小学5年生になってまもなくのある日、私達は7,8人の男女交えたグループで下校していました。
男子と女子がいっしょに、しかもこれだけの人数で帰ることは珍しかったので、一行はちょっとはしゃいでいたような気がします。
住宅街の一角を通りかかったところで、一人の女の子が足を止めました。
「…きれい」
女の子の視線の先には、とあるお宅の庭の花壇がありました。
庭の真ん中に大きな花壇があり、そこには丹精込めて育てられたであろう何種類もの花が咲き乱れていました。
白やピンクや紫や黄色…様々な色が庭をあでやかに彩っています。
女子はもちろんのこと、私達男子ですらも足を止めてその美しい庭に見入りました。
ここから、どういう経緯でそうなったのか忘れてしまったのですが(女の子の一人が「あの花ほしいな…」とつぶやいたのかもしれません)、とにかくS君がそのお宅の低い鉄柵を乗り越え、花壇に咲く花を一輪摘んで戻り、その花を一人の女の子にあげたのです。
クラス一の秀才で私立中受験組のS君の大胆な行動に、男子一同は度肝を抜かれました。
私達はボールがよそのお宅に入って「ボール取らせてください!」とだけ叫んで勝手に人の家に入ることはしょっちゅうだったのですが、自分のボールを取りに行くのと、人様の所有物を取りに行くのとではまったく話が違います。
坊ちゃん刈りのS君は体も大きく、授業中もしばしば鋭い発言をして、クラス中から一目置かれている存在でした。
同じ私立中受験組でも算数の授業で得意になって塾で習った方程式を使って問題を解いて先生を始め皆のヒンシュクを買ったM君とは大違いです。
そのSくんが、このような悪業をやってのけるとは…。
花をもらった女の子は悪びれることもなく大喜びし、それを見た他の女の子たちも口々に花がほしいとねだり始めました。
花泥棒の二番手になったのはT君でした。
T 君も中学受験組と目されていましたが、S君やM君ほど成績はパッとせず目立つ存在ではありませんでした。
こうなると、残りの男子も行かないわけにはいきません。
この程度のワルができないと思われては男のメンツが立ちませんし、女子の前で良いカッコしたいと思いだす年頃です。
ということで、私も庭に侵入して花を数本を引きちぎり、それを女子にあげました。
花をもらった女の子が笑顔で喜ぶ顔を見た時、なんだかとても良い気分だったことを覚えています。
家の中から大人も現れる気配もないので、私たちは次第に大胆になって何度も庭に入りこみ、花束を作っては女子たちにプレゼントをし続けました。
花束を抱えてはしゃぐ女子たちと一仕事して満足した男子たちがその場を立ち去る頃には、見事だった花壇はすっかり踏み荒らされ無残なものになっていました。
さて、翌日です。
血相を変えた担任のK先生が朝のホームルームに現れました。
よそのお宅の花壇の花を盗んだ生徒がいるという話をされたのですが、犯人の大方の目星をついているような話しぶりでした。
カマをかけたのかもしれませんが、いずれバレルことは直感で分かりました。
「心当たりのある人は立ちなさい」
先生は静かにそう言い、教室の生徒達を見わたしました。、
少しの間を置いて、最初にS君が席を立ち、それにつられるようにして現場にいた全員が席をたちました。
最初にS君が立ち上がった時、K先生が明らかに動揺したのが分かりました。
まさか、S君がこの事件に関わっているとは思わなかったのでしょう。
これはちょっとした事件だったので大人たち(親と教師)は大騒ぎをしたようなのですが、不思議なことに犯人である私達が直接こっぴどく叱られたという記憶はありません。
ですが、大人たちの様子でエライことをやってしまったのだという感覚だけはありました。
母親はさすがにプリプリしていましたが、父親はひどく怒ることもせす時折苦笑をもらすような微妙な態度でした。
担任がK先生に変わったからだとか、何子ちゃんの家の家庭事情が関係しているとか、大人たちは勝手な憶測をしていたようでしたが、子供なりに見当外れなことを言っているなあと思いました。
この件に関しては、あの場にいた全員に等しく責任がありました。
家も学校もざわついた雰囲気のままで数日が経った頃、私達は全員校長室に連れて行かれました。
小学校在学6年で校長室に行ったのはこの時が最初で最後です。
校長室では一応うなだれる私達を前に老校長先生がなにか訓戒みたいなお説教をしたのですが、これも拍子抜けするほど淡々としたものでした。
今思えば、きっとこの校長室での儀式が行われるまでに、親や教師たちが動きまわって花壇の家の主に謝罪をして穏便な解決をはかったのでしょう。
私達が悪いことをしたことは間違いないのですが、泥棒の動機がちょっとリリカル(叙情的)でしたし、何より秀才S君がこの一件に関わっていたことが、この事件を実にデリケートな問題にしたのかもしれません。
Sくんの親がどういう人かは知りませんでしたが、この地域ではそこそこエライ人であったことは想像に難くありません。
大人になってから、一度”事件”の現場付近を通りかかったので”思い出の花壇の家”を探してみたのですが、とうとう見つけることはできませんでした。
