熊本県天草市・崎津からスタート。

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今回はファイナルリンダです。

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このあたりを含め広範囲が世界遺産に登録されてます。

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潜伏キリシタンって初めて聞いた。
隠れキリシタンのポリコレ?

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南蛮柿と書いて無花果と読む。
どっちにしろ知らないと読めないw

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天正遣欧少年使節(1582年)が初めて南蛮柿を日本に持ち込んだ。
潜伏キリシタンの町らしいエピソード。

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教会の前の音楽隊(16世紀の西洋楽器を復元し演奏する)の方々。

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風景画?

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林田アナの演奏もこれが見納め。

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豊臣秀吉が3回アンコールしたと言われている曲(千々の悲しみ)を演奏中。

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江戸時代になるとキリスト教の取締が厳しくなってくる。

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1640年頃には宣教師が日本に入ってこれなくなる。

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案内人は、熊本大学の安高啓明先生。
江戸時代のキリシタン政策を研究。

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旅のお題は「なぜキリシタンは250年も潜伏できた?」。

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第160回 島原・天草

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江戸時代の崎津の地図。

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庄屋はキリシタンを取り締まることが仕事だった。

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板踏絵は多くの人が踏むと板が割れてしまう。

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ということで、真鍮踏絵が使われるようになった。

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私も痛い目に遭うぐらいならとっとっと踏むw

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実はキリシタンたちも真鍮踏絵になってからあまり心苦しくなく踏んでいたらしい。

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キリシタンにとって、ロザリオ(十字架の数珠)が重要。

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真鍮踏絵を作製したのが仏教徒だったために、ロザリオの重要性に気づかなかった。

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代々潜伏キリシタン、というのもすごいな。

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潜伏キリシタンの家系であることを知ったのは、2年前。

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潜伏キリシタンが世界遺産というスポットライトを浴びることになり、初めて父親が地方紙にカミングアウト。

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潜伏キリシタンはこの貨幣(寛永通宝)をあることに使った。
重要なのは形と数。

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