短い期間ですが、私は沖縄県民だったことがあります。

① 冬でも暖かい
② 自然が豊か

主にこの2点に惹かれて、沖縄に住んでみようと思ったのです。

実際、この2点についてはその通りでした。

そもそも沖縄には本土でいうような冬は存在しません。
最も寒い2月の平均気温が17度。
少し日が差せば、たちまち気温は25度ぐらいになり、半そでで外を歩けます。
寒いのが苦手な私には天国のような場所でした。

私が住んでいた場所は那覇の新都心というところで沖縄ではかなり都会でしたが、自宅から30分歩くと海辺に行くことができました。
東京にいた私にとって、散歩がてらに(okinawaの)海が見られるという事実はかなりのゼイタクでした。

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那覇新都心 様々な施設が集中している

公園も東京のように狭くて人工的なものではありません。
私はよく那覇市内の末吉公園というところに散歩に行きましたが、ここはジャングルを切り開いて作ったような公園でした。
自宅近くの川沿いも公園になっていましたが、ここも緑豊かでよく大きな白い鳥が餌をあさりに来ていました。
那覇市とその周辺には他にも大きな公園がたくさんあります。

もちろん、那覇市周辺からもっと本島の北、あるいは離島にいけばますます自然は濃厚になっていきます。
私は本島中部の名護でイルカのジャンプを陸から見ることができました。

しかし、住んでみないと分からないこともいろいろあります。

家賃は本土に比べると割安ですが、食費はそうでもありません。
特に本土から来た食品は輸送費分割高になるようです。
野菜も沖縄産以外のものは当然高い。
スーパーはいろいろあるのですが、競争して値を下げているという雰囲気がありません。

家賃が安い分生活費は本土より安くなりますが、収入の下げ幅の方が大きいかもしれません。
実はこのあたりが多くの人が移住をあきらめ本土に戻ってしまう大きな要因になっています。

もう一つの問題はウチナーとナイチャーという言葉がキーワードになります。

ウチナーとは沖縄で生まれ育った地元民。
ナイチャーは本土から移住してきた人間です。

沖縄では露骨な人種差別があるわけではありませんが、区別は確かにあります。
明治まで琉球王国だった沖縄には、二重構造のアイデンティティがあるような気がします。
琉球人(ウチナー)としての私と日本国の沖縄県民としての私。
古くは中国、大和(日本)そして戦後はアメリカと大国に翻弄され続けてきた琉球の歴史を考えると、それは無理からぬことだとは思います。

いずれにせよ、本土と本土から来た人間に対して、ウチナーは多かれ少なかれ複雑な感情を持っていることは間違いありません。
旅行者ではなく生活者として沖縄に住めば、それはいたるところで実感できます。

テレビのローカルCМでは「ウチナーの~」というキャッチコピーが嫌というほど流れてきます。
若いコでも、本土のことをヤマトと言います。

一方、ウチナーグチ(沖縄方言)は廃れつつあります。
私が居たころはもっと沖縄の言葉を使いましょうという那覇市役所のキャンペーンがあり、市内報では(役所の)受付でハイサイと挨拶されても驚かないでください、と書かれてありました。
そう、割と有名なハイサイは少なくとも本島都市部では使われない言葉なのです。

ウチナーの女性と結婚して沖縄に住む東京出身のナイチャーと知り合いましたが、何年住もうがナイチャーはナイチャーなのだと聞かされました。
「悩んだ時期もあったけど、結局それを受け入れるしかない、と悟りました」
そう彼は私に言いました。

ナイチャー(よそ者)として割り切って生活する。
そして、仕事のやり方や価値観など、本土との文化の違いを受け入れる。
こういったことが沖縄に住み続けられるか否かの重要なチェック項目になると思います。

私は諸般の事情で東京に戻りましたが、沖縄移住の是非は一概には言えません。

経済的な問題をクリアーしておくことが一番大切だと思います。
労働環境は本土より良くありませんから、その点は十分承知しておいたほうが良いと思います。
年金や家賃などの不労所得で生活できるのなら、沖縄移住のハードルは低くなります。

いずれにせよ、沖縄が合わなかった場合のことを考えて、退路は用意しておくにこしたことはありません。

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沖縄そばと大東寿司