土曜の朝、何気にNHKを見ていたらLGBTについて特集をしていました。
LGBT、ご存知でしたか?

LGBTはレズビアン(女性に惹かれる女性)、ゲイ(男性に惹かれる男性)、バイ・セクシャル(両性愛者)、トランスジェンダー(性同一性障害)の頭文字を取ったセクシャル・マイノリティ(性的少数者)の総称です。

街頭インタビューで「セクシャル・マイノリティの人は何人に一人ぐらいだと思いますか?」という質問をしていました。
何人に一人だと思いますか?
街の人たちは1000人に一人、とか500人に一人と答えてました。
正解は、驚くなかれ20人に一人なんだそうです。
(2015年電通ダイバーシティ・ラボの調査では7.6%がLGBT)

ということは学校のクラスに一人や二人いてもまったく不思議ではないことになります。
テレビをつければいわゆるオネエ系のタレントを見ない日はないくらいですが、ああやって世間に公表(カミングアウト)をしている人はまだまだ少数なんだそうです。

考えてみると、私も若い頃はそういった同性が好きな人たちが集まる場所に知らずに入りこんでしまい、いわゆる組合の方々に遭遇することはしばしばありました。

また職場でも思い当たることがなかったわけではりません。

私が若い頃埼玉で塾の先生をしていた時に、自分のことを女子だと思っている(ふしのある)男の子が一人いました。
こういう子はイジメのかっこうの対象になります。
当時のコたちはバカなので陰湿ではないので、わかりやすく目の前でイジメてくれるので私もわかりやすく鉄拳で説得してイジメをやめさせました。
ただ、そういう女子的な男子に男らしくしろと指導するのが正解なのかがわからず、困った顔で彼を見ていた記憶があります。
まあ、塾の先生なので、彼のフェミニンな振る舞いについてまで口を出すことは業務外と判断してほっといたような気がします。

コンピューター・ソフトウエアの会社でサラリーマンをやっていた時、私は何かの件で直属の部長とお話をしていました。
昼休みのオフィスで他に人はいませんでした。
その時何の脈絡もなく、デスクの上に置かれていた私の手の上に部長が自分の手のひらをピトッと重ねました。
私は部長の意図を解しかね、非常に困惑しました。
自分の手の上に置かれた部長の手を振り払うのも失礼な気がし、手と手を重ねたまま私は部長と仕事のお話を続けていました。
部長は口ひげをたくわえたインテリ風の人で、私がその会社を辞めて何年も経ってからNHKの教育テレビで部長のお姿を拝見しました。
部長は現代詩の解説をされていました。
部長は脱サラして文芸評論家になり、どうもその世界では権威の人になられたようです。

この件は未だグレイゾーンで迷宮入りですが、同性へのセクハラ問題はとてもややこしい事になるような気がしました。

人間は脳を発達させてきた結果、プログラムが複雑化しているような気がします。
特に性的対象の分野では脳の回路は多様性を持っているようです。

自分の性についても、実は境界線はあいまいなのではないかと思っています。
特に男が男らしくふるまうのは後天的な教育の結果によるところが大きいような気がします。

私は大学生の時、運動部の合宿で女子マネージャーの服を着て、メイクしてもらったことがあります。
自分ではイケていると思ったのですが、首と腕が異様に太いので同期から「オバサンみたい」と言われました。
心底がっかりして、それから女装はしていません。
もしあの時キレイと言われていたら、その後も女装は趣味として続けていたかもしれません。

男子には女子は可愛らしく優しいものというイメージがインプットされていますし、女子もその期待に応えるべく普段はそのように振る舞ってくれますが、女子が女を捨てて本気で怒るとかなり怖いです。
見てはいけないものを見てしまった怖さがあります。

つまるところ、本来人間には多様性があるのは極めて自然なことだと私は思います。