Halohalo online

特にテーマは決まっていません。 興味のある記事があれば、ぜひぜひお立ち寄りを。

タグ:トゥームレイダー

家庭用ゲーム機器が出回る前は、1980年代にインベーダーゲームとかブロック崩しなど、喫茶店やゲームセンターでやるゲームが大流行しました。
私もおつき合いで少しはやりましたが、のめりこむほどではありませんでした。

invade
 コンピューターゲーム界のビッグバン 
 これでコンピューターゲームの認知度が一気に高まりました


私が最初にやった家庭用コンピューター・ゲームは、ドラゴンクエストでした。
まだファミコンの時代で、ゲーム機にカセットを嵌めこむタイプです。
画像があまりにお粗末で面白くなくて、途中で止めてしましました。

doragon1
 これをやるには大人になりすぎていた?

これに懲りて、しばらくゲームには手をつけませんでした。 

そして、1990年代後半、家電店で何気なく手に取ったパソコン用ゲーム・ソフトによって、私のゲーム・ライフが復活しました。
それがトゥームレイダーⅢです。

まず、画像が美しいのに驚きました。
ジャングルや古い寺院、ロンドンの地下鉄などクオリティの高い画像によってバーチャル世界にすんなり入りむことができました。

 tomb
 結局3が一番面白かったな…

セクシーで強いヒロイン”ララ・クロフト” は様々武器を手にして敵と戦いながら冒険をします。
 決してやさしいゲームではなく、行き詰った時にはネットのゲーム攻略サイトに助けてもらいました。
このゲームで、私は初めてコンピューター・ゲームに夢中になりました。

 そして、再び手にしたドラゴンクエストも短い期間ですさまじい進化を遂げていました。
ルーラ、ホイミの呪文は昔のままでしたが、画像のクオリティやゲームシナリオの面白さは初期作品とは全くの別物でした。
天空シリーズをはじめ、2000年代前半までのドラゴンクエストに次々と手を伸ばしました。

nonenslaim
 能年玲奈の正しい起用法

次にハマったゲームはレイトン教授シリーズです。
謎解きの面白さもさることながら、私はこのシリーズの絵と音楽が好きでした。
イギリス(?)の情緒あふれる街並みを見ていると、不思議に心が癒されます。
rayton
独特のレイトン・ワールドが素敵です

有名なファイナルファンタジー・シリーズも中古ソフトを買って時々やりましたが、このシリーズの絵は私好みではありません。
最近、車のCМでどこかで聞いたことのある懐かしい音楽を流していると思っていたのですが、このシリーズのテーマ・ミュージックだったのですね。

/

私はこれらのゲームをニンテンドーDSやプレイステーションを使ってやっていましたが、メーカーが度々ゲーム機器をリニューアルして新しいゲーム機器の買い替えを迫るため、嫌気がさしてゲーム機器でのゲームプレイをやめてしまいました。

ゲーム機器をすべて処分したので、今やっているゲームはパソコンを使うオンライン・ゲームだけです。
オンラインゲームの良さはゲームの相手が人間だということです。 
行動が予測不能な人間同士がゲームをするので、同じゲームは一つもありません。

不正行為をしかけられたり、チャットで罵られたりと不愉快な思いをすることもありますが、これもままならない人間を相手にしてこその醍醐味と思えばリベンジして楽しむこともできます。

 wot1
 戦争ごっこは男子の本能
 
 















私がこの世で初めてコンピューターというものを目にしたのは…そう大学3年生、1980年代初頭でした。

ゼミの研究資料の整理に、コンピュ-ターを使ったのです。
その当時大学にはコンピューターは理学部の研究室にしか置いてありませんでした。
文系の私らはパンチカードというものを持参して、理学部の研究室に行きました。
パンチカードを理学部の学生に渡して、「お願いします」で業務終了。

punch
パンチカード 未だに意味不明だが、入試の時に見たような…

薄暗い研究室の奥の方にバカでかい灰色の機械が安置されているのが見えたのですが、あれがコンピューターだったのだと思います。

その後、大学の事務局と新しい学部棟にテレビのようなものをちらほら見かけるようになりました。
今思えばあれがパーソナル・コンピューター(パソコン)だったのでしょう。

大学を卒業して広告会社に就職しましたが、私はコンピューターとは無縁の日々を送っていました。
ですがマーケティングという部署にパソコンはありました。
マーケティングの人たちがよく「フロッピーが…」と口にしていたのは覚えています。
彼らが手にしていた薄い黒い板がフロッピーというものだとはわかりましたが、何に使うのかは皆目わかりませんでした。

私が本格的にパソコンに出会ったのは齢30の時でした。
ちょうどバブルが始まりだした頃でしょうか。

私は縁あって、教育ソフトの制作会社に就職しました。
ここで初めてパソコンというものを触ったのです。
かの有名なpc98。
戦闘機で言えばゼロ戦みたいな名機です。

PC-9801RA2

まだ二十歳にもならないおねえちゃんに、パソコンの手ほどきをしてもらいました。
パソコンの起動とキーボードの操作ぐらいですが、やっと自分も現代人の仲間入りをしたような気分でした。

この会社は半年ほどで辞めてしまったので、結果的にはお給料もらってパソコン教室に行っておったようなことになりました。

自分のパソコンを初めて所有したのはそれからしばらくしてからのことです。
姉がオフィスで使っていたパソコンをお下がりで譲り受けたのです。
マッキントッシュ・ポータブル。

macportable
当時は100万ぐらいしたらしい

上の写真は1989年に発売されたこいつ(手前)と2010年リリースのマックのノートブック(奥)です。
昔の人は大きかったんですね。

kyojin

画面は白黒で字と線しか見られなかったのですが、これで結婚後の新居を見つけました。
思い出深い一品です。

義理の妹夫婦がプログラマーをやっていたので、結婚祝いにまたまたお下がりのパソコンをもらいました。
デルというメーカーの一品です。
dell
1996~98年頃のDell製品

パソコンでゲームをするということを覚えたのはこの頃です。

images3HWVW8SV
トゥームレイダーシリーズは結局Ⅲが頂点かな

初めて新品のパソコンを買ったのは、2003年の春だったと思います。
富士通のFMV deskpower (20万弱だったと思う)。

fmv

テレビが見られるのがウリでしたが、結局これでテレビを見ることはほとんどありませんでした。
こいつは8年ほど使っていましたが、だんだん動作が重くなってくるのがしんどくなり、とうとう買い替えを決意しました。

そして、価格コムを見て驚いたのですが、高性能のノートパソコンが3万台で売っている時代になっていました。
FMVクンは廃棄するのも忍びなく(有料だし)、ネットで引き取り手を見つけました(あげくだ リサイクルユース情報)。

4トントラックで自宅に乗りつけたその人は千葉の農家の方で、電気自動車の制作もやっているという好奇心旺盛な人でした。 
ハードの中身を入れ替えて快適に動くようになりましたと、しばらくして報告を頂きました。

そして、現在私が使っているパソコンはこれです。
emachines

emachines E729Z
 
2011年購入で3万ちょっと。台湾のメーカーのものです。
価格が安い分、サポートが不十分という評価はありますが、今のところ問題はありません。

ただ、オンラインゲームなどをやるにはスペック不足で、もっとCPUが欲しいなどと、イッチョマエのことを考えています。

こうしてパソコンの歴史を振り返ってみると、価格と性能がすさまじい勢いで反比例していることが分かります。
パソコンのさらなる進化が楽しみですね。





このページのトップヘ