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2014年01月


小学校4年生ぐらいに初めて履いた長ズボンがジーンズでした。
当時はジーパンと言っていました。
ジーンズという言葉が定着したのはもっとずっと後、1980年代になってからだと思います。
親戚のお兄ちゃんのお下がりでしたが、冬に長ズボンを履くのなんか大人っぽくてお洒落な感じがしました。

中学生の頃になると、街はジーパンが大流行りでした。
この頃は、ストレートと同じぐらいベルボトムが流行っていました。

中坊になって色気づいた私は友達とよく後楽園のそばのバーゲン会場に足を運びました。
もともとファッションセンスがない私は、赤いストライプ柄とか緑色の糸で縫ったベルボトムなんかを買って履いてました。
アァ、恥ずかしい…。

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1970年代 デッドストック ベルボトム

この頃のことを思い出すと、自動的にミッシェル・ポルナレフの「シェリーに口づけ」が頭の中で流れ出します。
当時の大ヒットナンバーです。

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当時、シェリーと言えばこの人

高校生になると、ジーパンばかり履いていたような気がします。
リーはあこがれのブランドでしたが、試着するとどうも私には似合いませんでした。
短*胴*の日本人だから?
そんなわけでエドウインとかボブソンとかそんな国産メーカーのものを愛用していました。

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スリムとかマンボと呼ばれていた細身のジーパンを愛用するコもいました。
細身で脚が長くないと履けないジーンズです。
少し前に少女時代がカラージーンズのスリムを履いてましたね。

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履く人を選ぶ”スリム”

この頃のテーマ曲はガロの「学生街の喫茶店」です。
彼らはベルボトム派でした。

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ガロ 当時の若者はみんなこんな感じ

大学生になって少し金回りが良くなってくると、私はリーバイスのジーンズを買うようになりました。
リーバイスの生地は少し伸びるので、太腿が太い私でもなんとか履けました。
以来二十代の頃はリーバイスのストレートばかり愛用していました。

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今、私の洋服ダンスにあるジーンズは黒のリーバイスが一本だけです。
それもほとんど履くことはありません。

BoAちゃんが「タイトなジーンズにねじこむ、私という戦うボディ♪」と歌ってましたが、年を取るとジーンズのタイト感がきつくなってくるのです。
もう戦わないしね…。

ダブダブのジーンズは履いたことはありませんが、さまぁーずのミムラ君みたいに格好よく着こなせればあれも好いですね。

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元バカルディ 現さまぁーず






二十代後半くらいからプール通いを続けています。

ずっと続いていたわけではなく、しばらく中断していた時期も何度かありました。
ここ数年は週に1度定期的にプールで泳いでいます。

泳ぐのが好きなのかと言えば、そうでもありません。
むしろ週に1度でも定期的にプールに行くことは苦痛にすら感じています。

プールに行く前が一番ブルーな気分になります。
行くのがメンドクサイし、着替えるのもメンドクサイ。
だからこのへんは何も考えないようにして、体だけを動かしています。
タオルや水泳パンツの入った手提げ袋を持つ→自転車に乗る→区民体育館に行く→着替える
水泳パンツ姿になれば、あとはプールに入るしかありません。

とにかく泳ぎ始めてしまえば、体が勝手に動き出します。
自分で決めた距離を泳ぐまで、何も考えずに機械的に体を動かすのみです。
もう体が水泳に慣れているので肉体的にはそれほどきつくは感じません。
ただ、水泳はプールを行ったり来たりする単純作業なので、面白くもなんともない!…のです。

私は健康にかかわる仕事をしているので、お客さんに運動療法として水泳をお勧めすることがあります。
水泳がいいですよとお客さんに話すと、たいていお客さんの目は死んだ魚の目になっています。
笑顔でうなづいていても目は死んでいます。
「やる気ゼロ」と顔に書いてあります。

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自分だって上に書いたとおりですから、そういうお客さんの気持ちはとてもよーくわかります。
それでも水泳を勧めるのは、水泳が健康のためには理想的な運動だからです。

