富士山最大の玄関口はどうできた?①の続き
廊下の壁面に隙間なく飾られた額。
神楽を奉納した記念の額(奉納額)です。
神楽:富士山の神様に喜んでもらうため、富士講の人々は浅間神社で神楽を奉納した。
弁当箱。
富士登山当日、富士講の人々に弁当を持たせたそうです。
奥さん「今はセブン…いろいろコンビニがありますけれど…」w
富士登山の衣装。
サイズぴったりでしたw
代々伝わる御師が配るお札を刷るための版木。
タモリさんが刷ってみます。
口から出まかせw
タモリさんが汗だくになって刷り上げた一枚。
富士山の神様たち。
左の木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)は安産・火防、富士山の女神。
右はご主人の瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)。
瓊瓊杵尊の道案内をした猿田彦大神。
猿田彦大神をまつる神社は全国各地にあります。
富士山は60年に一度の庚申(かのえさる)の年に生まれたという伝説があります。
このお札は1860年(庚申の年)に特別に作ったものだそうです。
この版木を彩色して軸装したもの。
1860年は60年に一度のご利益を求め、たくさんの人が富士山に登りました。
この年の宿泊者名簿は通常の年の名簿と比べ厚みが段違い。
夫婦で来ている。
江戸時代、女性は2合目までしか登ることができませんでしたが、1860年は上文司さんら御師が音頭をとって女性ももっと上まで登れるようにしたのだそうです。
御師宅の庭の滝で禊をするタモリさんw
上吉田の町と浅間神社はまっすぐつながっていない。
その理由を探るため、上文司さん宅の敷地の奥へ。
高低差のある地形は富士山の特殊な自然現象が生み出したもの。
雪代:雪が溶け土砂とともに土石流となって流れ下る現象
この雪代による浸食で富士山に谷が刻まれます。
富士山の中でも浸食されやすい場所が吉田大沢。
上吉田の町は吉田大沢から麓まで続く2本の谷に挟まれた場所にあります。
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