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ブログ再開しました。 以前ほど頻繁に更新できないかもしれませんが、ぼちぼちやっていきます。

タグ:ローマ

ローマの街からスタート。

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現在位置不明。

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トレビの泉のある広場に出る。

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ローマに来た観光客が必ず訪れる観光スポット。

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すっかり観光旅行気分w
後ろ向きに泉にコインを投げるとまたローマに来られるという言い伝えがあります。

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旅のお題は「ローマは水なしにしてならず!?」。
案内人は前回に引き続きローマ県公認観光ガイドの栗原大輔さん。

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トレビの泉は1762年完成。
ローマの街には噴水が900か所以上あるらしい。

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水をテーマに街を歩けば、ローマの歴史を感じることができる。

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第123回 水の街・ローマ

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トレビの泉から車で30分。
古代ローマ時代の水の痕跡を見にきました。

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2000年前の水道の痕跡、水道橋。
約80kmの水源から水を運びました。

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ここの案内人は前回フォロ・ロマーノを案内してくれたマッシミリアーノ・ギラルディさん。

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水道橋に使われている石は黒い粒粒が入っているのでこしょう凝灰岩(ペペリーノ)という。

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頑丈な凝灰岩。

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この水道橋には毎秒4トンもの水が流れていたそうです。

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一定の勾配をつけて水を運んでいました。

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かつては十数キロにわたり水道橋が続いていました。
今はその十分の一ほどが残っています。

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上下に水路があって2本の水道が同じ水道橋を使っていました。

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実は全部で11本もの水道がありました。
古代ローマの街は100万人以上の人が住んでいました。

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続いて水道橋の痕跡が残る街なかへやってきました。

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かつては上に2つの水道が通っていた。

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マルクスなんちゃらさんのお墓。

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マルクスさんはパン屋さんだった。

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パンを売って奴隷から大金持ちに成りあがる。

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3世紀になると弱体化したローマ帝国は蛮族の襲来に備えて街を城壁で取り囲みました。

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続いてタモリさんたちが向かったのは、中心部から南へ約10kmほどの場所。
今走っているこの道は古代ローマ時代からあるもの。

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アッピア街道はローマから南イタリアの港町まで続く道。
ローマが巨大帝国に発展した秘密は実はこのアッピア街道にあります。

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アッピア街道はガタガタ。

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アッピア街道の案内人は考古学者のバルトロメオ・マッツオッタさん。

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紀元前312年に造られた石畳のアッピア街道。
現在は石がすり減っていますが、当時は隙間がなく滑らかな道でした。

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硬く頑丈な玄武岩が使われています。

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古代の建物と中世の建物。

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建物は直接岩の上に建っている。

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これも玄武岩。
つまり、そばにあった玄武岩を採って街道を造っていた。

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玄武岩は火山から流れ出たマグマが冷えて固まったもの。


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古代ローマ人は流れ出た溶岩に沿って街道を造っていた。

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こうして丈夫でまっすぐな道、アッピア街道ができました。

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この街道で迅速に軍隊を移動させることができるようになり、領土拡大が始まったのです。

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本日の名言「地質を知るものが国を治める」

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ローマを中心に約20万㎞の街道を表した道路地図。
全長約7m。

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ローマからたくさんの街道が出ている。

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西はイギリス、スペイン、ポルトガル、モロッコ。

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東はインドまで。
帝国の領域外の商取引があった場所まで描かれています。

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「全ての道はローマに通ず」は本当だった。

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旅のお題「ローマは1日にしてならず」を実感したタモリさん。

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歴史の古さは来てみて初めてわかる。

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適材適所を実践していた古代ローマ人。

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ローマに脱帽。

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エンディング♪

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次回(1月19日)もローマ。

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コロッセオ前からスタート。
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ブラタモリ、記念すべき初海外ロケ!

