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タグ:バイク

 昔話のスト-リー

マツコさんが桃太郎はなぜ桃から生まれたのか、という疑問を語っていまししたが、実は桃から生まれるという話は明治時代以降に定着したもので、それ以前はおじいさんとおばあさんが桃を食べて若返り、それで子供を授かった、という話が主流だったそうです。
子どもに聞かせる話として老夫婦の回春はふさわしくないということで、この部分は自然に差し替えられてしまったのかもしれません。

このように昔話が時代の流れに合わせて改変、削除された例は少なくないようです。

「雀のお宿」ではおじいさんが雀のお宿への道を道行く人に聞いて回るのですが、その都度道を教えるのと引き換えに”馬の血”や”牛の小便”を飲まされたりしたというパートがあったそうなのですが、これも明治以降に削除されたそうです。
「一寸法師」もお姫様を妻にしたいがために、一寸法師はお姫様に濡れ衣をかぶせ、それをとりなすという形でまんまと二人で旅に出ることに成功する。
御伽草子に載っているもともとのオリジナルは、そういう一寸法師の好感度ダダ下がりの展開だったようです。
「猿蟹合戦」はカニとサルは(殺されたのではなく)ケガをする程度とマイルドに書き換えられたバージョンが昭和末期頃に出回るようになりました。

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 性格の良い夫(妻)と悪い妻(夫)のペアは意外にいると思う

子どもへの教育的観点とか、道徳的な問題といった諸事情はあるのでしょうが、現代人にはちょっとのど越しの悪いオリジナルのストーリーも残しておきたいような気はします。

それにしてもインタビューに応えていたラーメン屋のお兄さんの独自解釈は面白かった。
わらしべ長者⇛コンビニに置いてある「楽して500万を稼ぐ」みたいな本を読むタイプのヤツ。
一寸法師⇛大きくなったから結婚するのはおかしい、本当の愛じゃない。

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このお兄さんが「ものぐさ太郎」を読んだら、怒髪天を突くこと間違いなしw


  大阪のニュース

  街頭犯罪認知件数15年連続ワースト1

街頭犯罪とは街中での犯罪ー車上荒らし、自転車盗、自動車盗、ひったくり、路上強盗、恐喝などーのようです。

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私も昔2泊3日で大阪に遊びに行ったことがありましたが、ジャズバーでぼったくられ、スーパー銭湯で時計を盗まれましたw
何より印象的だったのは二重駐車がすごく多かったこと。

大阪の人のインタビューを聞いていて思ったのですが、大阪の人は犯罪に対する耐性が強いような気がします。
オヤジ狩りにあって、鼻血が出てもケガはしなかったと言い張るお父さん、スタンガンを当てられたり、自宅のリビングに知らない男がいたりという話をしながら、アハハと笑う若い女性たち。
東京ならもっと深刻に大げさに受け止めていると思います。

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大阪は商人の街、お上なぞあてにしないでたくましく生きるスピリットが根づいているのかもしれません。

大阪のバイク店に20年前の窃盗を詫びる手紙と現金3万円が送られてきたという話は、前にネットニュースで読みました。
インタビューで店主の奥さんが「金額の問題じゃない」と言っていました。
ということは、盗まれたヘルメットとバイクの中古タンクの値段は3万以上だったんですね。
店主夫婦が20年前に盗まれたタンクの車種をきっちり覚えていて、犯人側が謝罪しながら勝手に値切っているところが大阪っぽいw

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 大阪の給食が不味すぎる件

商人の街だからでしょうか、大阪は自治体が絡んだ仕事はお粗末という印象はあります。

例えば、ゆるキャラ。
大阪府の自治体では各部署が勝手にゆるキャラを作ったため、昨年6月時点で92体まで膨れ上がったそうです。
(その後ゆるキャラのリストラが進み、公式統一キャラクターは「もずやん」になるようです)
 
橋下大阪市長が今孤軍奮闘しているようですが、大阪は変わるのでしょうか。

ただ、給食に関してはアメリカの給食よりは(少なくとも栄養面では)まだマシかもしれません。 

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 大阪の給食                      アメリカの給食 ドッグフードみたいだ…


 個人的重大ニュース

乳首が腫れた話を事細かに話してくれたおネエさんがいましたが、東日本には絶対にいないタイプです。 
色気よりもウケることを優先してしまう、”大阪で生まれた女”の悲しい性(さが)ですw

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フィリピンのセブ島で自転車を借りて(アウトドアツアー・ショップ プラネット・アクション)サイクリングをしました。

白砂のビーチが有名な観光地ーホワイト・ビーチに行きましたが、あいにくの曇り空で人はほとんどいませんでした。
私の他に観光客といえば、ビキニからはみ出たお肉が気になるアラフォーの白人女性4人組ぐらいでした。
地元の漁師兼海の家のおじさんと少し立ち話をして、リゾートホテルの中庭で遊んでいた犬たちを写真に撮ってから自転車が停めてある駐車場に戻りました。

