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特にテーマは決まっていません。 興味のある記事があれば、ぜひぜひお立ち寄りを。

タグ:ブラタモリ

砂丘の地下に何があるのか?

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その答えを知るために、タモリさんたちは砂丘の下に降りていきました。

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湧き水。

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このあたりは1日約600tもの水が湧いている。

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すぐ正解を言ってしまうタモリさん。

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砂丘と火山灰層と湧き水。
先ほどの筒の29メートル下には地下水があったのです。

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「馬の背」のふもとにあるオアシスもこうしてできました。

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研究用に栽培しているワサビ。

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きっちり辛い。

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ワサビは温度変化に弱い植物ですが、砂丘の湧き水の水温は1年中一定している(15℃前後)ので育てることができます。

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砂丘の湧き水を使っているお宅。
洗い物やお風呂、畑の水やりに使っているそうです。

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鳥取砂丘は実はこんなに広い。
大部分が開発され、観光砂丘が残されている。

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鳥取大学乾燥地研究センター内に立っている碑。

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このあたりの土地は陸軍省が管理していた。

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陸軍がここを演習場にしていた。

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砂丘から見つかった銃弾。

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砂丘の起伏が軍事訓練に適していた。

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当時は演習場なので一般市民が砂丘を見ることはできなかった。

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陸軍の演習場として使われたことで開発から逃れた鳥取砂丘。
戦後は観光地として生まれ変わりました。

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砂丘のキワにある魅力とは?

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砂丘の入り口からスタート。

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鳥取といえば砂丘。
逆にこれしか思い浮かばない。

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年間200万人が訪れる鳥取砂丘。

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砂丘は日本海に面して南北2キロ、東西1.5キロにわたって広がっています。

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旅のお題は「なぜ鳥取砂丘は人をひきつける?」。

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鳥取砂丘の一番人気。

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案内人は鳥取大学の小玉芳敬先生。

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ラクダの名前はリサちゃん。

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林田理沙アナと同じ名前。
いい笑顔です。

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リサ on リサw

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また火山が出てくる模様。

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人気スポット「馬の背」を目指して歩く。

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傾斜角は約32度。

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土や砂が滑りださない限界の角度を「安息角」という。

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素材や状態によって安息角の角度は異なるが、乾いた砂は34度ぐらい。

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馬の背の頂上から来た道を見る。

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海からの高さは45mもある。

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馬の背(赤)とラクダのいる高まり(青)。
なぜ2つの高まりは隣り合っているのか?

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風紋:
砂が風に運ばれて地表につくられる紋様

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風が鳥取砂丘を形づくる原動力。
川から出る大量の砂が日本海から吹く風によって内陸に吹き寄せられる。

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この赤い土は何?

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この土は火山砕屑物(火山灰)。

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ラクダの高まり(砂丘)は火山灰でパックされている。

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模型を使って確認。

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もし、ラクダの高まりが火山灰でパックされていなければ、二つの砂丘は風で移動する。

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ラクダの高まりが火山灰でパックされている(赤)ので二つの砂丘は動かない。

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続いてタモリさんたちは那珂川の北にある那須町にやってきました。
大規模な娯楽施設が集中するエリアです。

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那須といえば牧場、牧場といえばソフトクリーム?

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南ヶ丘牧場は那須連山の中腹にあります。

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この牧場が酪農を観光化させた先駆け。

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酪農が観光資源になった理由は、地形や地質に関係がある。

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南ヶ丘牧場の会長、岡部勇一郎さんに開拓当時の話を聞く。
岡部さんの父親が昭和23年に満州から引き揚げて開拓を始める。

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標高の高い、岩がゴロゴロしている荒地では農作物は育たず、酪農しかできなかった。

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この牧場から2キロほど離れたところに温泉(那須湯本温泉)があり、温泉の湯治客が暇を持て余して散歩がてら牧場に来るようになった。
これが酪農の観光化の始まり。

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牧場の観光地化を推し進めるべく、食事やレジャー施設でおもてなしの環境を整えた。

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続いてタモリさんたちが向かったのは南ヶ丘牧場から6キロほど離れた遊園地(那須りんどう湖レイクビュー)。

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高度成長期、那須町には様々な娯楽施設が現れ、このあたりは一大レジャー王国になりました。

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昭和40年りんどう湖を利用してレジャー施設の営業を開始。

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湖面を渡るジップラインを見た二人の感想w

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あちこちにある小山は…。

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流山:
山体崩壊で山の一部が流されてできた地形

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地形地質好きにとっては、ここは流山パーク。

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りんどう湖は人造湖。

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何のために人造湖が造られたのか?