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タモリさんは初ローマ。
卒業旅行でイタリアに来ていた林田アナ。

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旅のお題は「”ローマは1日にしてならず”とは?」

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案内人はローマ県公認観光ガイドの栗原大輔さん。
1歳半からローマに住んでいるローマっ子。

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2000年前のローマ帝国は広大な領土を支配していた。

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第122回 ローマ

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まずタモリさんたちが向かったのはコロッセオの西側にある古代の遺跡、フォロ・ロマーノ。
ローマ誕生の秘密を探ります。

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フォロ・ロマーノを案内するのは、国立ローマ研究所所長のマッシミリアーノ・ギラルディさん。
イタリアンなご挨拶w

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暗殺されたカエサル(シーザー)が火葬された場所。

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フォロ・ロマーノ復元図。
フォロとは英語でフォーラム(広場)のこと。

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この赤い矢印が指すものは何?

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これが赤い矢印が指していたモニュメント。
「ウンビリクス・ウルビス」。
訳すと「町のおへそ」。
この町の中心とはすなわち「ローマの中心」。
ローマは古代の世界の中心なので、すなわちここは「世界の中心」。

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ローマのへそ:
3世紀に造られたモニュメント
その1000年前に場所が決められていたという
この場所はローマ建国者のロムルスが掘った穴があったという伝説がある

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ロムルスという時計を持っていたタモリさん。

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双子の兄弟、ロムルスとレムスはオオカミに育てられたという。
紀元前8世紀、ロムルスはローマを建国した。

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フォロ・ロマーノは丘のふもとのくぼ地にある。

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丘の上には人が住む集落があり、丘の上の多くの集落が集まってできたのがローマ。

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7つの丘の中心のくぼ地がフォロ・ロマーノ。

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新たな案内人、ドナテッラ・デ・リータ先生。
専門は地質学。

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ローマにも「凝灰岩」はある。
ローマが火山性の地質だということが分かる。

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イタリアでも正解連発のタモリ氏。
凝灰岩の中に取り込まれている石灰岩。

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2億5000万年前、ローマは陸地がなく海底でした。
貝殻などが堆積した地層が隆起し、石灰岩の山が生まれます。
その石灰岩がローマ周辺の火山の噴火に巻き込まれ、たまたま凝灰岩の中に入ってしまいました。

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ローマ周辺は火山の影響を受けた地質と石灰岩の地質があります。
ローマはこの2種類の地質を利用して発展を遂げたのです。

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紀元前1世紀に造られたマルチェッロ劇場。

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紀元前1世紀は日本はまだ弥生時代だと思うと、感慨深い。

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昭和の東京を支えるエネルギー基地となった豊洲。

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しかし、時代の変化とともに工場はその役目を終えると次々と立ち退きました。

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平成に入ると、その跡地には再開発の波が押し寄せました。

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タモリさんたちは昔の姿をとどめている場所を探しに豊洲の街を歩きます。

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埋立地なのに坂道

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なつかしの円広志♪夢想花w

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(壁の)内側に何か守るべきものがあった?

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この壁は防潮堤だった。
人が住む住宅地帯と工場地帯の境に防潮堤を設置したのです。

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赤線(防潮堤)の端に水陸両用バスから見た「止めるぞ高潮 守るぞ都民」がある。

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豊洲在住40年の鹿取俊二さんが防潮堤と坂道の関係について説明してくれます。

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昭和30年頃までは平らだった。
ここは盛り土をした。

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昭和30年代初めに大きな台風がいくつか日本を襲いました。
その対策として考えられたのが盛り土。
工場地帯と住宅街を結ぶ幹線道路を防潮堤で遮ることはできないので、盛り土で幹線道路自体を上げて防潮堤代わりにしたのです。

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旧工場地帯に人が住めるようになったのは10年前。
今やこの有様。

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タモリさんたちは再び豊洲の中心に戻ってきました。
実はここには昭和の匂いが色濃く残る場所があります。

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ここが昭和へタイムワープする入口。

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路地を抜けると懐かしい感じの集合住宅が…。

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古い都営住宅は公園とセット。

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豊洲は短い期間で大きな変貌を遂げました。

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