戦後から現在に至るまで、渋谷は最も大きな変貌を遂げた街の一つかもしれません。

私の渋谷の原風景は、傷痍軍人です。
祖母の家が渋谷にあったのでよく遊びに行ったのですが、駅前のちょっとした広場に数人の傷痍軍人さんが必ずいました。
カーキ色の軍服を着て、きちんとゲートルを巻いていました。
しかし、手か脚がありません。
一人がアコーデオンを演奏し、募金を募っていました。
私はまだ小さな子供だったので、ただただその光景が怖かった。

その当時の渋谷のもう一つ鮮明に記憶に残っているのは、蛇屋さんです。
大きなガラスのショーウインドウの中で、大きなヘビが立ち木に巻きついていました。
この渋谷の蛇屋さんについて触れているブログもいくつか見かけました。
おそらく50代以上の方々だと思います。

壜を並べ蝮の酒漬け売りゐしが宮益坂の蛇屋は失せぬ
 
黒日傘たたみ蛇屋に入りにけり

ネットで見つけた渋谷の蛇屋について詠まれた短歌と俳句です。 
蛇屋は坂の途中に在った記憶がありますから、おそらく宮益坂だったのでしょうね。

そういうちょっと薄暗い記憶の中にあった渋谷は1970~80年代にパルコができると、どんどん若者向けの街になっていました。

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高校生の頃(1975年頃)部活の練習試合でよく駒沢公園に行ったのですが、ある時渋谷の東急文化会館前でショーケン(萩原健一)を発見しました。
ザ・テンプターズ解散後、俳優に転身した頃のショーケンです。
皆でショーケンに群がってサインをしてもらいました。
駒沢公園では栗田ひろみが写真撮影をしてことがありました。

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傷だらけの天使(1974~1975) ショーケンと水谷豊

大学1年の頃、センター街の右手あたりにあった 渋谷のタカキューで厚手のセーターを買いました。
渋谷のタカキューはとっくにありませんが、今でもタカキューはTAKAーQとして頑張っているんですね。
お洒落にちょっと興味がある当時の東京の若者なら、知らない人はいないぐらいのブランドでした。
タワーレコードも新たに若者文化のシンボルになりました。
タワーレコードの黄色と赤の袋を抱えて歩くのが当時のイケている若者のスタイルでした。

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30代の頃、後に結婚することになった彼女とよく渋谷でデートをしてました。
この頃、今回のアド街で紹介された喜楽や麗郷にも行きました。

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 もう味忘れた…。

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初めてダイコン餅を食べました

東急デパート本店近くにブーゲンビリアというベトナム料理屋があったのですが、そこで甘くて辛くて酸っぱいスープというのを頂きました。 
衝撃的な味でした。
残念ながら、今はブーゲンビリアはないようです。 

旧美竹町の祖母宅の近くにあった児童会館によく遊びに行きましたが、ここも2012年に閉館になりました。

駅を中心に渋谷はまた大きく変わろうとしています。
東京の中でも、渋谷は時代の流れを一番感じる街です。
 
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昭和25年創業元祖くじら屋 ここはしぶとく残ってます
 


 
迷宮の花街 渋谷円山町
本橋 信宏
宝島社
2015-01-22