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ブログ再開しました。 以前ほど頻繁に更新できないかもしれませんが、ぼちぼちやっていきます。

タグ:インド人










 新生活を始める人のためにあの街を調査した件~江戸川区

東京23区の最東端に位置する江戸川区。

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人情味溢れる下町。

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 江戸川区の悪いところ

何もかも足りていない。

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江戸川区は二つの川に挟まれた陸の孤島。
それゆえ他の区に比べて開発が進まなかった。

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平成25年、刑法犯認知件数23区中1位。

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江戸川区のお巡りさんは忙しい。

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ということで、4年間で防犯カメラ倍増。

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 江戸川区のいいところ

子育て保障の充実度23区№1.

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区の予算の約四分の一を子育て支援に使っている。

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医療費は中学生まで無料。
息子が手術したが実質0円なのに、保険で手術代10万円が入ってくる。

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○玉を手術して、金が入ってきたw

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笑いが止まらないお母さんw

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23区で最も女性が結婚しやすい。

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そんなことはないと思うけどw

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とりあえず籍を入れる。

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すぐ籍を入れるが、すぐ籍を抜く。

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結婚も多いが離婚も多い区。

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嫁に逃げられた独身男が多い。

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Facebookでつながった二人。
女性は名古屋から来た。

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お年寄りがSNSでナンパする時代。

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江戸川区の独身男性は全国の女性を待っています。

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意味不明w

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 西葛西

江戸川区最大級のベッドタウン。

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西葛西は日本有数のインド人居住地区。

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住民の12人に1人はインド人。

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日テレ大好きなインド人主婦。

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一番好きな番組は「ズッキリ」w

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 船堀

船堀といえば、江戸川ボートレース場。

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日本は技術が進んでいる国。

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海外の展示会では日本以外のブースはガラガラ。

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日本のブースは人がいっぱい。

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日本の宝石加工技術は世界トップレベル。

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 3大カラーストーン パライバトルマリン

1980年代ブラジルのバライバ州で採掘。

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パライバトルマリンに魅せられるマツコ。

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お手頃価格、1700万になっておりますw

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熊谷市民のプライドが…w

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次のはもっとすごい。

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マツコに負けない存在感。

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80カラットのパライバトルマリン。

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お値段は言えませんが、4,5億円はイイ線です。

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1300万の指輪。

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インド人宝石商の術中にはまるw

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カピル「(小声)2,3000万になっても全然おかしくないです」

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思いが千々に乱れすぎて、言ってることがおかしいマツコw

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 3大カラーストーン アレキサンドライト

この石を扱っていれば、超一流の宝石商。

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アレキサンドライトゥです。

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この石は数がないので、一気にトップ見せます。

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3カラットのアレキサンドライトゥ。

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1カラットでもなかなか出ない。

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お買い得の2000万w

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光によって色が変わる。
日光・蛍光灯では青緑。
白熱光では赤。

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「宝石の世界」の案内人は”日本で100億円以上の宝石を売り上げたインド人”カピル・ミタルさん(46)。

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マツコのピタルさんの第一印象w

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宝石業界の裏事情に意外に詳しいマツコ。

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カピルさんがまず言いたい事。

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赤い蝶ネクタイのインド人は怪しすぎるw

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カピルさんのプロフィール。

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世慣れたインド人w

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もともとは会計士だったカピルさん。

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来日当時のカピルさん。

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おだてると、安くなるシステムw

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 今までテレビで言えなかった宝石商だけが知る真実

日本の人気宝石ランキング。

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ダイヤモンドは宝石の王様。

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しかし!

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ほんとうのことを言っちゃったインド人宝石商w

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世界で採掘される宝石の大部分はダイヤモンド。

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ロシアには3000年分のダイヤが眠っているらしい。

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保身のため、最後はダイヤを持ち上げておくw

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マツコが買いたいのはカラーストーン。

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カピルさんのおすすめもカラーストーン。

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カラーストーンの良いところ。

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カラーストーンはこの10年で2200%の値上がり。

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ある石は100倍の値上がり。

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じらしテクw

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 3大カラーストーン タンザナイト

ダイヤの1000倍希少価値が高いタンザナイト。

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マツコが好きなカラーストーン。

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タンザナイトはアフリカ・タンザニアでしかとれない。 

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タンザナイト1粒2カラット。

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色が薄い。
タンザナイトは”タンザニアの夜”が語源。

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褒め合い合戦w

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ロケ地:新宿区・神楽坂

インド北部では観測史上初最高気温51℃を記録、という話。

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ゲストはアンガールズの田中卓志さんと山根良顕さん、サバンナの高橋茂雄さん。

