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タグ:代ゼミ

林先生が代ゼミ校舎閉鎖問題について少し触れていましたが、私も浪人時代元代ゼミ生でした。

別に代ゼミを擁護するつもりはぜんぜんありませんが、今は撮影された講義を視聴するサテライト授業が主流だということを聞くと、ちょっと気の毒な気がします。
生の授業をライブだとすれば、サテライト授業はDVDです。
臨場感が全然違います。

昔の代ゼミには面白い先生や学生がたくさんいて、いわばコール&レスポンスで授業が作られていました。

英作文の授業は、希望者が予め英作文を黒板に書いておき、それを毒舌の先生(上智大の先生でした)が添削するという形だったのですが、けなされてもけなされても毎回ひどい英作文を黒板に書き続ける根性のある学生がいました。
どれくらいひどいかと言うと、think の過去形は thoughtですが、彼は 堂々 thinkedと板書していました。
「お前は南部の黒人かっ」と、テレビでは絶対NGであろうつっこみを先生にされていました。

また英文法の授業では授業後に一人の学生が先生が著者の参考書を手にクレームをつけに行きました。
二人は廊下でしばらく口論していましたが、とうとう先生はポケットからお金を出して叩きつけるようににしてその学生に渡し、 肩を怒らせたまま足早に去ってゆきました。

古典の先生は登山中に男にレイプされそうになっていた女性を目撃し、男を蹴り飛ばして女性を救ったという武勇伝を 話してくれました。

まあ、偏差値をあげるのには何の役にも立ちませんが、受験の知識の他に+αのおまけがいろいろついていたことは確かです。

番組では偏差値が優に80を超えていた林先生の教え子さんたちが登場していましたが、あまりに優秀すぎて、なんだか大気圏外の世界の話を聞いているようでした。

「論理的な思考ができない、自分がやっていることの意味が理解できていない人を見るとバカだと思う」

という超秀才クンの発言を聞いてドキッとしました。
でもまあ、でもそういうバカがいるから人生は面白くなるんじゃないの。
何もかも合理的だと、息がつまりそうな気がします。

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昔の予備校の方がムダが多い分面白かったと思う
 

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高3の時、最後に受けた大学も不合格だったという結果は、合否の電話を受けた母から知らされました。
その時私はテレビを見ていました。
画面には当時アイドルだった片平なぎさが映っていました。
キリンレモンのCМです。 

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 見ていた番組は再放送のドラマ「傷だらけの天使」でした

大学受験で受けたすべての大学を落ち、私は自動的に浪人生になりました。
それから駿台予備校の試験を受けてそれも落ち、結局試験のない代々木ゼミナールに行くことになりました。

当時文系志望の校舎は原宿にありました。
原宿駅竹下口を出て通りを横切り左に折れて坂を上りきったところに代ゼミ原宿校はありました。

浪人した級友はほとんど駿台に行ったので、教室に知った顔はいません。
100人ぐらいは入る大教室に座っていると、次々と講師が表れて授業をしてゆきました。

講師の先生方はおおむね話が面白く、長い授業も退屈せずに聞くことができました。
年次契約だから人気がないとすぐに首を切られる、だから講師も必死なのだと訳知り顔の誰かが言いました。

先生方の話は今でもよく覚えています。
例えば、英作文の先生は「英語と日本語では文化が違うから、日本語で考えても英語にはならない。だから、フレーズを丸ごと覚えていくしかないんだ」とおっしゃっていました。
英作文が苦手だった私は目からウロコが落ちたような気がしました。

教室には「日々是決戦」の書があちこちに張られていました。
「日々是決戦じゃなくて、日々是決算だろう」というジョークは代ゼミ生に代々伝えられているものでしょう。
さしもの代ゼミも今度ばかりは決算に失敗したようですが…。

昼になると皆1階に下り、そこにある梅本スタンドのウドンで腹を満たしました。
すぐにウドンに飽き、私は昼休みになると原宿の町をぶらつきました。

当時の竹下通りは今のように栄えておらず、人影もまばらでした。
通り沿いに並ぶ喫茶店に日替わりで一軒ずつ入り、モーニングセットの食べ比べをしていました。

代々木公園の入り口あたりで、同じ年ぐらいの少年に声をかけられたことがあります。
赤っぽい縮れ毛の人の良さそうなヤツでしたが、歯が欠けていて目の焦点が合っていませんでした。
おそらくシンナーの常習者でしょう。

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原宿駅 右手奥に代ゼミ原宿校があった

代ゼミの授業が終わった後、私はよく高田馬場に寄り道をしました。
早稲田松竹かパール座、この二つの名画座のどちらかで映画の2本立てを見ました。
当時は邦画だとATGの映画が全盛で、芸術性の高い映画とは暗くてドロドロしたものだと思いこんでいました。
でも、ATGの映画は今でもまた見たいような気がします。

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早稲田松竹は現役、パール座は平成元年閉館   松田優作主演の「家族ゲーム」はATGでもメジャーな作品

中学高校時代の友人たちと、山水というビリヤード場で玉突きもしました。
このころにはもう一人前にタバコを吸っていたような気がします。
浪人生の吸うタバコはハイライト、その心はHI light、(大学に)ハイリテー。
実際はセブンスターを愛好していましたが…。

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 山水もまだ現役みたいです

お酒の味もこのころには覚えていました。
高校時代の友人たちと数か月にいっぺん集まって中野の居酒屋で飲むのが最大の楽しみでした。
よく行っていた居酒屋”赤ひょうたん”は今も健在です。

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 趣は昔とはだいぶ違う

こんな感じで浪人時代をやり過ごし、次の年の春には何とか大学にもぐりこむことができました。

何をしていても薄い灰色の膜がかかっているような暗い浪人生の生活でしたが、代ゼミ生時代は確実に青春の1ページでした。


























 

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