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 モアルボアル ホワイトビーチ

自転車を漕ぎだしてすぐ後輪のタイヤがパンクしていることに気づきました。
悪路を来たので釘でも踏んづけたのかもしれません。
あるいはイタズラされたのかもしれません。
原因はどうあれ、パンクしていることには変わりありません。

私は自転車を引いて歩き出しました。
無理して乗ってリム(車輪)でも歪めた日には、自転車屋に預けたデポジット(保証金)の5000ペソ(当時のレートで約1万円)が返ってこない恐れがあるからです。
ビーチの入り口にいたガードのオジサンにパンクを直せるところはないか聞いたのですが、そのオジサンは現地語で何やら言いました。
言葉はわかりませんが雰囲気でわかったのはもう少し先に村があるからそこに行ってみろ、ということでした。

自転車を引いてしばらく歩いていると雨がぽつぽつと振ってきました。
ジャングルの中に小さな家々が数件見えてきたところで、雨は本降りになってきました。

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 闘鶏用の鶏を飼う家は多い

粗末な、一間しかない小さな家の窓から若い夫婦がこちらを見ているのに気づきました。
「パンクを直せるところありませんか」
身振りを交えてつたない英語で彼らにそう呼びかけると、彼らは隣の家を指さしました。
「隣?そこ?」
あまりに近くに目的地があったことを訝しく思いましたが、私はその家に近づきました。

その家はよく見ると、トロトロ(簡易食堂)になってました。
食堂と言っても普通の家の軒先で営業しているようなごく小さな店です。
テーブル席が一つと手作りのカウンター。

そのカウンターの向こうで18、9くらいの娘が店番をしていました。
「あのーパンクを直してください」
私がそう言うと、彼女は大きな声で誰かを呼びました。
彼女は何度か呼びましたが、返事はありません。
強くなった雨脚の音だけが私たちを包んでいます。

「今いないみたい。遠くには行ってないと思うけど…」
「じゃ、少し待ちます」
パンクを直せる人がいるのなら、待つ価値はあります。
それに外は雨です。
そして、ちょうどお昼時でした。
待っている間、お昼ご飯を食べることにしました。
「ここ食堂ですよね。何がありますか?」
「今日あるのは鶏レバーとナスの炒め物と魚のフライ」
「じゃあ、魚。それとビール」
「わかりました…あなた日本人?」
「そうだけど…なぜわかるの」
「その…」
彼女は少し躊躇しているようでした。
「…話し方」
「ああ」
どうやら私は日本語なまりが強い英語を話しているようです。
学生時代、テキストの新単語にカナでフリガナを振っていたツケでしょう。

私が小さなテーブルの席についていると、ほどなく彼女が食事とビールを運んできました。
食事は山盛りのごはんと15センチほどの魚のフライが一匹。
以上。

フィリピンの庶民の食事は実にシンプルです。
私は街のジプニーの車掌クンの横顔を思い出しました。
スペイン系の血が混じった彼はなかなかのイケメンでしたが、少し痩せすぎで顎が尖っていました。

おかずとごはんの比率があまりにアンバランスで、私はご飯を半分近く残してしまいました。

軒下で物欲しげな様子の犬がこちらを見ていたので、私は掌にご飯を載せてそいつを呼びました。
犬はおずおずと私に近づき、手の上のごはんをうまそうに食べ始めました。

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こちらの犬は概ねおとなしいが、狂犬病を持っていることがあるので注意

すると娘が店の奥から出てきて、「&%$#!」
と、犬を叱りつけます。
客人からエサをもらうような真似をするなということでしょうが、仁王立ちの娘は犬と座っている私を見下ろし、完全に私も一緒に叱られている感じでした。

どこからともなくオジサンが現れ、ビニール袋に入れたナスの炒め物をテイクアウトしてバイクで去ってゆきました。
雨は少し小やみになってきました。

私は娘に声をかけようとしてカウンターの方を見ましたが、そこには誰もいないように見えました。
立ち上がってカウンターの奥の暗がりを覗くと、椅子に座った彼女が身じろぎもせずじっと虚空を見つめていました。
まるでお寺に安置された菩薩像のようです。

「あの…家の人は帰ってこないかな」
「まだ…みたい」
「そろそろ行きます。他にパンクを直せるところありますか」
「ボーカサイスィング・レスト」
「えっ?」
「この先を行った右手にあるわ」
「もう一度言ってくれますか?」
「ボーカサイスィング・レスト」
どういう場所か見当もつきませんが、私はその名前を頭に刻みつけました。
「いろいろありがとう。さようなら」
「さようなら」

私は雨上がりのぬかるみの道を自転車を押しながら再び歩き始めました。

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