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 今回の企画は、暗算最強国インドと電卓のできる前のヴィンテージ計算機との戦い。

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決戦の舞台は東京理科大学近代科学資料館。

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なぜか平均身長が高い今回のメンバーw

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ヴィンテージ計算機軍団のGM、大石和江さん。
本業は近代科学資料館の学芸員です。

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ここの資料館は日本一の計算機コレクションを誇り、その多くは今も使えます。

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暗算人類最強、インド人軍団。
在日インド人の方々のようです。

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 アンガールズぽいっのでジャンガジャンガをやらされるw

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計算機軍団の先鋒は、タイガー計算機(日本製)。
BGMは真田丸のテーマ。
大河(タイガー)だけにw

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1923年木本寅次郎が製作した四則演算が可能な計算機。
日本における機械式計算機の代名詞的存在。
電卓が普及する70年代まで広く使用されました。

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掛け算の使用法:チェックダイヤルに数字を入力し掛けたい数だけハンドルを回す

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123×123の場合:桁送りレバーで桁を変え、一桁ずつハンドルを回す

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対するは、丸ビルのIT企業でエンジニアとして働くバラジさん。
掛け算の暗記量は軍団№1。
16×16ぐらいまでは覚えている。

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バラジさんが数字に強い理由:エンジニアか医者になって貧困から抜け出すために数学を勉強した

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いよいよ対戦。
計算機の操作者は田中さん。

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第1問 153×157

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バラジさんわずか5秒で正解。

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インド式数学では、1の位を足すと10になり、100の位と10の位の数が等しい場合、

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① 100の位と10の位の数とその数に1を足した数をかける
② 1の位の数どおしをかける
③ それぞれの答えを合わせる

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続いてのヴィンテージ計算機は、アレックス(日本製)。
1950年代に誕生。足し算と引き算専用のボタン式計算機。
算盤大国日本ではヒットしなかったがアメリカで大ブレイク。

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入力ミスをするとクリアレバーを何度も引かなければならないのが弱点。

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対するは江戸川区船堀のインド人コミュニティで子供に数学を教えている数学者のプサパティさん。

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第2回戦は足し算対決。
計算機の操作者は高橋さん。

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ロケ地目黒。
目黒不動尊にはサツマイモを広めた青木昆陽の墓がある、というお話。 

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ゲストはスピードワゴンの二人。

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タンドール窯の父とゆかりのある方々。
左から、アショカのバルマさん、シターラのフセインさん、アジャンタのジェイさん、シタールのシンさん。

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タンドール窯とはナンなどを焼くつぼ型のオーブン。

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日本のインド料理店にあるタンドール窯のほとんどは高橋重雄さん(1933~2009)というタンドール窯職人によって作られていました。 

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今回は有名インド料理店の方々に集まってもらい、日本タンドール窯の父、高橋重雄さんの偉大な足跡を紹介してもらいます。

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写真左の白いツボがタンドール窯。
タンドール窯は、右のステンレス製のガスオーブンに入っているそうです。

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高橋重雄さんの甥にあたる神田川石材商工、現社長竹田伴康さん。
前社長の高橋重雄さんとタンドール窯について、解説をお願いします。

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神田川石材のタンドールは高温に強いムライト系セラミックを使用しています。
素焼きのインドのタンドール窯に比べて、2~3倍の耐久性があるそうです。

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実際にナンを焼いてもらいます。

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窯の内側に張りついたナン。
タンドール内の温度は280~300℃。

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あっという間にアツアツのナンができました。 

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皆で試食。
タモリさんお代わり。

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そもそも、なぜ高橋さんはタンドール窯を作ることになったのか?

高橋重雄 タンドール伝説 第1章

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1960年代後半。
神田川石材2代目社長、高橋重雄は本業のパン焼き窯の発注が激減し、新たな窯の開発を迫られていた。

ある日たまたま立ち寄った本屋でタンドール窯の記述を発見。

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”人がやらないうちにタンドール窯を作ろう”。

そう考えた重雄は北インド料理店アショカで初めてタンドール窯を目にする。 

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重雄はアショカのチーフシェフのジョンさんにタンドール窯のイロハを教えてもらう。

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そして1970年頃、国産タンドール第1号が完成。

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しかし、タンドール窯の需要はなかった。 
なぜならこの当時、東京にインド料理店は3、4軒しかなかった。 

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1960年代、パン窯の需要は大手パンメーカーの台頭で激減したのだそうです。
町のパン屋さんがパンを焼かなくなった。
 
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若き日のバルマさん(写真中央)はビートルズのポールに憧れて髪型(マッシュルーム・カット)を真似していたそうですw

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 「インド人はナンをあまり食べない」という衝撃の証言。

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