夏休み明け第1弾は、京都御所。

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現在位置確認。
京都御所は京都駅のほぼ真北。

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今回のお題は、「天皇の住まいはなぜこの場所だった?」

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京都御所はなぜ平安京の北東の隅にある?

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案内人は京都町歩き団体主宰の以倉敬之さん。

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約500年間、73代もの天皇が暮らしてきた京都御所。
なぜこの場所にあるのでしょうか?

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第142回 京都御所

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タモリさんたちがまず向かったのは、かつての天皇の住まい、大内裏の跡。

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頭上からの不意打ちw

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なぜ一般人は芸能人に「頑張って」と声をかけるのか問題。

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狭い路地に入ってゆく。

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段差発見。

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これはあるお城の堀。

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聚楽第はこんなところにあった?

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約430年前、豊臣秀吉が大内裏の跡地に建てる。
敷地面積10万5000㎡の広大なお城。

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関西なので甲子園球場が面積の目安w

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聚楽第よりさらに大きい大内裏。

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大内裏は聚楽第の約16倍。
甲子園球場でいうと、48個分どすな。

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平安後期、白河法皇も「ここはちょっと広すぎる」とぼやいていた。

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今の家の住みたくなくなったらどうしますか?

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引っ越しを考える林田アナ。

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土地の部分売却で現金化するタモリ。
金持ちの発想w

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天皇は親戚筋の貴族の家を転々としていた。

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天皇は引っ越し魔だった。

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転がり込まれた方も嫌とは言えないし、丁重に扱わないといけないし、面倒だったろうなあ。

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それにしても天皇の転居先が左京に集中しているのはなぜ?

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この謎を解明するため、かつての右京のエリアにやってきました。

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電車に乗って右京の町を見学。

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貸し切り。

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京福電鉄嵐山本線、通称嵐電。

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本題とは関係なく、電車用の信号を発見してときめくw

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上り坂。

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下り坂。

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今はなだらかなアップダウンになっているが、もともとは急な段差だった。

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この高低差は天井川だった。

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天井川とは、川底が平地より高いところを流れる川。
天井川の詳細は、ブラタモリ 2月25日放送~神戸はなぜ”ハイカラ”なのか?②

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洪水を食い止めるため、人々は堤防を築く。
そして天井川ができる。

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それ以前の右京は洪水が繰り返される地域だった。

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これこそが天皇が左京で暮らしていた理由。

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左京にある鴨川は洪水の恐れはなかった?

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東山の回で習った「ホルンフェルス」を覚えていた林田アナ。

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鴨川を案内するのは、京都産業大学の鈴木康久先生。

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かつての鴨川も暴れ川だった。

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白河法皇も自分の思い通りにならないものとして、鴨川の水をあげていた。
これ、日本史で習った覚えがある。

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今日も元気だ!桝形商店街。

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微妙に上がっている。

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この地形は河岸段丘。

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昔はこのあたりまでが河原だった。

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段丘化により鴨川の水位が下がり、氾濫が起きにくくなった。

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左京側に人が移り住んだことを納得。

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平安前期は川が氾濫すると、水浸しだった平安京。

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平安後期は鴨川の段丘化より、左京は氾濫の被害が少なくなった。

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14世紀頃には天皇の住まいは今の場所(京都御所)に定着した。

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明治の初めまで約500年間、天皇の住まいが京都御所に定着した理由を探ってゆきます。

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京都御所②に続く