ロケ地目黒。
目黒不動尊にはサツマイモを広めた青木昆陽の墓がある、というお話。 

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ゲストはスピードワゴンの二人。

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タンドール窯の父とゆかりのある方々。
左から、アショカのバルマさん、シターラのフセインさん、アジャンタのジェイさん、シタールのシンさん。

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タンドール窯とはナンなどを焼くつぼ型のオーブン。

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日本のインド料理店にあるタンドール窯のほとんどは高橋重雄さん(1933~2009)というタンドール窯職人によって作られていました。 

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今回は有名インド料理店の方々に集まってもらい、日本タンドール窯の父、高橋重雄さんの偉大な足跡を紹介してもらいます。

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写真左の白いツボがタンドール窯。
タンドール窯は、右のステンレス製のガスオーブンに入っているそうです。

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高橋重雄さんの甥にあたる神田川石材商工、現社長竹田伴康さん。
前社長の高橋重雄さんとタンドール窯について、解説をお願いします。

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神田川石材のタンドールは高温に強いムライト系セラミックを使用しています。
素焼きのインドのタンドール窯に比べて、2~3倍の耐久性があるそうです。

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実際にナンを焼いてもらいます。

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窯の内側に張りついたナン。
タンドール内の温度は280~300℃。

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あっという間にアツアツのナンができました。 

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皆で試食。
タモリさんお代わり。

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そもそも、なぜ高橋さんはタンドール窯を作ることになったのか?

高橋重雄 タンドール伝説 第1章

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1960年代後半。
神田川石材2代目社長、高橋重雄は本業のパン焼き窯の発注が激減し、新たな窯の開発を迫られていた。

ある日たまたま立ち寄った本屋でタンドール窯の記述を発見。

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”人がやらないうちにタンドール窯を作ろう”。

そう考えた重雄は北インド料理店アショカで初めてタンドール窯を目にする。 

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重雄はアショカのチーフシェフのジョンさんにタンドール窯のイロハを教えてもらう。

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そして1970年頃、国産タンドール第1号が完成。

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しかし、タンドール窯の需要はなかった。 
なぜならこの当時、東京にインド料理店は3、4軒しかなかった。 

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1960年代、パン窯の需要は大手パンメーカーの台頭で激減したのだそうです。
町のパン屋さんがパンを焼かなくなった。
 
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若き日のバルマさん(写真中央)はビートルズのポールに憧れて髪型(マッシュルーム・カット)を真似していたそうですw

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 「インド人はナンをあまり食べない」という衝撃の証言。

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