そもそも生命は海で誕生しました。
様々な種に進化した生物は、生き残りをかけて陸に進出しました。
陸上に適応するためにエラ呼吸は肺呼吸になり、ヒレは重力に対抗するために丈夫な四肢に進化しました。
中でも人類は地上を二本の足で(直立して)歩く唯一の動物です。
腰痛はこの直立二足歩行を獲得した人類の代償だとも言われています。

もしこれが正しいのなら、人類の直立はもともと無理のあるデザインなのかもしれません。
地上の重力に逆らって、二本足で飛んだり、走ったりすることはそもそも体に負担が大きいのです。
若いうちでも、過剰な運動をすれば足腰を故障します。
年を取ればなおさら、膝や腰、股関節にトラブルを抱える確率が高まります。

水泳は重力の負担をほとんど受けない有酸素運動です。
心肺機能を高め、全身の筋肉を無理なく鍛えます。

足腰に問題があると、どうしても運動を避けるようになります。
運動をしないと筋肉がやせ衰え、足腰の問題はますます悪くなります。そうなるとますます運動から遠ざかるようになります。

この悪循環を解決してくれる最良の手段が水泳(水中での運動)だと私は思うのです。
足腰にトラブルを抱えていても、自分のトラブルの状況に合わせた水中での運動は十分可能です。、

私は十年以上前にちょっとした事故で腰痛持ちになりました。
テニスや自転車漕ぎなどをすると腰痛が悪化したのですが、水泳をした後は調子が良いことに気づきました。
以来さぼっていた水泳を再開し、今では腰痛はほとんど感じないくらいまでになりました。

もちろんすべての病気に水泳が万能だということではありません。
他のスポーツをやって体に問題がなければそれに越したことはありませんし、嫌々水泳をやってストレスになるくらいならしない方がましです。

実はこのブログを書く途中でプールに行ってきました。
今日の最高気温は4度でしたが、プールから帰ってきた今は体が温かく、頭がすっきりしています。
お腹も減りましたし、夜もよく眠れると思います。

これからもプール通いは続けるつもりです。

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ご存知かとは思いますが、区民プールでこういう状況はまずありません。代わりにジジババがワンサカいます。
プールは修業の場です。




最近オンラインゲームにはまっています。

私がやっているのはワールド・オブ・タンクスという戦車による戦争ゲームです。
日本語公式ホームページ→WOT
ランダム戦ではコンピューターによって組み分けされた15対15のチーム戦になります。

アジアのサーバーでやっているのでプレイヤーは日本、中国、韓国、フィリピン、タイ、マレーシア、ニュージーランド、ロシア等が中心のようです。

ハンドルネームでプレイヤーの国籍がわかる場合もありますが、国籍を意識することはあまりありません。

公用語は一応英語ですが、英語が母国語の国が少ないせいかチャットはそれほど饒舌ではありません。
最初から最後まで全く無言でゲームが終わることもしばしばあります。
所詮はコンピューターが機械的に作った寄せ集めチームですから、チームの絆がなく、旗色が悪くなると味方同士の罵り合いが始まりがちです。

「バカ」、「マヌケ」、「下手くそ」といった類の言葉が画面上に飛びかいます。
だから、英語の上達にはさして役に立ちません。
良識ある人間が使ってはいけない言葉ばかり覚えるので、かえって良くないかもしれません。

このゲームをやっていて感じるのは、人間どこの国籍でもそう違いはないということです。

いいヤツもいれば、嫌なヤツもいます。

一番悔しいのは、英語が達者なヤツに完膚なきまでにやり込められた時です。
相手に侮辱されていることはわかるのですが、悲しいかな英語力不足のためやり返すことができないからです。
中途半端に英語がわかるより、まったくわからない方がストレスにならないかもしれません。

それでもゲームがある程度上達してくると、ボロクソに言われることは少なくなってきます。
ということは、何の理由もなくこちらをけなしているというわけではなく、未熟なプレイに対して厳しいということなのかもしれません。

