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特にテーマは決まっていません。 興味のある記事があれば、ぜひぜひお立ち寄りを。

タグ:ブラタモリ

富良野と言えばラベンダー。

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富良野を全国区にしたのはこのドラマ(北の国から)だと思います。

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タモリさんたちはラベンダー畑がある中富良野町にやってきました。
案内人はラベンダー農家の2代目富田均さん。
お昼休みはウキウキウオッチング♪
あれからはや4年…。

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ラベンダーの最盛期は終わっているので、パネルをバックに記念撮影。

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ラベンダーはフランス原産。
昭和30年代に北海道の奨励作物として栽培されました。

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ところが昭和40年代に入り、海外の安い香料が入るようになりラベンダー栽培は衰退。
富田さんのお父さんのラベンダー畑だけが残りました。

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富田さんのお父さんが書いた看板。
「ラベンダーが愛おしくてどうしてもつぶすことはできなかった…」

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そして、ラベンダー畑に「奇跡」が起きる。

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国鉄のカレンダーにこのラベンダー畑が掲載され、これがきっかけとなって脚光を浴びるようになりました。

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ラベンダー畑を見に来る観光客にラベンダーの商品を売るという新しいビジネスが始まる。

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ラベンダーの季節(7月)以外にも観光客に来てもらえるように、新たな花畑を作る。

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ラベンダーがない季節でも花が楽しめる富良野。

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花畑の前は米を作っていた。
わざわざ土を盛って斜面(赤い部分)にしている。
斜面にすると下からいろいろな花を一望できる。

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斜面を作った土はどこから持ってきた?

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斜面の土は”あの泥流”。

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とにかく斜面にしたかったので土壌のことまで考えなかった。

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花が育つ土壌になるまで5年かかる。

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残りモノ(泥流)には福がある。

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残りモノ(ラベンダー、泥流)を利用して富良野は人気観光地になりました。

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美瑛からスタート。

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場所確認。
富良野・美瑛は北海道の中央部です。

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富良野・美瑛の合言葉「残りモノには福がある」。

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案内人は上川総合振興局の槙納智裕さん。
富良野・美瑛が残りモノとは?

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北海道の開拓は船で行きやすい沿岸部や川沿いから進んだ。

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内陸の富良野・美瑛にたどり着くまで30年かかった。
つまり、富良野・美瑛は最後に残った開拓地。

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手作業で原生林を切り開く開拓民。

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第118回 富良野・美瑛

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野菜たっぷりの北海道名物とは?

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アイスクリーム、ジンギスカン、イカ、イクラ、海鮮丼…。
どれも耕さないw

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答えはカレー。

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豊かな土壌でいろいろな野菜が収穫できます。

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畑の色が違うのは、育てている野菜が違うから。

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道路はきっかり南北に伸びている。

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開拓者3世の菅野勝見さんによれば、丘の起伏が激しいこの場所は区切りようがなかったらしい。

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なので、強引に東西南北に区切る。

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当時の政府は高低差を無視して、土地を四角く区切った。

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四角い区割りと様々な農産物によって美しいパッチワークの丘ができる。

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何かやらかしたスタッフ。

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全国放送で醜態をさらされるw

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険しい山に囲まれた富良野の開拓は、美瑛よりもさらに遅れました。

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タモリさんたちは上富良野町にやってきました。

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山の上でヒグマに遭遇したことがある槙納さん。

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恐怖のあまり車で10㎞突っ走るw

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タモリさんたちは再び有田の街に戻ってきました。

有田唯一の洋館
明治9年に建てられました。

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ガイシ工場発見。

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ガイシは有田焼?

