体罰は認めるべきというカリスマ体罰元教師と体罰は絶対にダメという尾木ママとの間で議論が交わされていましたが、どうもどっちの言っていることもわかるし、わからない、というすっきりしない後味になりました。
ヤクザ監督の先生は古き良き昭和の時代の熱血先生です。
暴力が日常茶飯時になっているような高校の先生をやっていれば、力を示して生徒を引っ張るという方法もありえたと思います。
最終的には力で抑えたというよりは、先生の人柄を慕って生徒たちはついて行ったのでしょうが、ケンカに明け暮れているような学校ではまず力を示すことは大事なのかもしれません。
しかし、人間はサルではありません。
これが理想的な教育だとは思えません。
一方、尾木先生は体罰は絶対否定派です。
暴力を使わないで、どうやって生徒をしつけるのか、尾木先生はそれは”眼力”、つまり迫力だと言います。
理想的にはそうだと思いますが、すべての教師が尾木先生のような人間力のある先生ではありません。
どんな生徒にも対応できるような優れた教師はむしろごく少数なのではないでしょうか。
つまり、どちらの意見も個人的体験に基づいた持論で、体罰としつけについて普遍的な解決策になるとは思えないのです。
私も子供の頃は親や教師に体罰を受けました。
ただ今思い出すのは体罰そのものよりも、その大人がどういう気持ちで手を下したか、ということです。
子供はそのへんを敏感に感じ取ると思います。
しつけとして体罰をしたのか、しつけの名のもとに憂さ晴らし的に暴力をふるったのかはすぐにわかります。
それに、個人的には教師に関する一番嫌な思い出は体罰などではありませんでした。
体罰をヒステリックに禁ずる論調が大勢を占めている社会の空気で、一番腑に落ちないのは、では言葉の暴力はフリーなのですか?ということです。
言った言わないは立証されにくいので、とりあげらづらい問題ですが、教師の側も生徒の側も、言葉の暴力に直面しているケースの方がはるかに多いのではないでしょうか。
イジメにしても最近の傾向としては直接肉体に危害を加えることよりも、誹謗中傷によって精神的に追い詰めていくやり方の方がはるかに多いような気がします。
最近では、セクハラ、パワハラといった概念が広がって言葉による暴力に対してもある程度の抑止力をみせていますが、言葉を使う人間だからこそ言葉による暴力についてもっと考えてみるべきではなかろうかと思いました。
それから、最近の教育の問題は教師や子供の問題というよりも、親の問題が大きいような気がします。
私も昔10年ほど塾の先生をしていたことがありますが、親がアウトだと現場で子供をどうにかしようとしてもどうにもなりません。
だから、私立校などはまず親に対して主導権を握り、その状況下で学校教育を成り立たせているような気がします。
ヤクザ監督の先生は古き良き昭和の時代の熱血先生です。
暴力が日常茶飯時になっているような高校の先生をやっていれば、力を示して生徒を引っ張るという方法もありえたと思います。
最終的には力で抑えたというよりは、先生の人柄を慕って生徒たちはついて行ったのでしょうが、ケンカに明け暮れているような学校ではまず力を示すことは大事なのかもしれません。
しかし、人間はサルではありません。
これが理想的な教育だとは思えません。
一方、尾木先生は体罰は絶対否定派です。
暴力を使わないで、どうやって生徒をしつけるのか、尾木先生はそれは”眼力”、つまり迫力だと言います。
理想的にはそうだと思いますが、すべての教師が尾木先生のような人間力のある先生ではありません。
どんな生徒にも対応できるような優れた教師はむしろごく少数なのではないでしょうか。
つまり、どちらの意見も個人的体験に基づいた持論で、体罰としつけについて普遍的な解決策になるとは思えないのです。
私も子供の頃は親や教師に体罰を受けました。
ただ今思い出すのは体罰そのものよりも、その大人がどういう気持ちで手を下したか、ということです。
子供はそのへんを敏感に感じ取ると思います。
しつけとして体罰をしたのか、しつけの名のもとに憂さ晴らし的に暴力をふるったのかはすぐにわかります。
それに、個人的には教師に関する一番嫌な思い出は体罰などではありませんでした。
体罰をヒステリックに禁ずる論調が大勢を占めている社会の空気で、一番腑に落ちないのは、では言葉の暴力はフリーなのですか?ということです。
言った言わないは立証されにくいので、とりあげらづらい問題ですが、教師の側も生徒の側も、言葉の暴力に直面しているケースの方がはるかに多いのではないでしょうか。
イジメにしても最近の傾向としては直接肉体に危害を加えることよりも、誹謗中傷によって精神的に追い詰めていくやり方の方がはるかに多いような気がします。
最近では、セクハラ、パワハラといった概念が広がって言葉による暴力に対してもある程度の抑止力をみせていますが、言葉を使う人間だからこそ言葉による暴力についてもっと考えてみるべきではなかろうかと思いました。
それから、最近の教育の問題は教師や子供の問題というよりも、親の問題が大きいような気がします。
私も昔10年ほど塾の先生をしていたことがありますが、親がアウトだと現場で子供をどうにかしようとしてもどうにもなりません。
だから、私立校などはまず親に対して主導権を握り、その状況下で学校教育を成り立たせているような気がします。