しかしながら、八つ当たり的な発言が多いのも事実です。
ゲームの中心的役割を果たす重戦車のプレーヤーが運悪く生き残って接戦を落とした場合、味方の罵詈雑言の集中砲火に遭うことがしばしばあります。
このゲームは自分がデッドしてからもチャットはできるのですが、味方の応援をせず足を引っ張るような発言を繰り返すようなヤカラもいます。

こう書くととても雰囲気の悪いオンラインゲームのようですが、お互いを褒め称えることもたまにはあります。
助けてあげれば「サンキュー」と言われますし、良い仕事をすれば「グッジョブ」と褒められます。

このゲームをやっていると殺伐とした男子校のクラスにいるような気分になれます。
たいていはケンカですが、たまに友情も芽生えます。

課金をしなくても、このゲームは結構楽しめます。
参戦お待ちしております。

wot

 WOT チームメイトとの闘い方(チャット編)

 WOT~SWAMP他
 
  WOT 敵と戦う~実戦編 

 
WOT アカウント停止になる理由と期間


幼稚園児だった4,5歳の頃、私は何を思ったか近所のエリちゃんの家に遊びに行きました。
特に仲良しだったわけではありません。
あいにくエリちゃんはピアノの練習中で、私の相手ができませんでした。
私は明るい日射しが差し込むピアノのある部屋で一人積み木遊びをしていました。
これがエリちゃんに関する私の一番古い記憶です。

エリちゃんちは私の家から徒歩1分のところにあったので、当然小学校も、中学校も一緒でした。
この頃、彼女についての思い出はほとんどありません。
小6の時に同じクラスだったことは覚えています。

中3になってまた同じクラスになりましたが、話はほとんどしませんでした。
やがて高校受験が始まりました。
都内にはたくさんの高校があり、中学のクラスメイトたちの進路はバラバラに分かれました。

高校1年生の冬休みに、中学の同窓会がありました。
1年ぶりに再会したエリちゃんはオカッパだった髪をセミロングにしていました。
中学の時はテカテカになった制服の紺のブレザー姿でしたが、その日のエリちゃんは白いアランセーターにタータンチェックのウールの巻きスカート、靴は黒のローファー(当時流行のトラッド系ファッション)でした。
今の芸能人で言えば、物静かな新垣結衣という感じかな。
色白の美少女になったエリちゃんに、私は初めて異性を意識しました。

それからほぼひと月後のバレンタインデーに、私はエリちゃんからチョコレートをもらいました。

私は決してモテる方ではありませんでした。
モテる男の子はだいたい明るくて社交的で爽やかなコですが、私は内気で子供っぽいコでした。
エリちゃんはキレイなコなのに、残念ながら(ありがたいことに)好みがマニアックだったようです。

ということで、私はエリちゃんとおつきあいをすることになりました。

月に2、3度くらいの割合でデイトしていたと思います。
新宿に映画を見に行ったり、吉祥寺や渋谷をブラブラしたりしました。

今でもよく覚えているのは、代々木の国立競技場でアイススケートをしたことです。

彼女は白いスケート靴を持っていてスケートが上手でした。可愛いグリーンのダッフルコートを着てすいすい滑るエリちゃんはとても目立っていました。一方下手な私はすぐに足が痛くなり、借りた靴が合わないなどと言い訳じみた文句を言っていました。すると近くにいた同い年ぐらいの男の子たちのグループの一人に「靴のせいにしてるよ」とわざと聞こえるように言われました。あの時は気まずい思いをしましたが、今にして思えばなんであんな情けないヤツがあんな可愛いコとつき合っているのだという腹立たしい思いが彼にはあったのでしょう。

それから私の部活の対外試合をエリちゃんが見にきてくれたこともよく覚えています。

エリちゃんと一緒に帰るため、試合後私は大急ぎで着替えました。
駅のホームでエリちゃんはなぜか銀紙に包まれた手作りのスポンジケーキを差し出しました。
私もなぜかその場でケーキを口にほうばったのですが、試合後に水もろく飲まなかったので喉が渇いていました。
スポンジケーキは口の中の水分をすべて吸い取り、私はケーキを飲みこむことができなくなり目を白黒させました。