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有田はガイシ発祥の地だった。

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”1へぇ”いただきましたw

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ガイシ(碍子):
電柱などにつけられた絶縁体
電線との間に挟み漏電を防ぐ

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那須の回で出会った数少ないガイシファン。

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碍子を製造しているのは高級食器メーカーの香蘭社。

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工場長の岩石(いわいし)さん。

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磁器は絶縁体なので碍子に利用される。

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素朴な疑問。

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陶器は吸水性がある。
吸水性があると電気を通してしまう。

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磁器は電気を通す雨水などが浸みこまず絶縁体に適している。
しかも、とても頑丈。

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成形機。

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成形されたもの。

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8㎏ある金型。

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回転させて波型を作る。

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玉ガイシは電線(支線)の絶縁に使われる。

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玉ガイシのみぞを切る。

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タモリさん、玉ガイシ作りに挑戦。

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真剣。

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みぞが切れました。

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みぞを切った玉ガイシを手作業で磨いて仕上げる。

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ご満悦w

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柿右衛門窯に向かっています。
案内人は先週に引き続き九州陶磁文化館の鈴田由紀夫さん。

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柿右衛門窯:
江戸時代から続く歴史ある窯元
国の重要無形文化財

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有田の位置確認。

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江戸前期の柿右衛門。

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洋行帰りの柿右衛門。
欧州で金具をつけられている。

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若い人は知らないフラソワーズ・モレシャンw

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柿右衛門をお手本にしていたマイセン。

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ウチの母親もそうだったw

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第117回 有田焼、世界へ

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窯。

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昔のろくろ。

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ろくろで成形をしているところ。

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柿右衛門窯を案内するのは、当主の15代柿右衛門さん。

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材料の”土”は、白玉やギョーザの皮ぐらいの柔らかさ。

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陶石を加工して粘土を作る。
これが磁器の原料になる。

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陶磁器がろくろでできることを知ったタモリ少年は、博多人形を作る家で粘土をもらってきた。

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レコードプレイヤーをろくろにするw

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粘土を乗せたレコードプレーヤーはまったく回らず、あたりは土だらけになってお祖父さんに怒られたw

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絵付けの作業。

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かなり細かい。

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柿右衛門の特徴は”赤”。

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初代柿右衛門が焼きあがった磁器に絵をつける上絵付けの技法を取り入れる。
この技法で青以外の様々な色がつけられるようになった(赤絵)。

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有田焼の世界に広めたのは赤絵。

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線書き:
細い筆で線や輪郭を描く

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濃み(なみ):
太い筆で濃淡をつけて色を塗る

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続いてタモリさんたちがやってきたのは有田の市街地

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世界の有田焼を生んだ町を歩いてみます。

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有田焼の店が建ち並ぶ。

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若い女性にも人気の豆皿。

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古い町並みは保存地区になっている。

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煙突は焼き物の町の象徴。

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使われていないので草が生えている。

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冬になるとサンタクロースが…。

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サンタかわいいw

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焼き物の町らしい風情がある有田。

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有田の町は山に囲まれている。
この地形が有田焼を作るのに役立っている?

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タモリさんたちは地形と有田焼の関係を探ります。

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ここに磁器づくりのある工程の痕跡がある。

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ここでまた専門家にバトンタッチ。
有田町教育委員会文化財課の村上伸之さん。

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川辺に穿たれた穴は小屋の柱の跡

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この川べりでどんな作業をしていたのでしょうか?

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ここで行われていたのは陶石を砕く作業。
それには唐臼という装置が使われていました。

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唐臼のミニチュアモデル。
鹿威し(ししおどし)の要領で、一方に水がたまるともう一方が上がり、水がこぼれて無くなると一方が下がって石を砕きます。

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陶石は細かく砕かれ、最終的には片栗粉のようになる。

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唐臼は有田に270ぐらいあった。

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有田の川の川底は岩盤がむき出しになっているので、唐臼小屋の柱を建てやすかった。

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有田はいくつもの火山が密集している地域。
川となっているのは山と山がとなり合っている山すそ。

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火山から溶岩が流れ出て、川底は流紋岩の岩盤になっている。

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タモリさんたちは再び有田の市街地に戻ってきました。
地形を生かした工夫をさらに見ていきます。

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トンバイ塀
窯のレンガ(トンバイ)などを再利用して作った塀
表面についた灰が溶けてガラス状になっている

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この階段も有田焼と関係がある?

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