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りんどう湖は最初は農業用の溜池だった。

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後にレジャー施設として利用された。

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湖と山。
これはある景色にインスパイアされている。

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箱根の芦ノ湖。

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あるいは日光の中禅寺湖。

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リゾート地には湖が必要。

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那須は開拓とリゾートがいっしょに進められた。

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エンディング♪

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次回(9月8日)は鳥取砂丘です。

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千本松牧場からスタート。

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タモリさんがふと気づいたこと。
森田と林田は「木」が一つ違いw

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今回のテーマは「なぜ那須は一大リゾートになった?」。

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案内人は那須塩原市那須野が原博物館の金井忠夫さん。
那須には年間1400万人の観光客が訪れるそうです。

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リゾート那須を支える4大要素は、酪農、温泉、レジャー施設、別荘。

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リゾート那須誕生に関係する手がかりを探るため、タモリさんたちは馬車で移動します。

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千本松牧場は東京ドーム178個分。

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広さを表すのに東京ドームを持ち出すのはいかがなものかw
確かにそうだけど、他にいい例えがなかなかない。

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巨大農場(千本松牧場)の中にある松方正義の別荘
松方正義は総理大臣を2度務めた明治政府の大物。

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明治政府の要人(華族)たちは那須で農場経営をしていた。

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農場を所有するのはヨーロッパ貴族のマネだった。

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農場は華族のステータスシンボル。

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那珂川の南側に約1万haの農場が開拓された。

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山手線の内側より広い。
1万haよりはわかりやすい?

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なぜこれだけ広大な土地が那須に残っていたのか?
その理由がわかる場所に来たのですが…。

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碍子(がいし):電柱や鉄塔に取り付けられる絶縁体

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碍子好きのお宅w

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見たことはあるけど、これを碍子というとは知らなかった。

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ガイシファンは数少ない。

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奥さんにしてみればガイシはゴミ同然。

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理解者が現れて感激の八木沢さんw

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このあたりの土地は石が多い。
耕作に適さないので、明治になっても広大な土地が残されていた。

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石が多い理由は扇状地(川が運んだ土砂や石が堆積してできた土地)。

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いよいよ海底トンネルに向けて出発進行。

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山陽本線の上り線に入ります。

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トンネルへ。

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上り線と下り線が別れている。
万が一、一方が使えなくなってももう一方で運行を継続させるために分かれているそうです。

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トンネルの入り口は両方とも四角い。

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ところが、途中から丸くなる。

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これはなぜ?

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四角いトンネルはあらかじめ地上で作ったトンネルを埋め込んだもの。
地表に近い場所で用いられます。

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450mから先は地中をくり抜いて作ったトンネルなので楕円形になっています。

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入口から900m、地下20mでいったん降ります。

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トンネルの形を観察。

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よくよく見ると、下関側が円、門司側が楕円。

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形の違いは工法の違い。
ここから先はシールド工法でトンネルが掘られている。

シールド工法:筒状の機械で地中を掘り進めていくトンネルの工法

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真砂の弱い地盤を掘り進めるためにシールド工法が選択されました。
関門トンネルの最初の関門は”地盤の弱さ”。

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今は全部機械が掘るが、当時は先端は人が掘っていた。

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人力なので400m進むのに1年以上かかった。

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シールドの外枠だけが残されて、今もトンネルを支えていた。

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関門トンネル2つ目の関門は”気圧との戦い”。

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土砂の崩落を防ぐため、トンネルの中には絶えず高圧の空気が送られていた。
高圧の中で作業をしていた人が急に地上に出ると気圧が急に下がるので潜函病という病気になる。

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潜函病:
高圧の環境下から地上に戻った時に現れる
目まいや関節痛などの症状

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作業員は減圧室で徐々に気圧を下げて潜函病を防いだ。

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トンネルの最深部にやってきました。

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関門トンネル3つ目の難関は”湧き水”。

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