どういうものか、こういったほろ苦い思い出はいつまでも記憶に残るようです。

高校の3年間、私はエリちゃんとつきあっていました。

彼女は私よりずっと大人だったのでケンカをすることはありませんでした。
ケンカもしませんでしたが、なんというか、恋人的な甘い関係になることもありませんでした。

あまりにも小さな頃から彼女を知っていたせいか家族のような感覚があり、強いて男女の関係を求めようとも思いませんでした。
そのうち自分にはエリちゃんに対して恋愛感情がないように思えてきて、いつまでも幼なじみとつき合っていることに疑問を感じるようになりました。

大学生になってから私たちは次第に疎遠になり、結局自然消滅の形で私たちの関係は終わりました。

今にして思えば、エリちゃんはとても素敵なコでした。
一言でいえば豚に真珠。
当時の私にはエリちゃんの気持ちやエリちゃんの良さがわからなかったのです。

野球に例えると、デッドボールすれすれのインハイや手元で沈む変化球を経験して、初めて初球がど真ん中のホームランボールだったことに気づいたようなものです。

二十代後半ぐらいにエリちゃんは私の知らない人と結婚し、遠い町に行ってしまいました。
それからしばらくして、中学時代からの親友T君がある”告白”をしました。

「自分はエリちゃんがずっと好きだった…。だからエリちゃんとつき合っていたお前に近づいたんだ」

彼は私を通してでも、エリちゃんの存在を感じたかったのだそうです。
この話を聞いた時はちょっとショックでしたが、彼の屈折した心情を思うと怒ることもできませんでした。

50代になった今でも、T君とは年に1,2度会う飲み友達です。











東京の日中最高気温も10度を下回る日が多くなってきましたが、皆さんお元気でしょうか。

私は冬が苦手です。
最適な気温は人によって違うと思いますが、私の場合25~28度ぐらいが丁度良いようです。

ダカラ、南の島に住むことに憧れています。

実際、沖縄移住を試みたことがあります。
諸般の事情によりまた東京に戻ってきましたが、沖縄でひと冬を過ごす体験はできました。

本土の感覚からすると、沖縄には冬はありません。
初夏→夏→夏→秋
というのが沖縄の一年のサイクルです。

もちろん寒い日もありますが、それでもせいぜい15度程度です。
天気の良い日など、たちまち25度を超える夏日になります。
2月に半袖のポロシャツで外を歩いていました。

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趣味は沖縄そば食べ歩きでした

いつかはフィリピンかマレーシアあたりに移り住むのが私の夢です。

しかしながら、現実の私は冬の東京にいます。
嫌い、苦手とネガティブなことばかり言っていても仕方ないので、冬の良い点を考えてみました。

・ お雑煮が食べられる

毎年正月の3が日はお雑煮を作って食べます。ウチは関東風ですまし汁に四角の焼き餅、具は鶏肉、ニンジン、大根、シイタケ、ホウレンソウ、蒲鉾です。いつも食べるとウンマイ!と思い、こんなうまいものは正月だけでなく普段も食べようと思うのですが、どういうものか正月が終わるとお雑煮のことも忘れてしまいます。

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・ 冬の公園

冷たい空気が清浄な感じがします。
木々は木の葉をすっかり落とし、枝が剥き出しになっています。
冬の青空を背景にあの神経細胞のような黒々とした木の梢を見るのは割と好きです。

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・ 夜明けの用足し

まず前夜にしこたま酒を飲みます。すると夜明けに尿意と喉の渇きを覚えて目が覚めます。よっこらしょうと起き上がり、寒さをこらえながらトイレで用を足します。ついで、台所に行き、冷たい水をコップ一杯飲みます。そしてまだぬくもりの残る布団に再び潜りこみます。排尿、水分補給、保温の生理的欲求をかなえ、最後は暖かな布団に包まれ睡眠という欲求に再び身をゆだねます。
この欲求充足四重奏の至福感は冬ならではのものかもしれません。

冬来たりなば春遠からじ。
冬を愉しみながら、春を待ちましょう。


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