お久しぶりのブラタモリ。

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湯畑から湧く温泉。

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湯畑を囲むひょうたん型の柵は、岡本太郎氏のデザイン。

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案内人は、草津町文化財調査委員の中沢孝之さん。

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岡本太郎は草津好きで、町の有力者と親交があったそうです。

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「(万博の)太陽の塔みたいなのはやめてね」とオーダー。
よく言えたなw

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草津を訪れた有名人たち。
木曽義仲もすごいけど、ルシウス・モデストゥスも…w

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旅のお題は「草津温泉が誇る最強の湯力とは?」。
ゆぢから?

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湯力① たっぷりの湯
草津の自噴湧出量はダントツ全国1位。

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約45℃の足湯。

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湯につけた足が赤くなるほど熱々。
湯力② アツアツの湯
源泉は52℃。

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湯畑の樋:
高温の温泉を外気に触れさせることで
適温まで自然冷却している

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草津温泉の湯とレモンの酸性度を比べてみる。

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レモンpH2.0
草津温泉pH1.5
草津の湯はレモンより酸性度が強い。
湯力③ ピリピリの湯

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草津温泉の湯力の秘密を探りに、タモリさんたちは草津温泉から西に3キロほど山を登った草津白根山の中腹にやってきました。

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熊も出るという山道を分け入った先には…

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案内人の東京工業大学の野上健治先生が待っていました。
このあたりは熊も硫化水素も出る危険地帯。

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溶岩堤防。

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溶岩堤防は流れた溶岩の両端が冷え固まったもの。

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アツアツ、ピリピリの湯は、火山ガスが作っていた。

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本白根山は約200万歳。

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歳を重ねるごとに山を形成する溶岩が風化。
水を通しやすい土壌に変化している。

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山に降った雨や雪が滲み込みやすくなっている。

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水を通さない粘土層が草津まであるため、溜まった水はマグマの火山ガスで温められて草津にいく。

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コーヒーは水を通しやすい本白根山の土壌。
サーバーは不透水層(粘土層)。
熱源はマグマの火山ガス。

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老いてなお意気盛んな本白根山。

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タモリさんたちは再び山の麓の温泉街に降りてきました。
湯泉が草津で湧いた奇跡の理由を探ります。

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温泉街の暗渠の先の川(湯川)。

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温泉が湧いて、それがそのまま川になることもあるそうです。

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川のあちこちに温泉が湧いている。

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湯気が出ている温泉の滝。

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西の河原公園:
草津温泉の大小100ある源泉集中する場所

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凝灰角礫岩:
火山灰と石が混ざって固まった岩石
様々な大きさの石の集まり
水を通しやすい。

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最初の方で凝灰角礫岩を見たはず。

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最初に行った湯畑の滝も凝灰角礫岩。

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70万年前の古い地層の凝灰角礫岩が現れているのは草津一帯だけ。

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故にここに温泉街ができた。

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オニオンストラクチャー(タマネギ状構造)。

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酸性のお湯が染み込んで色が変わった。

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湯力の魅力はどうやって広まったのでしょう?
草津の老舗旅館に武田信玄が出した文書が残されていました。

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身分に関係なく草津湯治を一定期間禁止にするという内容。
1567年当時勢力争いが耐えなかった草津周辺は戦場となり、怪我をした武士の湯治が多くなりすぎ、治安が悪化したために草津湯治を禁じたそうです。

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江戸時代には、「東海道中膝栗毛」の作者、十返舎一九も草津を絶賛。
昔から草津の湯治場としての地位は確立されていました。

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湯もみを見学。
女性が草津節を歌いながら板で湯を混ぜます。

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昔は山越えをしないと来れなかったので、湯治客はほとんど男性。

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本来湯もみは湯治客の男性がやっていた。

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もむ前のお湯は48.3℃。

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タモリさんと林田アナの湯もみ体験。

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結構重労働。

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もんだあとは47.5℃。
下がったけど、まだぜんぜん熱いわ!w

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当時は30分から1時間かけて湯もみをしていた。

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温泉を薄めることなく湯治したいという一心が湯もみを生みました。

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湯力が強すぎるための悩み。
空気中の酸性成分(硫化水素)と金属が反応して黒くなる。
ガラケーは1年もたないそうです。

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ここで一ボケw

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草津はアツアツの源泉を利用して、各家庭に給湯している。

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温水を利用してロードヒーティングも完備。

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エンディング♪

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次回(11月9日)は秋田です。

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