まずタモリさんと桑子真帆アナが向かったのは鶴岡八幡宮前から歩いて10分の線路沿いにある小さな路地。

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ここで解説をしてくれるのは、東京大学史料編纂所 准教授の高橋慎一郎先生。
このあたりは扇谷というところですが、”おうぎがやつ”と読むそうです。
谷はヤツと呼ばれていたのだそうです。
「今日はヤツっていうヤツが中心になります」。
高橋先生はダジャレがお好きなようです。

鎌倉にはこのヤツが200以上存在するそうです。 
そして、高橋先生によると、かつてはほとんどのヤツにお寺や武家屋敷があったのだそうです。

一行はかつてヤツにあった武家屋敷の痕跡を見るために浄光明寺(1251~52年創建)に移動します。
浄光明寺は、元は北条氏のお屋敷だったのだそうです。

実は15年前、この浄光明寺の近所の民家でとてつもない大発見があったそうです。
それがこれ。

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浄光明寺敷地絵図

鎌倉時代の「鎌倉中」を描いた絵図として唯一現存。
国の重要文化財にも指定されています。

*鎌倉中:山に囲まれた平地部分。当時はこの鎌倉中に現在の倍の10万人が住んでいたそう。

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山が多い鎌倉で敷地を確保するため、当時の武士たちは山を切り開いて平場を作りました。
このあたりの岩は比較的掘りやすい凝灰質砂岩(鎌倉石)なのだそうです。
削りやすく火に強い性質を持っています。

鎌倉は平地が少ない場所なので、墓地は山を切り開いた場所に作ったのだそうです。
墓地と石切り場を見た後、一行は地蔵院(絵図中央上)を目指して急な石段を登ります
石段を登りきると造成された平場になっており、岩壁をくりぬいた堂にお地蔵様(1313年)が安置されています。

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さらに一行は鎌倉石の崖を背景にした庭園に案内されます。

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元々は場所を作るために切った崖だったのですが、その風合いを生かして庭園にしたのだそうです。

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