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ブログ再開しました。 以前ほど頻繁に更新できないかもしれませんが、ぼちぼちやっていきます。

タグ:埋め立て





どうやって海を埋め立てのか?
その方法を知るため、タモリさんたちは街の中心部に戻ってきました。

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今度は旧西国街道を大阪方面に向かって歩きます。

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古い石垣があります。

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江戸時代の尾道。
埋立地が石垣で囲まれているのがわかります。

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絵図に描かれた石垣に囲まれた神社。
今もあるので行ってみることにします。

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骨董品屋の屋根に猫。

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厳島神社は海の神様を祀る。

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神社の裏手に回ると石垣が…。

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タモリさんが立っている場所は昔は海だった。

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尾道は石垣を使って埋め立て地を造成していたことが分かりました。

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この埋め立てによって生まれた魅力を探りに、タモリさんたちは海沿いにやってきました。

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川のように細い尾道水道は、埋め立てによって生まれました。

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フェリーで尾道水道を渡ります。

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対岸まで200mほどなのですぐに着きます(約3分)。

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今まで巡って来た対岸を見ると、寺社や住宅が見えます。

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しかし、江戸時代の絵図には山の斜面に民家はありません。

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神聖な場所だった山には寺や神社以外は建てられませんでした。

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坂道の家ができたきっかけは何だったのでしょう?

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タモリさんたちはさきほどの厳島神社のそばにある八幡神社にやってきました。
ここを案内するのは尾道学研究会の天野安治さん。

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八幡神社の参道を登ると、坂道に家ができたヒントがあるそうです。

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線路を渡って神社へ。

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線路はかなりカーブしている。

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山際を通っている線路。

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魔法のようにとれた貝と魔法のようなルートで夢の漁師町となった浦安。

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しかし、その漁師町は今は浦安から姿を消してしまいました。
そのあたりの事情を元漁師の大塚道和さんに伺います。
 
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黒い水事件(1958):旧江戸川沿いの工場から出た排水で東京湾の魚や貝が死滅。深刻な被害が出た。

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怒った漁師たちは工場に乱入。
8人の逮捕者が出ました。

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高度経済成長期の当時、公害で漁獲量は減少。
東京湾での漁業は成り立たなくなってゆきました。

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危機的な状況を迎えた浦安が、新しく生まれ変わった町となるきっかけを探すため、魚市場から南に3キロの住宅街にやって来ました。

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この段差は、埋め立て地と旧市街地の境。
タモリさんたちが立っている場所は堤防の跡。

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浦安を東西に横切るこの段差道路はかつて海岸線でした。

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昭和40年ごろから、この辺りから浦安の埋め立てが始まる。
埋め立てこそが浦安が新しく生まれ変わるきっかけだったのです。

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高潮などの被害を防ぐため、海側の方が高くなっています。

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広大な浅瀬だったので埋め立てがしやすい場所。
浦安市の4分の3は埋め立て地。

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 埋め立て地は主に宅地として利用されました。

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続いてタモリさん一行が向かったのは、最初に埋め立てが行われた場所。

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 ここでは新しい住宅地をより魅力的にするための工夫が見られます。

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公園内にある人工の山。
浦安富士は標高15m。

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浦安の人は高低差に憧れていた?

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「浦安富士」は住環境をよくするために、昭和44年に作られました。

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こうして浦安は漁師町から今や人口16万の一大ベッドタウンに生まれ変わりました。
そして、昭和58年、あのテーマパークが誕生。

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タモリさんたちは再び元町地区に戻ってきました。

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創業120年の船宿。

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