男子と女子がいっしょに、しかもこれだけの人数で帰ることは珍しかったので、一行はちょっとはしゃいでいたような気がします。
住宅街の一角を通りかかったところで、一人の女の子が足を止めました。
「…きれい」
女の子の視線の先には、とあるお宅の庭の花壇がありました。
庭の真ん中に大きな花壇があり、そこには丹精込めて育てられたであろう何種類もの花が咲き乱れていました。
白やピンクや紫や黄色…様々な色が庭をあでやかに彩っています。
女子はもちろんのこと、私達男子ですらも足を止めてその美しい庭に見入りました。
ここから、どういう経緯でそうなったのか忘れてしまったのですが(女の子の一人が「あの花ほしいな…」とつぶやいたのかもしれません)、とにかくS君がそのお宅の低い鉄柵を乗り越え、花壇に咲く花を一輪摘んで戻り、その花を一人の女の子にあげたのです。
クラス一の秀才で私立中受験組のS君の大胆な行動に、男子一同は度肝を抜かれました。
私達はボールがよそのお宅に入って「ボール取らせてください!」とだけ叫んで勝手に人の家に入ることはしょっちゅうだったのですが、自分のボールを取りに行くのと、人様の所有物を取りに行くのとではまったく話が違います。
坊ちゃん刈りのS君は体も大きく、授業中もしばしば鋭い発言をして、クラス中から一目置かれている存在でした。
同じ私立中受験組でも算数の授業で得意になって塾で習った方程式を使って問題を解いて先生を始め皆のヒンシュクを買ったM君とは大違いです。
そのSくんが、このような悪業をやってのけるとは…。
花をもらった女の子は悪びれることもなく大喜びし、それを見た他の女の子たちも口々に花がほしいとねだり始めました。
花泥棒の二番手になったのはT君でした。
T 君も中学受験組と目されていましたが、S君やM君ほど成績はパッとせず目立つ存在ではありませんでした。
こうなると、残りの男子も行かないわけにはいきません。
この程度のワルができないと思われては男のメンツが立ちませんし、女子の前で良いカッコしたいと思いだす年頃です。
ということで、私も庭に侵入して花を数本を引きちぎり、それを女子にあげました。
花をもらった女の子が笑顔で喜ぶ顔を見た時、なんだかとても良い気分だったことを覚えています。
家の中から大人も現れる気配もないので、私たちは次第に大胆になって何度も庭に入りこみ、花束を作っては女子たちにプレゼントをし続けました。
花束を抱えてはしゃぐ女子たちと一仕事して満足した男子たちがその場を立ち去る頃には、見事だった花壇はすっかり踏み荒らされ無残なものになっていました。
さて、翌日です。
血相を変えた担任のK先生が朝のホームルームに現れました。
よそのお宅の花壇の花を盗んだ生徒がいるという話をされたのですが、犯人の大方の目星をついているような話しぶりでした。
カマをかけたのかもしれませんが、いずれバレルことは直感で分かりました。
「心当たりのある人は立ちなさい」
先生は静かにそう言い、教室の生徒達を見わたしました。、
少しの間を置いて、最初にS君が席を立ち、それにつられるようにして現場にいた全員が席をたちました。
最初にS君が立ち上がった時、K先生が明らかに動揺したのが分かりました。
まさか、S君がこの事件に関わっているとは思わなかったのでしょう。
これはちょっとした事件だったので大人たち(親と教師)は大騒ぎをしたようなのですが、不思議なことに犯人である私達が直接こっぴどく叱られたという記憶はありません。
ですが、大人たちの様子でエライことをやってしまったのだという感覚だけはありました。
母親はさすがにプリプリしていましたが、父親はひどく怒ることもせす時折苦笑をもらすような微妙な態度でした。
担任がK先生に変わったからだとか、何子ちゃんの家の家庭事情が関係しているとか、大人たちは勝手な憶測をしていたようでしたが、子供なりに見当外れなことを言っているなあと思いました。
この件に関しては、あの場にいた全員に等しく責任がありました。
家も学校もざわついた雰囲気のままで数日が経った頃、私達は全員校長室に連れて行かれました。
小学校在学6年で校長室に行ったのはこの時が最初で最後です。
校長室では一応うなだれる私達を前に老校長先生がなにか訓戒みたいなお説教をしたのですが、これも拍子抜けするほど淡々としたものでした。
今思えば、きっとこの校長室での儀式が行われるまでに、親や教師たちが動きまわって花壇の家の主に謝罪をして穏便な解決をはかったのでしょう。
私達が悪いことをしたことは間違いないのですが、泥棒の動機がちょっとリリカル(叙情的)でしたし、何より秀才S君がこの一件に関わっていたことが、この事件を実にデリケートな問題にしたのかもしれません。
Sくんの親がどういう人かは知りませんでしたが、この地域ではそこそこエライ人であったことは想像に難くありません。
大人になってから、一度”事件”の現場付近を通りかかったので”思い出の花壇の家”を探してみたのですが、とうとう見つけることはできませんでした。