュラー参加です。

8月の下旬、私たちは防具の入ったバッグを抱えて試合場所の駒澤公園第2補助グランドに集合しました。

そこで私たちは初めて試合相手を目にしました。
彼らはトイレのそばの木陰で着替え中でした。
率直に言って、私たちとはまるで違うタイプの高校生でした。

部員の大半がリーゼントヘア、しかもかっちりパーマを当てた本格的なヤツでした。
ひときわ体の大きな人のリーゼントは特に立派で、固めて尖った前髪が額から黒々と突き出ていました。
後に知るのですが、その人はそのリーゼントの形から”グンカン”と呼ばれていて東京南西部の高校生の間ではちょっとした有名人でした。
地元では数々の武勇伝を残しているレジェンドです。

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ヘルメットをかぶっても大丈夫なのかと、これから自分の身に起こる不幸も顧みず心配してしまった

言ってはなんですが、私たちの高校は優等生のお坊ちゃん、お嬢ちゃんが集う進学校です。
今まで何の縁もなかった”不良”の高校生と突然”闘う”ハメになったのです。
試合前から目の前が暗くなりました。

しかも彼らはただの不良の集団ではありませんでした。
非常に良く訓練されたアメフトのチームでした。
彼ら、K学園はその年の秋の関東大会で優勝し、全国大会でも準優勝しました。

普通なら考えられないマッチングですが、ウチの監督は相手校の監督の大学時代の先輩らしく、この悪夢夢のような対戦を実現させたのです。

試合結果は言うまでもなく、惨敗でした。
102-0。
スコアを見てもわかるように一方的な試合展開でした。
アメフトでは3ケタ得点が入る試合はなかなかありません。

50人近い部員を擁する対戦相手のK学園にとっては、練習したプレイが機能するかどうかのちょっとした点検調整にすぎませんが、人数ぎりぎりで攻守出ずっぱり、炎天下のグランドで防具に身を固めた格好で右に左に振り回された私たちには地獄のような時間でした。
よくもまあ熱中症にならなかったものです。

言ってみれば、かませ犬にもならないような初試合でした。

体で覚えたことは、何万の言葉よりも身に沁みます。
自分たちが今までアメフトごっこをやっていたにすぎないことを思い知らされました。
体力、技術、総合力すべての面で私たちは明らかに劣っていました。

もうこんな怖くて危ないスポーツはやめよう、という気持ちと、ほんとうに悔しいという気持ちが半分ずつありました。
それは皆も同じ気持ちだったと思います。
でも、私たちはアメフトを始めたばかりです。
それに一人でも欠ければ試合もままなりません。
結局誰もやめることなく、目の色を変えて練習に没頭し始めました。
勝ち負け以前に、相手との接触があるスポーツはある程度のレベルに達しないと試合が危険だということを悟ったのです。

放課後の練習時間は変わりませんが、練習内容と全員の真剣味がまるで違いました。
部員同士の人間関係もお互いに厳しくなり、時としてギスギスした雰囲気が漂うようになりました。
しかし、私たちには同じ目標がありました。
タックル練習用のダミー(サンドバッグに似ている)にはK学園のジャージがかぶせられました。

この話を大人になってからすると、「まるでスクールウォーズの世界ですね」とちょっと下の世代に言われます。
スクールウォーズというドラマではダミーにジャージを着せてタックル練習をする場面があるそうですが、あのドラマは80年代のドラマです。
こっちは70年代、こちらが元祖なのです。

毎週末は他校との練習試合が組まれました。
最初に最強チームと試合をしたので、勝てないにしろどことやっても辛いということはありませんでした。
そして、徐々にもう少しやれば勝てるという手ごたえを感じられるようになり、1年の終わりごろには実際に勝つ試合もポツポツ出るようなってきました。

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バッファロー・ビルズ OJ・シンプソン 
当時私のアイドルでしたが、のちに殺人容疑で逮捕されました。


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