Halohalo online

ブログ再開しました。 以前ほど頻繁に更新できないかもしれませんが、ぼちぼちやっていきます。

タグ:わさび

先週の続きです。

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浄蓮の滝からスタート。

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旅のお題をおさらい。

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確かにこの歌を聴いた時、「なぜ越えたい?」とは思ったw

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浄蓮の滝の傍のわさび田にやってきました。

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わさび農家の安藤さんにわさびを採ってもらう。

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1年3か月もののわさび。

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2年以上たった巨大わさび。

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大きくても味は変わらないが、大きすぎるものは市場には出ない。

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天然のわさびは山の中にあるが、鹿が食べてしまう。

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先週は「滝とわさびは関係がある」という話でした。

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なぜ湧き水がわさび栽培に良い?

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わさびは水温が12~13℃の狭い範囲でないと育たたない。

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水温が一定に保たれている湧き水はわさび栽培に適していた。

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わさび田分布図。

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湧き水は溶岩の端や崖が崩れた端から湧いているので、深い谷の中にわさび田を作ることになる。

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わさびを作るために、伊豆の人々は険しい天城山に分け入った。

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試食コーナー。

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本日のメニューはわさび丼。

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まずわさびをする。

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すりおろしたわさびに砂糖を加える。

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醤油とたっぷりの鰹節も加える。

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座布団1枚!w

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わさび丼ができました。

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鼻の奥にツン。

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こっちもツン。

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腹ごしらえもして、いよいよ天城越えです。

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オープニング。

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人を寄せつけない険しい天城山。

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どうして人々はそんな難所に分け入ったのでしょう?

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タモリさん一行は宿の中を上ったり、上がったりするw

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宿のとある部屋で待っていたのは、歴史研究家の橋本敬之さん。
人々が天城山に分け入った理由がわかる資料を持ってきてくれました。

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豆州天城山見取絵図(複製):
江戸中期に作られた天城山の地図

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「飛び出す絵本」は江戸時代からあった!w

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幕府がこれだけ詳しい地図を作ったのは、ある恵みを求めるため。

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恵みとは、木材とそれからとれる薪と炭。

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天城の語源は、雨の木。
*諸説あります

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太平洋からやってくる湿った海風が標高の高い天城山に吹きつけ、山頂に雨雲ができやすくなる。
年間降水量4000㎜以上。

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その雨が育てたのが質の良い木材。
天城は木材の一大供給地になりました。
だから、人々は険しい山奥に分け入ったのです。

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木材のほかにも恵みがあるが、答えは後ほどのお楽しみ。

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ところで、この部屋は名曲「天城越え」にゆかりのある部屋。

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この部屋で「天城越え」が作詞作曲された。

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作詞の先生が天城山を歩いてくるたびに詞が増えていった。

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恨んでも恨んでも躰うらはら!

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盛り上がる作詞の先生w

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このへんを歩いていると、ムラムラするのかもしれないw

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天城越えをしたくなったタモリさんw

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ということで、タモリさんたちは天城の人気観光スポットに向かいます。

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「天城越え」の歌詞にも登場する「浄蓮の滝」。

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ここで伊豆の人々が山奥で得た「恵み」がわかる。

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途中でタモリさんの高校の後輩とすれ違う。

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