幼稚園児だった4,5歳の頃、私は何を思ったか近所のエリちゃんの家に遊びに行きました。
特に仲良しだったわけではありません。
あいにくエリちゃんはピアノの練習中で、私の相手ができませんでした。
私は明るい日射しが差し込むピアノのある部屋で一人積み木遊びをしていました。
これがエリちゃんに関する私の一番古い記憶です。

エリちゃんちは私の家から徒歩1分のところにあったので、当然小学校も、中学校も一緒でした。
この頃、彼女についての思い出はほとんどありません。
小6の時に同じクラスだったことは覚えています。

中3になってまた同じクラスになりましたが、話はほとんどしませんでした。
やがて高校受験が始まりました。
都内にはたくさんの高校があり、中学のクラスメイトたちの進路はバラバラに分かれました。

高校1年生の冬休みに、中学の同窓会がありました。
1年ぶりに再会したエリちゃんはオカッパだった髪をセミロングにしていました。
中学の時はテカテカになった制服の紺のブレザー姿でしたが、その日のエリちゃんは白いアランセーターにタータンチェックのウールの巻きスカート、靴は黒のローファー(当時流行のトラッド系ファッション)でした。
今の芸能人で言えば、物静かな新垣結衣という感じかな。
色白の美少女になったエリちゃんに、私は初めて異性を意識しました。

それからほぼひと月後のバレンタインデーに、私はエリちゃんからチョコレートをもらいました。

私は決してモテる方ではありませんでした。
モテる男の子はだいたい明るくて社交的で爽やかなコですが、私は内気で子供っぽいコでした。
エリちゃんはキレイなコなのに、残念ながら(ありがたいことに)好みがマニアックだったようです。

ということで、私はエリちゃんとおつきあいをすることになりました。

月に2、3度くらいの割合でデイトしていたと思います。
新宿に映画を見に行ったり、吉祥寺や渋谷をブラブラしたりしました。

今でもよく覚えているのは、代々木の国立競技場でアイススケートをしたことです。

彼女は白いスケート靴を持っていてスケートが上手でした。可愛いグリーンのダッフルコートを着てすいすい滑るエリちゃんはとても目立っていました。一方下手な私はすぐに足が痛くなり、借りた靴が合わないなどと言い訳じみた文句を言っていました。すると近くにいた同い年ぐらいの男の子たちのグループの一人に「靴のせいにしてるよ」とわざと聞こえるように言われました。あの時は気まずい思いをしましたが、今にして思えばなんであんな情けないヤツがあんな可愛いコとつき合っているのだという腹立たしい思いが彼にはあったのでしょう。

それから私の部活の対外試合をエリちゃんが見にきてくれたこともよく覚えています。

エリちゃんと一緒に帰るため、試合後私は大急ぎで着替えました。
駅のホームでエリちゃんはなぜか銀紙に包まれた手作りのスポンジケーキを差し出しました。
私もなぜかその場でケーキを口にほうばったのですが、試合後に水もろく飲まなかったので喉が渇いていました。
スポンジケーキは口の中の水分をすべて吸い取り、私はケーキを飲みこむことができなくなり目を白黒させました。

どういうものか、こういったほろ苦い思い出はいつまでも記憶に残るようです。

高校の3年間、私はエリちゃんとつきあっていました。

彼女は私よりずっと大人だったのでケンカをすることはありませんでした。
ケンカもしませんでしたが、なんというか、恋人的な甘い関係になることもありませんでした。

あまりにも小さな頃から彼女を知っていたせいか家族のような感覚があり、強いて男女の関係を求めようとも思いませんでした。
そのうち自分にはエリちゃんに対して恋愛感情がないように思えてきて、いつまでも幼なじみとつき合っていることに疑問を感じるようになりました。

大学生になってから私たちは次第に疎遠になり、結局自然消滅の形で私たちの関係は終わりました。

今にして思えば、エリちゃんはとても素敵なコでした。
一言でいえば豚に真珠。
当時の私にはエリちゃんの気持ちやエリちゃんの良さがわからなかったのです。

野球に例えると、デッドボールすれすれのインハイや手元で沈む変化球を経験して、初めて初球がど真ん中のホームランボールだったことに気づいたようなものです。

二十代後半ぐらいにエリちゃんは私の知らない人と結婚し、遠い町に行ってしまいました。
それからしばらくして、中学時代からの親友T君がある”告白”をしました。

「自分はエリちゃんがずっと好きだった…。だからエリちゃんとつき合っていたお前に近づいたんだ」

彼は私を通してでも、エリちゃんの存在を感じたかったのだそうです。
この話を聞いた時はちょっとショックでしたが、彼の屈折した心情を思うと怒ることもできませんでした。

50代になった今でも、T君とは年に1,2度会う飲み友達です。